「香港で過ごした日々(Hong Kong Blue)」

めまぐるしく行きかう車、街の喧騒、人ごみ、そんな都会の様子を見る時あの頃の香港を思い出す。香港の喧騒に埋もれていたあの頃、あの時間……何故だか香港で過ごした日々を思い出すようになった。

特別な場所でもないし、特別な思い出がある場所でもない。旅の途中で立ち寄った香港のとあるドミトリーの1室で起こった小さな事柄とその劣悪な生活環境が、何故だか懐かしく思えて仕方がない。

小さな窓が一つだけある薄汚い部屋、窓からは西陽が差し込み、壊れたエアコンの下でじっと動かずにいるとじわりじわり汗が滲み出る。空気は多量の湿気を含み、室内はいつもその重たく湿った空気で満たされていた。

4日も取り替えていない染みだらけシーツには汗の酷い匂いが染み込み、時には大きなゴキブリがシーツの上を伝っていた。窓からは熱く湿った空気が容赦なく流れ込んでくる。1日中窓の外を滴り落ちる漏れ水は、雨のようにさえ思えた。ただでさえ湿気が多いのに、梅雨時の雨の様に漏れ水は窓の向こうを休み無くヒタヒタと滴り落ちていた。

何もする事もなく動く気力もない。二段ベッドの上段に座ってなるべく腹を空かせない様に運動を避ける。西へ落ちる陽が深く部屋の隅まで差し込み肌が焼けた。太陽を憎むか、または太陽から憎まれるかどちらかだ。太陽の光が届かないベッドの隅で死んだ魚のように身動きもせず、染みが付いて地図のようになった天井をうつろいだ目で眺め、その地図の先を探っていた。

……ベッドに寝転がり、ヒタヒタと窓の外を絶え間なく流れ落ちる漏水の水滴を数える……意味を持つ事は全て無意味に思える毎日。暑さのために食欲が失せ何日も食事をしないこさえあった。日が落ちると通りの食事の代わりに露天で大量の安ビールを飲み、日が昇る頃、その全てが汗となり自分の体をぐっしょりと覆う。階下のベルギー女性は、夕方、挨拶をすると何処かへ消え、次の日が昇る頃になると知らぬ間にベッド戻っていた。

部屋の直ぐ隣にはダイニングがあった。ベッドルームと同じような染みだらけの白い壁、リノリュムの床、無白木でできたテーブルと安物のスチール製の丸椅子が雑然と並べただけの汚いダイニング、そんな場所で彼女は働いていた。

やけに痩せて細い線の中国人の女性だった。毎朝、朝食を作りにだけ来ていた。食事はだいたい中国粥か、コンチネンタル風、それ以外の献立は見たことが無い。もう、料理が美味しかったのか、不味かったのかも覚えていない。それは、とりたてて美味しくも無く、不味くもなかったのかもしれない。

その頃の香港はまだ大英帝国のコロニーだった。彼女は中国人(チャイニーズ)、いや正しくはホンコニーズだ。ナショナリティ……そんな事はどうでも良い事だ。そこは、間違いなくその当時の香港だった。どんな国籍を持てば正しいのかなんて誰にも答えられない。混沌と野望が隣り合わせに存在する場所だった。

太陽が昇って直ぐにダイニングへ行くことはめったになかった、朝かろうじて覚えた尿意の処理に共同のトイレへ行くときに通りかかるだけだ。午前は二段ベッドの上階のベッドの端に足をダランと垂らして座っているか、丸くなって小さい窓から、じっと窓の向こうにある香港島を眺めているかのどちらかだった。

彼女とは食事をオーダーする以外に話もしなかったし、それ以上の事は知る術もなかった。会うたびに、薄いTシャツにブラジャーをしない胸に浮かび上がる乳首がいつも気になった。細い肩、薄い胸、短い髪。それが彼女だった。

少年と間違えそうな体つき、決していやらしさを感じない風体だったが、ブラを着ける必要性を少なからず感じた。女人街へいくたびに下着屋の前で立ち止まり考えた。でも、良く考えるとどんな理由を付けてそれを渡せば良いのか分からない。肝心なバストのサイズや好みも知らなかった……何処に住んでいるのか、そして最も重要な名前さえ知らなかった。

