「Missing Links #4」
ビデオのプレィボタンを押す。デッキがジーっという音と共に動き出す。先ず画面に映しだされたのは、モノクロームで映し出される古い日本の結婚式の風景だった。突然、新郎である主人公がその席で自分が犯罪者である事を叫ぶ、列席者は誰も動じずその叫びを聞いている。
場面が変わり、他人の店の中、主人公が叫ぶお前は犯罪者だと。そして皇居前、主人公が車に積んだスピーカーを通して叫ぶ、天皇は犯罪者だと。フィルムの画面は素人が撮った映像らしく手ブレで見にくい。
そしてクロノロジカルにストーリーが展開していく。観ている時間は何分だったのか、思考が画面を離れストーリーの中へ飲み込まれていた。我に帰ると砂嵐のようなホワイトノイズになっていて乾いた砂漠に一人取り残された気持ちになった。
フィルムの中に映し出されていたのは、戦後の日本社会、先の大戦中行われた旧日本軍の所業を言及したものであった。
太平洋戦争の時代に旧日本軍が行った南方の島で起こった事実を、当事者の証言を通じまた、当事者を主人公自ら追及して事実を探っていき、ドキュメンタリーとして戦後の人々に伝えるメッセージ・フィルムで、内容は衝撃的だった。
戦争(冷戦)がまだ残っているベルリンに居て、フィルムの中の世界へ閉じ込められてしまったような気持ちだ。
ベルリンという特殊な空間がそう思わせたのか、国内でそのフィルムを観ても同じようにフィルムの中へ閉じ込められてしまうのか分からない。肉体と精神の繋がりが鋏で糸をきるようにプチンと音を立てて切り離され、画面から発生する衝撃波に乗って遠くの知らない所に連れ去られたような気持ちになっていた。
フィルムが終わり何分か経つとウーブが外出から帰ってきた。何も言わずとも何があったのか、即座に理解したようだった。ウーブは一言も口をきかず自分の部屋に入りそのまま次の朝まで出てこなかった。
次の日まで顔を合わす事も口を利くこともなく、こちらから彼の部屋へ入り何か話す事もなかった。何か話さなくてはと思った。でも、誰とも話しをする気にはなれなかったし、自分の言葉を発する事もできなかった。
ウーブもそれを理解しているようであり、夕食の時間になっても部屋から出てこなかった。翌朝やっと気持ちが落ち着いて話をする事ができるようになった。朝食を食べに出てきた勇気を出してウーブに聞いてみた。
「あの話は本当の事だったの……?」
ウーブその質問に対しても何も答えようとしなかった。考えればそれはとても恥ずかしい質問だ。自分の国で起きた歴史的事実を外国人に聞く事自体が間違っていたのだ。ウーブは沈黙を通した。
それは自分自身で確認しなければいけないのだ。彼の言いたい事はそういう事だったに違いない。事実を自分で確認し認識しなければいけない、そういうことなのだろう。
ベルリン……そこは第二次世界大戦の傷跡が多く残されており、冷戦の中にあってそこは未だ終戦は迎えていない街だった。ウーブのフラット……西ベルリンの繁華街の中心ツォー駅の近くに位置していた。
西ベルリンのほぼ中央にカイザーヴィルムヘルム記念教会がある。この教会は第二次世界大戦に悲劇を今に伝えるのと、戦争への戒めとして空襲を受けた時のまま残されていた。半分崩壊したその教会の壁には火薬の燃えた煤で黒い染みや銃弾の痕跡が残されており、その様子で戦争の凄まじさや恐ろしさが分かる。
1940年に始まり世界を巻き込んだ戦争のドイツの敗戦による戦争終結の過程で、首都ベルリンは、地理上ドイツ領土のかなり東寄りで非常に微妙な位置していた。ソビエト連邦が東からアメリカ、イギリスを中心とする連合軍が西からドイツを攻略することによりドイツは東西分断された。
第二次世界大戦の終焉は、同時に資本主義体制と社会主義対戦の東西対立の始まりでもあった。敗戦国ドイツの首都ベルリンは、東ドイツ(ドイツ民主共和国)の丁度真中に位置した。戦争に勝利したアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦ら連合国は4カ国で分割占領する事になった。
当初連合国側は、共同で統治する機関をベルリンに設置して統治しようと計画した。しかし、2つの主義体制の対立が明確になるにつれベルリンの構図は変化した。最初に攻め入ったソ連がベルリンの東側半分を取り、米英仏は西側半分をほぼ3等分して占領した。
その分割占領が東西ドイツの悲劇の始まりとなり、大きな2つの主義体制の台頭によりドイツは完全に2国に分断された。米英仏の資本主義体制とソ連の社会主義体制の対立が拡大すると、影響がベルリンにはっきりと現れた。2つの異なる社会体制が東西に分かれて社会構造を構築し、その体制をベルリンで主張を始めた。
ベルリンは地理上、東ドイツの中央に位置し西ベルリンは東側体制の中に浮かぶ孤島になった。社会主義体制が適用された東側で人々の生活には制約が多かった。社会主義体制下では、企業の経営方法は政府が実権を握りその支配は政府が中心となった。
……ウーブのフラットの窓から見える屋根の向こうには深いドイツの森があった。森の先には白い壁が長く続き、その向こうには巨大なテレビ塔が見えた。テレビ塔は、西側の人々を監視するかのように不気味に聳え建っていた。
