「包丁を研ぐ、五徳を洗う」
松の内の最後の儀式として「包丁を研ぐ、五徳を洗う」を選んだ。そんな事は昨年の内に済ましておけとおもうかも知れない。確かにそうだ。新年には切れの良い包丁を使い、美しいレンジ台を使うと言うのが常識的なのだ。
しかし、年末の大掃除は大変だ。考えてみ手欲しい。網戸の掃除、キッチンの棚の拭き掃除、床磨き、風呂掃除、掃除する場所を思い描いただけで疲れ切ってしまう。
それなら、包丁を研ぐという儀式は、新年のために取っておくというのが良い考えではないか。羽織袴に身を包み白い鉢巻を絞めて、包丁を研ぐ、想像しても新年の儀式として荘厳な感じがする。
まるで刀鍛冶になった気分だ。これを新年に回さない理由は無い。そんな理由で包丁を研ぎを行う。白い羽織袴で包丁を研いだのかは内緒であるが、兎に角、2時間をかけて3本の包丁をきっちりと研ぎ上げた。
包丁といってもプロの持つような物ではない。2本の文化包丁と、魚をさばく為の小さな出刃包丁である。WENGER製パン切包丁も一本持っているのだが、これは既に1年以上使っているのに、まだまだ良く切れる。
パンを切っているうちにまな板まで切れてしまうので、今回の「研ぎ式」からは除外した。対象の3本の包丁は、どこでも売っているような無名の包丁だ。その中の一本は、実家を出るときに母から譲り受けたものだ。
もう何度も研いでいるので刃は原型を留めていない。愛着のある一品だ。刀がそうであるように名のある包丁鍛冶に鍛えられた包丁はもの凄く切れるに違いない。仮にそんなに切れる物であっても新しい包丁は買わない。
野菜を切る、肉を切る、魚を切る。お客様の為に切る訳ではない。自分の料理の為に切るのだ。だから自分で愛着も持てる包丁を大切に使えば良いと思う。そう言った信念を持つ事が大切なのだ。
使う砥石は、いつも3種類だ。正確な名前は知らない。先ず、木でできた箱から粗砥石を出し、透き通った水の中へつける。浸す容器は砥石が水から顔を出さなければ何でも良い。中砥石、最後に仕上砥石と順に浸していく。
一番好きな時間だ、砥石が水の中で呼吸をするように、少しずつ水を吸う。耳を澄ませば砥石の呼吸が聞こえるようだ。硬い砥石が生き物のようにコトコトを音を立てるうに小さな泡を立てる。それと同時にこれから向かう砥ぐという仕事のために心が研ぎ澄まされる。
もし包丁に刃こぼれがあるようなら、粗砥石を使うが刃こぼれが無ければ中砥石で十分だ。粗砥石で刃こぼれを修正する作業はカットする。昨年は包丁をかなりの頻度で研いだから、刃こぼれは見つからない。
従って「研ぎ式」は中砥石から始める。包丁の柄を軽く握り、刃を自分の方へ向け、角度を60度前後に保ち、精神を集中する。刃に角度を付けるように少し立て、手前から押すように砥石の上を滑らせる。
この作業を、丹念にそして丁寧に繰り返し続ける。刃全般の研ぎ澄まされ方を確認し、全体が均等に仕上がれば次は仕上げの工程に移る。仕上げも中砥石とやり方は変わらない。使う石が違うだけだ。こうやって3本の包丁を満足いくまで研ぎ澄ます。
最後に仕上がった包丁の水分を落とし、丁寧にサラシに包んで出来上がりである。出来上がった包丁を祭壇に祭るかどうかは(そんのやるわきゃない)個人の自由だ。
こうやって我が家の「研ぎ式」は厳粛に終る。そして次は五徳洗へ移っていく。この儀式も実際は年に数回は行われるが、松の内に、昨年の料理への感謝と今年の料理への願いを込めて行う事にしている。
開始前に「「開儀式」をするのかは知らない。しかし、レンジ周りに油や焦げ付きが無いことが前提だ。せっかく五徳を綺麗にしてもそれでは意味がないからだ。綺麗になっているレンジ台を見て「ニヤリ」と出来たら「五徳洗い」に仕掛かろう。
こびりついた焦げを専用の焦げ取り様の研磨剤付きスポンジを水に浸し、ゆっくっりと丁寧に五徳を擦り焦げを落とす。焦げ付きが完全に落ち、黒い染みが消えたら、五徳を拭き油分が無いか確認する。付着している油分が強力な焦げになるからだ。
仕上がった五徳は良く乾かし、水が無くなった所でレンジに戻す。水があるとレンジの火が付かなくなるからだ。必ず良く乾かしてそっとレンジへ戻そう。
このように厳かに松の内の儀式は完了する。今年の料理の出来を予見する大変重要な儀式と言えるのである。
■ゆっくりと5Kmコンディション整いました。
■さぁ、明日から3週連続で10Kmレースです。スピード・トレーニングのイメージで望みます。「ウムチ、ツヅチ、ハルチ」が付いているのだ。