「あの格好でどうやってエレベーター乗るんだ?」

想像するのがいっぱいで確認することなどできない。エレベーターは、壊れて止まっているのではと思う程音も無くゆっくりと昇降する。いつも満員の通勤電車の中の様だった。十数階建てビルに設置されている物にしては汚く薄暗く狭い、いつ故障しても不思議はなかった。定期点検などあるはずもない。10名も入ればいっぱいになってしまうエレベーターは、いつも満員でアルコールやスパイスの臭いが入り混じり充満していた。女性が一人で利用する事など想像もできない空間だ。

ドミトリーの住人の入れ替わりは頻繁だった。古い旅人が去り、新しい旅人がやってくる。アナログ時計のようにグルグルと毎日が繰り返される。その前の週から部屋のメンバーに日本人が加わった。彼は日本人に全く興味が無いのか、汚らしく無気力な人間に係わりたくないのか、挨拶をしても彼の方から口を利く事は無かった。毎朝最初に部屋から出て行き、夕方の比較的早い時間に大量の荷物を持ち帰た。何かの貿易をやっているらしく、ベッドにはいつも、見たことの無い荷物と書類が溢れていた。

小奇麗な洋服を身に着け、まるで、銀行員ように規則正しい生活を送り、決まった時間に出かけ決まった時間に戻ってきた。日本語のおびただしい書類がベッドの上に散乱し、夜になると寝転がりながら目を通していた。そんな日本人を観察しているうちにいたずらに時間が過ぎていった。生産や創造という概念がいつの間にか消え失せていた。こんな風に香港で無意味で無気力な日々が過ぎ去っていった。

香港島からの夜景は本当に美しい、夕日が落ちるとトラムに乗りビクトリアピークに向かった。香港島の中環まで、ステイしている九龍の沙咀駅(チムサーチョイ)から地下鉄で1駅だ。本当なら夜景を見ながらスターフェリーに乗って行く方がロマンチックなのだろうが、今夜は友達のウーブのお供なので仕方が無い。

その日、ウーブのステイする部屋から、ダイニングで働く彼女が出てきた時には本当に驚いた。ウーブとは4時に彼の部屋へ行く予定だった、部屋の前へ行ってノックをしようと扉へ向かって拳を上げると、中から出て来た彼女と鉢合わせした。いつもと変わらないTシャツ、薄く柔らかい繊維でできた短いスカートそんな格好をしていた。

ちょっと顔をあげきまり悪そうな表情を浮かべ、そのままダイニングの奥へ消えていった。すれ違った時、僅かな香りを感じた。ダイニングにいる可愛らしい少女の物ではなく、成熟した女性が持つ現実的な香りだ。ウーブは当時一人で部屋を持っていた。ここの居住者の多くは、女性・男性問わずにドミトリー内にベッドとシーツ(1週間に一度だけ洗ってくれる)を与えられ、それで生活しなければいけない。

時には、階下や隣のベッドに女性が寝ている事がある。大多数の女性達は、欧州のからやってきた旅行者だったが、例外的に日本人、韓国人、フィリピン人の東洋系の女性も見かけた事もあった。

少しだけ開いたドアの隙間から薄暗い部屋の中にウーブの影が見えた。ノックし開けて入ろうとしたが、まだ衣服を身に着けていない様子だったからドアを開け中に入るのを躊躇した。しばらくするとタオルを腰に巻いたウーブの方からドアを開けて招き入れてくれた。

くしゃくしゃになったベッドのシーツと幾つかの痕跡や残骸が生々しく散乱していた。事の名残が漂っていたが、ウーブは気にも止めていない様子だ。数分前に何が起こっていたのかは想像するまでもないウーブは、約束の予定の時間を躊躇無く1時間繰り下げるとサッサと共同のシャワー室に行ってしまった。

名残の残る部屋に一人取り残され、どのように時間を潰せばいいのかわからない。やるせない気持ちが暗い部屋の空間で行き場を無くしていた。でも、不思議な事に何の感情も湧き上がってこない。

ドミトリーには共同のシャワールームがあるだけだった。幾つかのシャワーは薄いカビだらけの防水カーテンで仕切られていた。隣に女性がシャワーを浴びている時もあれば、タオルを巻いただけの女性とすれ違う事もあった。ほとんど住人はベッドで洋服や下着を脱ぎシャワールームへタオルを巻いていく。それがその場所の生活なのだ。プライバシーは、ウーブのように部屋がある人以外ベッドを囲んだカーテンの中だけだ。中にはカーテンの仕切りも無いベッドもあり、そんな場所にも人々はちゃんと住んでいた。

