「Lost Decade and The Wall #7 Epilogue 」

ベルリンの滞在も最終日になった。朝から不機嫌なウーブをなだめてその日は、バウハウス展示館を見学しに行く事にした。幾つかのバスや市電を乗り継いでバウハウスの展示館にたどり着いた。バウハウス博物館はとても解りにくい場所にあって、もしウーブがその場所を知らなかったら、きっとそこへ辿り着くことはできなかった。

バウハウスは、1919年~1933年までにワイマールに設立された先進的な「造形芸術学校」だった。その概念は、建築の他に美術や写真、工業デザインの分野に発現した「ムーブメント」の意味を示す事もある。その造形美は、近代建築においてアール・ヌーボー等と比較されたり、評価されたりする。1919年に「造形芸術学校」は創設されたが、学校はデッサウに移り、最終的にベルリンに移転した。1933年になるとナチスの圧力で閉校に追い込まれたが、その教育システムや理念は現在でも高く評価されている。

バウハウス展示館は、この造形美術学校「バウハウス」が残した資料を展示した資料館であり、創設者であるヴァルター・グロピウスが設計を行った。その後、建設予定地がダルムシュタットからベルリンに変更され建物の建設環境が変わったため、アレック・クヴィジャノヴィッチによって全面的に設計変更が行われ現在の形になった。

かまぼこを縦に並べたような概観は今見ても斬新的なデザインだ。展示館の中は当時バウハウスが設計した家屋などの建築物の写真やモデルに加え、椅子や家具の実物が展示されていた。現在では良く見られるカンチレバの椅子であるが、当時新しくデザインされた斬新なカンチレバタイプの椅子に座る事に勇気が必要だという逸話は有名だ。

さて、展示館は思ったより小さいので1~2時間をも見学すると展示物は全て見終わってしまう。ドイツ語を理解できればさらに興味深くこの展示館を見ることができるのだろうが、残念ながら理解できなかった。ハノーハーの空港に立ち寄った時にドイツ語で表記されたトイレの男女の区別ができなくて困った事がある。その程度の語学力だった。

そのトイレには、男女のシンボルらしきものも書かれておらず、そこがなんとなくトイレという事はわかるのだが、実際にどちらが女性用なのか男性用なのかわからない。英語読みに従ってその入り口へ向かうと、いきなり女性が出てきた。「W」で始まるからといって女性用という短絡的な発想で望んだのが間違いだった。

いつだったか、パブでウーブに「ビールが飲みたいから買ってきてくれよ」と頼むと「僕はウエイターじゃないよ、1とか2杯ぐらい話せるだろ」と怒られたことがあった。言葉が通じないのは不便な事だ、でも言葉が解らなくても旅では常に「チャレンジ」という気持ちを忘れてはいけない。それはある意味、旅の目的であり醍醐味でもあるのだ。自分自身を成長させる機会であると言うことをウーブは思い出させてくれた。ただ女性用のトイレへ入って逮捕されても洒落にならないが。

展示館を出ると歩いて近くの運河へ行った。そこには船着場があり、そこからベルリンの市内を回る船に乗ることができる。西ベルリン市内といっても森もあればこういった川や湖もある美しい自然が豊富な場所だ。
市内に住む人々は都会の喧騒を忘れるためにドイツの森や湖へやってくるのである。川や湖にはびっくりするぐらいの豪華なクルーザーが沢山停泊していて、西ベルリンの裕福さを象徴していた。
小さな船の船上は本当に気持ちが良かった。緩やかな川の流れの中を漂うかのようにゆっくりと船は進んでいく、周囲の森の木々が川縁までせまって、その奥は深いドイツの森が続いていた。それでもその場所がベルリンであると言うことをいやでも感じさせるのは、あのテレビ塔が空と森の境目から我々を監視するかのように姿を現すからだ。

1時間船に揺られていると船はフラットの裏手にある船着場に貯められた。ベルリンでは都市と森都市と自然の調和が十分に考えられていた。自然の近隣に都市が形成され、都市の近隣に自然が形成され都市と自然の一体感を感じる事ができた。それはある意味でドイツ人の合理性と民族性に集約できるのかもしれないと思った。

角の小さなトルコ料理屋でケバブを買い、それを食べながらあの螺旋状のオーバル階段を昇った。部屋に戻ると散乱した荷物をバッグに詰め込み東ベルリンの空港へ向かった。ウーブとは彼の家で別れた。一度ハグを交わすと何も言わずに扉を閉めた。それでいいのだ。

空港行きのバスは西ベルリンのターミナルから出ている。東ベルリン空港専用バスなのでこのバスに乗り込むと簡単に国境を越える事ができるが行き先が東ベルリンの空港内に限られる。こじんまりしているが綺麗な空港だった。やはりここもプロパガンダの象徴なのだろうか?

そして数十分後、その空港から日本へ向かうジェット機は、中継点であるモスクワに向けて飛び立っていた。ペレストロイカに端を発する冷戦の終了、ベルリンの壁の崩壊はそれから何年たってからのことだったのか?それは東西の壁の崩壊共に始まった長く苦しい90年代の始まりだったのである。

今日は7.1Kmきっちりと走りました。室内トレーニングです。
明日はトレーニング休みの日です。ボクシングの応援で、後楽園ホールいきます。
「第35回 チャレンジバトル」
ガンバレ! 勝てよ、リングサイドで大声だして応援するぜぃ。

追加:ほんちょこと怖い話…我が家のバランス・ボールは突然グルグル転がります…怖いです。