松の内の最後の儀式として「包丁を研ぐ、五徳を洗う」を選んだ。そんな事は昨年の内に済ましておけとおもうかも知れない。確かにそうだ。新年には切れの良い包丁を使い、美しいレンジ台を使うと言うのが常識的なのだ。
しかし、年末の大掃除は大変だ。考えてみ手欲しい。網戸の掃除、キッチンの棚の拭き掃除、床磨き、風呂掃除、掃除する場所を思い描いただけで疲れ切ってしまう。
それなら、包丁を研ぐという儀式は、新年のために取っておくというのが良い考えではないか。羽織袴に身を包み白い鉢巻を絞めて、包丁を研ぐ、想像しても新年の儀式として荘厳な感じがする。
まるで刀鍛冶になった気分だ。これを新年に回さない理由は無い。そんな理由で包丁を研ぎを行う。白い羽織袴で包丁を研いだのかは内緒であるが、兎に角、2時間をかけて3本の包丁をきっちりと研ぎ上げた。
包丁といってもプロの持つような物ではない。2本の文化包丁と、魚をさばく為の小さな出刃包丁である。WENGER製パン切包丁も一本持っているのだが、これは既に1年以上使っているのに、まだまだ良く切れる。
パンを切っているうちにまな板まで切れてしまうので、今回の「研ぎ式」からは除外した。対象の3本の包丁は、どこでも売っているような無名の包丁だ。その中の一本は、実家を出るときに母から譲り受けたものだ。
もう何度も研いでいるので刃は原型を留めていない。愛着のある一品だ。刀がそうであるように名のある包丁鍛冶に鍛えられた包丁はもの凄く切れるに違いない。仮にそんなに切れる物であっても新しい包丁は買わない。
野菜を切る、肉を切る、魚を切る。お客様の為に切る訳ではない。自分の料理の為に切るのだ。だから自分で愛着も持てる包丁を大切に使えば良いと思う。そう言った信念を持つ事が大切なのだ。
使う砥石は、いつも3種類だ。正確な名前は知らない。先ず、木でできた箱から粗砥石を出し、透き通った水の中へつける。浸す容器は砥石が水から顔を出さなければ何でも良い。中砥石、最後に仕上砥石と順に浸していく。
一番好きな時間だ、砥石が水の中で呼吸をするように、少しずつ水を吸う。耳を澄ませば砥石の呼吸が聞こえるようだ。硬い砥石が生き物のようにコトコトを音を立てるうに小さな泡を立てる。それと同時にこれから向かう砥ぐという仕事のために心が研ぎ澄まされる。
もし包丁に刃こぼれがあるようなら、粗砥石を使うが刃こぼれが無ければ中砥石で十分だ。粗砥石で刃こぼれを修正する作業はカットする。昨年は包丁をかなりの頻度で研いだから、刃こぼれは見つからない。
従って「研ぎ式」は中砥石から始める。包丁の柄を軽く握り、刃を自分の方へ向け、角度を60度前後に保ち、精神を集中する。刃に角度を付けるように少し立て、手前から押すように砥石の上を滑らせる。
この作業を、丹念にそして丁寧に繰り返し続ける。刃全般の研ぎ澄まされ方を確認し、全体が均等に仕上がれば次は仕上げの工程に移る。仕上げも中砥石とやり方は変わらない。使う石が違うだけだ。こうやって3本の包丁を満足いくまで研ぎ澄ます。
最後に仕上がった包丁の水分を落とし、丁寧にサラシに包んで出来上がりである。出来上がった包丁を祭壇に祭るかどうかは(そんのやるわきゃない)個人の自由だ。
こうやって我が家の「研ぎ式」は厳粛に終る。そして次は五徳洗へ移っていく。この儀式も実際は年に数回は行われるが、松の内に、昨年の料理への感謝と今年の料理への願いを込めて行う事にしている。
開始前に「「開儀式」をするのかは知らない。しかし、レンジ周りに油や焦げ付きが無いことが前提だ。せっかく五徳を綺麗にしてもそれでは意味がないからだ。綺麗になっているレンジ台を見て「ニヤリ」と出来たら「五徳洗い」に仕掛かろう。
こびりついた焦げを専用の焦げ取り様の研磨剤付きスポンジを水に浸し、ゆっくっりと丁寧に五徳を擦り焦げを落とす。焦げ付きが完全に落ち、黒い染みが消えたら、五徳を拭き油分が無いか確認する。付着している油分が強力な焦げになるからだ。
仕上がった五徳は良く乾かし、水が無くなった所でレンジに戻す。水があるとレンジの火が付かなくなるからだ。必ず良く乾かしてそっとレンジへ戻そう。
このように厳かに松の内の儀式は完了する。今年の料理の出来を予見する大変重要な儀式と言えるのである。
■ゆっくりと5Kmコンディション整いました。
■さぁ、明日から3週連続で10Kmレースです。スピード・トレーニングのイメージで望みます。「ウムチ、ツヅチ、ハルチ」が付いているのだ。