1時間後に再びウーブの部屋に戻った。すっきりした顔で扉から顔を出す。遅れた事は承知の筈なのに何の謝罪も無い。既に夕方の5時を回っていた。一切の言葉も交わさずに、ウーブを先頭にドミトリーを出た。その時間なら直ぐに夕飯となる筈だった。ダイニングでは夕食は出してくれない。普段はレストランかパブへ行ってビールを飲みながら食事をする。「ダイニング」で彼女を思い出した……考えるととても気まずく、何故か顔が赤らんだ。

言葉もなく歩いた。足はいつも行く裏手の中国料理店の方へ向く。安くて旨いで北京ダックを食べさせてくれるウーブのお気に入りの小さな店だった。裏通りに面した大きなウィンドウに良く焼き上げられた沢山の北京ダックがぶるさがっていた。白米と切り取った北京ダックをプラスティック製の箱に入れてもらいテイクアウトもできる。

「To Go」

そういうとテイクアウト用の箱に入れ、箱とスプーンをまとめてビニール袋へ入れてくれた。ビニールの袋に入ったボックス・ディナーをぶらぶらさせながら九龍の先端にある公園まで歩いて行き、二人で対岸の香港島を見ながら新聞紙に包まれた夕食を無言で食べた。その日は夕方になると気持ち気温が下って久しぶりに晴れ渡り香港島がはっきりと見えた。そこで食事をしている間、美しい夕日が落ちていき辺りが夕日で染まっていた。

白米に北京ダックの切り身とポテトそして醤油とオイスターソースがかけられただけのシンプルな料理だ。1日の終わりの食事としては実に寂しかったが、生きていけるだけの栄養を取るには十分だ。胃の中で物を入れる事でどうにか生きている事を実感する。

プラスティックで出来たスプーンとフォークで食べる、奇妙な中国料理だったが、そんな物の中にも英国のコロニーとすぐそこに横たわる中国の文化の融合を感じないわけにはいかなかった。ウーブは一言も話さず無心にその料理を口に入れていた。

「どう、旨い」

聞くと、首縦に振っただけだ。食事を終えると、ウーブはスターフェリー乗り場の方へは向かわず、尖沙咀駅(チムサーチョイ)駅の方向へ歩き出した。そこから香港島へ向かうにはスターフェリー乗り場の方が近い筈だ。

その日はビクトリアピークへ行き、そこから香港島のクラブへ遊びに行くつもりだった。何故、彼が尖沙咀駅へ歩いたのかは不明だったが目的が果たせれば交通手段など何でも良かった。きっと意味などないのだろう。尖沙咀駅から中環まで行き、そこからトラムの駅までは、徒歩でヒルトンホテルの脇を上って行くのがビクトリアピークへの一番の近道だ。ウーブは地下鉄を選んだ……彼が選び、実行される……それだけの事だ。

トラムは混んでいた。米兵が一番下の席を占拠し争うように大きな声を上げていた。上の席からは日本人のツアー観光客達の大きな話し声が聞こえる。ウーブとの会話は通常は日本語だったが、この時はドイツ語で話し掛けてきた。自然と会話はドイツ語になった。理由はわからない。ウーブが話し、それに合わせるそれだけの事だ……英語と日本語に挟まれてドイツ語で話す……なんとも複雑な気持ちだ。

暗くなった香港の高層ビル群に明かりが灯り、美しい香港の夜景が見える。丁度オフィスには残業する人々が大勢いて一番夜景が美しい時間帯だった。トラムはガタガタという音と、様々な人種の言葉や声を響かせてトラムはビクトリアピークをゆっくりと昇り始める。

コロニーというのは何時の時代でも、何処の場所でも退廃と虚偽に満ち満ちた場所だ。裏通りに居る人や物だけでなく表通りさえもその観念的な支配を免れない。アングラと称される場所だけでなく、表の世界でさえ全て物が暗く湿った得体の知れない薄い影にすっぽりと包みこまれ、そしてモザイクがかかっていた。何もかもが擦りガラスの向こう側の風景のようにぼやけて見える。

もちろんそれは政治的なプロパガンダでもあるしアナーキーな混乱でもある。メインランドとの生活の比較や、人々の虚栄心もその原因なのだ。歴史的な文化から切り離され管理されない自由な精神が、バランスを失いアンダーグラウンドに根づき闇となって存在していた。