ビデオのプレィボタンを押す。デッキがジーっという音と共に動き出す。先ず画面に映しだされたのは、モノクロームで映し出される古い日本の結婚式の風景だった。突然、新郎である主人公がその席で自分が犯罪者である事を叫ぶ、列席者は誰も動じずその叫びを聞いている。
場面が変わり、他人の店の中、主人公が叫ぶお前は犯罪者だと。そして皇居前、主人公が車に積んだスピーカーを通して叫ぶ、天皇は犯罪者だと。フィルムの画面は素人が撮った映像らしく手ブレで見にくい。
そしてクロノロジカルにストーリーが展開していく。観ている時間は何分だったのか、思考が画面を離れストーリーの中へ飲み込まれていた。我に帰ると砂嵐のようなホワイトノイズになっていて乾いた砂漠に一人取り残された気持ちになった。
フィルムの中に映し出されていたのは、戦後の日本社会、先の大戦中行われた旧日本軍の所業を言及したものであった。
太平洋戦争の時代に旧日本軍が行った南方の島で起こった事実を、当事者の証言を通じまた、当事者を主人公自ら追及して事実を探っていき、ドキュメンタリーとして戦後の人々に伝えるメッセージ・フィルムで、内容は衝撃的だった。
戦争(冷戦)がまだ残っているベルリンに居て、フィルムの中の世界へ閉じ込められてしまったような気持ちだ。
ベルリンという特殊な空間がそう思わせたのか、国内でそのフィルムを観ても同じようにフィルムの中へ閉じ込められてしまうのか分からない。肉体と精神の繋がりが鋏で糸をきるようにプチンと音を立てて切り離され、画面から発生する衝撃波に乗って遠くの知らない所に連れ去られたような気持ちになっていた。
フィルムが終わり何分か経つとウーブが外出から帰ってきた。何も言わずとも何があったのか、即座に理解したようだった。ウーブは一言も口をきかず自分の部屋に入りそのまま次の朝まで出てこなかった。
次の日まで顔を合わす事も口を利くこともなく、こちらから彼の部屋へ入り何か話す事もなかった。何か話さなくてはと思った。でも、誰とも話しをする気にはなれなかったし、自分の言葉を発する事もできなかった。
ウーブもそれを理解しているようであり、夕食の時間になっても部屋から出てこなかった。翌朝やっと気持ちが落ち着いて話をする事ができるようになった。朝食を食べに出てきた勇気を出してウーブに聞いてみた。
「あの話は本当の事だったの……?」
ウーブその質問に対しても何も答えようとしなかった。考えればそれはとても恥ずかしい質問だ。自分の国で起きた歴史的事実を外国人に聞く事自体が間違っていたのだ。ウーブは沈黙を通した。
それは自分自身で確認しなければいけないのだ。彼の言いたい事はそういう事だったに違いない。事実を自分で確認し認識しなければいけない、そういうことなのだろう。
ベルリン……そこは第二次世界大戦の傷跡が多く残されており、冷戦の中にあってそこは未だ終戦は迎えていない街だった。ウーブのフラット……西ベルリンの繁華街の中心ツォー駅の近くに位置していた。
西ベルリンのほぼ中央にカイザーヴィルムヘルム記念教会がある。この教会は第二次世界大戦に悲劇を今に伝えるのと、戦争への戒めとして空襲を受けた時のまま残されていた。半分崩壊したその教会の壁には火薬の燃えた煤で黒い染みや銃弾の痕跡が残されており、その様子で戦争の凄まじさや恐ろしさが分かる。
1940年に始まり世界を巻き込んだ戦争のドイツの敗戦による戦争終結の過程で、首都ベルリンは、地理上ドイツ領土のかなり東寄りで非常に微妙な位置していた。ソビエト連邦が東からアメリカ、イギリスを中心とする連合軍が西からドイツを攻略することによりドイツは東西分断された。
第二次世界大戦の終焉は、同時に資本主義体制と社会主義対戦の東西対立の始まりでもあった。敗戦国ドイツの首都ベルリンは、東ドイツ(ドイツ民主共和国)の丁度真中に位置した。戦争に勝利したアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦ら連合国は4カ国で分割占領する事になった。
当初連合国側は、共同で統治する機関をベルリンに設置して統治しようと計画した。しかし、2つの主義体制の対立が明確になるにつれベルリンの構図は変化した。最初に攻め入ったソ連がベルリンの東側半分を取り、米英仏は西側半分をほぼ3等分して占領した。
その分割占領が東西ドイツの悲劇の始まりとなり、大きな2つの主義体制の台頭によりドイツは完全に2国に分断された。米英仏の資本主義体制とソ連の社会主義体制の対立が拡大すると、影響がベルリンにはっきりと現れた。2つの異なる社会体制が東西に分かれて社会構造を構築し、その体制をベルリンで主張を始めた。
ベルリンは地理上、東ドイツの中央に位置し西ベルリンは東側体制の中に浮かぶ孤島になった。社会主義体制が適用された東側で人々の生活には制約が多かった。社会主義体制下では、企業の経営方法は政府が実権を握りその支配は政府が中心となった。
……ウーブのフラットの窓から見える屋根の向こうには深いドイツの森があった。森の先には白い壁が長く続き、その向こうには巨大なテレビ塔が見えた。テレビ塔は、西側の人々を監視するかのように不気味に聳え建っていた。