冷戦に始まった東西問題はコロニーの闇を一層深いものにしていった。ベトナムやベルリンもその代表的な例であったし、当時の香港は、その闇と自由経済がバランスをとって融合した世界だった。そこには華やかな表の香港経済の何倍もの裏経済が存在し、その構造を変革する事を許さない大きな失望と希望の2つの対極が存在した。香港で過した日々はそんな時代の一時の日々だった。

ビクトリアピークへ行こうと提案したのはウーブだった。昨夜クラブで踊っていると、いつものようにお酒とドラッグで焦点の合わない目でウーブが提案した。

「明日は女の子を誘ってビクトリアピークに行こう。」

やれやれ、いったいどこにその女の子がいるんだ・・いつも彼はこんな調子だ、根拠なんかないのだ。きっとウーブは、メインランド(中国)でも同じ調子で生活をしていたに違いない。

「でも……誰と?」、
「メィリン……」

ウーブは呟いた。

「め・ぃ・り・ん?」

聞いたことのない名前だった。まあ、宛てがあるのだったら任せよう。

「宛てがあるのなら2人で行けばいいのに……誘う理由がかわからない」

不思議に思ったが、その夜は適当に入ったアルコールとマリワナの煙のせいで、深くは考える気力は残っていなかった。広東語が上手く話せないからダブル・デートなんて不可能だ。第一に女の子の当など無かった。

「まあ、なんとかなるだろう。そうしたければ、奴が連れて行けばいいんだ」

それくらいの考えでいた。本当は、朝、ダイニングで料理を作ってくれる物静かな少女の事が頭を掠めた……。九龍のドミトリーに着いた翌日、その日友達になったウーブへその子への思いを話した。

「朝ダイニングで働いている女の子かわいいよね?」

そんな他愛も無い会話から話が盛り上がり、知り合った夜も早速二人でクラブへ行って夜を明かした。話していると、趣味や好みが近い事がわかった。それから数日は深夜になると香港の深い闇の中を二人で徘徊した。果てしなく暗く深い闇だ。あちらこちらに、甘い誘惑がぽっかりと口を開けて待っていた。その深淵に足を取られそうになり堕落に浸る毎日を過ごした。

太陽が昇って暫くすると、ごそごそ起き出し無意味な時間を費やす。そんな生活が続いたが、二人とも頑固に、朝に起き上がるという基本的な生活のリズムを変えなかった。そこで人間でいるためには何でもいい、錨のように現実に繋ぎ止める物が必要なのだった。同期した生活パターンから、必然的に行動を共にするようになり友情が深まっていった。

二人には決定的に違うものがあった。それは民族的な特徴としてプリ・インストールされた性格だ。ウーブはイギリス人のお母親を持ち、ドイツ人の父親持つハーフ特有の融合性を持っていた。さらに堪能な言語能力を活かして、ドイツ語、英語、日本語、中国語の言語が持つ文化的な意味さえもほぼ理解していた。

映画俳優の様な西洋人の容姿を備え、考え方もドイツ人特有の合理的で論理的な解を持っていた。それに反して香港での日本人のアイテンティは無に等しかった、文化性の乏しい国としか見られなく自己主張の出来るウーブとは対照的な位置に居た。

かろうじて規則正しい生活を送っていたがそれも綱渡りのように細いロープの上でアクロバットを演じているに過ぎない、朝食を摂るのは4日に一度程度。ダイニングを手伝っている、少女と顔を会わす事はあまり多くなかったが、会うとその姿は理由も無く胸をドキドキさせた。

ショートヘアのボーイッシュな彼女は、少女からやっと女性に成長したという風に見え、幼さをまだ何処かに残していた。ブラをしない胸がより一層、彼女をピュアに見せていたのかもしれないし、それは彼女が故意に作り出している物なのかもしれない。

ウーブと彼女についてしばしば話をする事があった。最初の頃は二人とも熱っぽく話したが、その頃は、ウーブからは気のない返事を聞くばかりだった。

ピークトラムはゆっくりと展望台に向かって動き出した。ビクトリアピーク(址旗山・チェーケイサン)は標高554mの香港島にある山で、香港の夜景を眺めるポイントとして有名だ。山頂纜車(ピーク・トラム)は1888年に建設された歴史のあるケーブルカーだが、車体がすっかり新しくなりとても100年以上前に作られた乗り物とは想像ができない。山頂の駅までは約10分の道のり。乗客は、英語や日本語、そして広東語などそれぞれの言葉で夜景の美しさを驚嘆していた。

「Wie sagen Sie?」(How do you say?)

ドイツ語だった。ドミトリーを出てから彼ウーブの重い口がやっと開いた。ドミトリーを出るときも、途中のテイクアウトの店でも、ずっと黙ったままだったがやっと口を開いた。

「Was sind Sie talkin ungfahr?」(What are you talking about?)

わざと解らないふりをした。聞いたウーブは再び深い沈黙の中に入ってしまった。

山頂までの途中一番眺めの良い場所でピークトラムは停止する。乗客は一斉に各国の言葉で大きな声で歓声をあげる。眺めの良い席に人が移動するたびに車体がゆれきしんだ。ピークトラムの右側には香港の高層ビル群とビクトリア・ハーバーが広がっている。陽の沈んだ香港の中心街の高層ビルには沢山の灯りがともり、美しい香港の夜景を映し出していた。

ジャパニーズ、ホンコンヤン、アメリカン、皆が歓声をあげている。そんな間も二人の沈黙は続いていた。香港の美しい夜景がぼんやりと見えている。美しい夜景とは反対に重苦しい感情の鬩ぎ合いが風船の中に閉じ込められた空気の様に窮屈そうに留まっていた。

山頂に駅には土産物屋、レストラン、屋上には展望テラスがあった。見回すと山頂へ続く道と、山腹を一周する小路、二つの道が山頂駅から山肌に沿って伸びていた。小路を左へ下りたところに見晴らしの良い展望台があり、夜景の鑑賞スポットになっていた。

当時、香港の夜景は「百万弗の夜景」と言われ有名だった。でも本当に美しい夜景はその場所からではなく、さらに山肌を左沿って少し歩いた豪邸が点在する地域から観る事ができる。10分程歩くと小路を照らす灯りが減って、香港の夜景が闇の中に浮き上がり星屑のような高層ビルの灯りが視界を埋め尽くした。

中環(セントラル)の高層ビル群が直ぐ手の届くところにあるように見下ろせる。香港の夜景が美しいのは市街地の広告や灯りが点滅していないからだと言われていた。市街地に近接する啓徳空港へ離着陸する飛行機が空港と市街地を間違えないよう事故がないように配慮されているためだ。

山沿いの道を少し歩くとアバディーンが見渡せる場所へ着く。有名な海上レストランを海の中に見つけることができる。その場所へも何度も行った事があった。いまさら男二人で来る場所じゃない、「メィリン」はあれからどうしたのだろう。本当だったら彼女がそこいる筈だった。山腹を半周し20分近くも無言で歩き続けた頃、ウーブが再び重い口を開いた

「どうして平気なんだ!?」

「何で怒らないんだ、日本人は?」

何か言い返そうと考えたが、すぐに言葉が出てこない。

「日本人は?」

言葉にカチンと来て腹がたったが確かにその通りだった。あの時もっと怒るべきだった、もっと感情を荒げるべきだった。社会の中でそぎ落とされた感情を取り戻すために旅にでたのではないか、平板な自分の気持ちをなんとかするために旅にでたのではなかったのか。ウーブは日本の事を良く知っている。

ウーブの「日本人」という言葉が象徴するのはそういう事だ。ナショナリズム指したわけでは無い、その出来事と日本国は全く関係のないことなのだ。最初、ウーブがそんな言葉を使った事にも不自然な気がしたが。当時の日本の社会を見れば全くその通りだった。ウーブが日本社会に抱く思いだったのだ。

何も答えずその場を離れ、残る山腹の半周を一人早足で歩くと、登ってきたピークトラムに乗り込み山を下りた。部屋での出来事に象徴される事への文句だった。ウーブの言う日本人が自分の中にも、刻印のように自分に刻み付けられていた。どう言い返せばいいのか?象徴された「日本人」は、ナショナリズムとは無関係だ。彼の考える「日本人」の……「もどかしさ」をはっきりと自分の中に感じる事ができた。自分の曖昧な気持ちと、抑制された感情にむしょうに腹が立った。

中環まで戻ると一人で目的も無く香港島の路地を彷徨った。中環は、香港でも外国籍の金融関係の企業が集中した文字通り香港経済の中心地だ。企業の中に居た頃はそこが生活の中心だった。見上げると、香港経済の成長を象徴する中国銀行ビルや上海銀行ビル、リッポーセンター、エイリアンに出てくるような有機的な形をした高層ビルや、ニューヨークのロックフェラー・センターを思わせるアールヌーボーを模した、美しく特徴的な高層ビルが誇らしげに立ち並んでいた。

でも高層ビルの頂上のオフィスからの雄大な眺めも、その街が占める莫大なキャピタルも、何もかもが無意味に感じられた。ダーク・グレーのスーツを着て、日本とそこを行き来した事にどんな意味があったのだろうか?多くの時間を費やして多額のキャピタルを動かしたが、最後に残った物は一体何だったのだろうか?

クイーンズ通りから山側にはイギリスのコロニーである事を納得させる空間が広がっていた。そこは、蘭桂坊(ランカイフォン)と呼ばれている地区で、ヨーロッパの街角を彷彿とさせる地域だ。投資家の仲間と連れてPUBやクラブ、ジャズ・クラブ、高級レストランを巡り歩いたのもこの辺りだった。そんな思い出は、溶けて流れ出した絵の具のように混ざり合って消えていった。思い出が心の中に染み、頭を染めそして消えていった。

トラムが走る徳輔道中と先のクイーンズ通りとの間に位置する傾斜した路地へ入ると、異次元にスリップしたような光景に出会う。路地は一変して野菜などを売る露店が道を占拠するようにひしめき合っていた。そこには中国(メインランド)の人々の姿があり、それは紛れもなくコロニーの裏であり人間の表の姿がだった。

通り面した、アイリッシュパブでダーツをぼんやり眺めながらギネスを注文した。唇の周囲にまとわりついたクリーミーなギネスの泡を拭きながらグラスを傾けた。一杯目のパイントがなくなる頃、急に頭の中にウーブの部屋のくしゃくしゃになったシーツの光景浮かんできた。手に持ったギネスを一気に空け、2杯(パイント)目のギネスグラスの底が見える頃には、表と裏、2つの香港の間を行き来し疲れ果てた自分を見たような気がした。

「ここはコロニーなのだ……」

そしていつしか、

「もう動く時だ……」

声が頭の中に響いていた。帰りのスターフェリーの上から見たビクトリア・ハーバーの海水は大陸の土を含み深く濁っていた。ギネスを少し飲みすぎたせいだろうか、海面に映し出される香港島も、九龍半島の夜景も、啓徳空港を飛び立つ飛行機も、全てが濡れた窓ガラス越しに見る夜景の様に滲んで見えた。

朝から始めたパッキング、最後のTシャツをバックパックに詰め終わるともう何もすることはなかった。ダイニングへ行って彼女に挨拶をする勇気もない。ウーブとは昨日ビクトリアピークで別れたきりでその後会っていない。何時に出発するかは決めていなかったが、決めた以上早くそうすべきだと思った。

ドミトリーのある尖沙咀は九龍半島の先端に位置しドミトリーはMTR(地下鉄)から歩いて数分の所にあった。有名なペニンシュラホテルもこのチムサーチョイにあり道路を挟んだ所にあった。九龍半島の先端は彌敦道(ネイザン・ロード)を中心にショッピング・センター、デパート、宝石店やブランド品店などが立ち並ぶ場所だ、高級ホテルと繁華街の一角に朽ち果てた汚い高層ビルがドンと居座っている。

荷物のほとんどが着替え……それもシャツとアンダーウェア、ショート・パンツが数枚だけだ。数枚のシャツを洗濯したり、買い換えたりして生活をしていた。そこでの生活は十分だった。ドミトリーの事務所に行き、汗にまみれたシーツと枕カバーを返した。荷物を肩に背負うとあのエレベーターのボタンを押した。恐怖のエレベーターを乗るのもこれで最後になる。

事務所の横にあるダイニングに目を送るが、暗く誰もいる気配がない。結局、誰にも告げずに出発する事になった。部屋には別れを告げるべき人はいなかったし、再会を約束するべき人もいなかった。

エレベーターの扉が壊れそうな音をたてて開く、バックパックを抱えいつものように混み合ったエレベーターに乗り込む。音も無く動き出し満員の人々の息遣いと汗の匂いを感じる。そしていつもと同じ様に「早く1Fに着け」と祈る。

1Fのフロアに着くとジーンズショップ脇を抜けネイザンロードに歩道に立つ、そこから歩いて約5分でMTRの尖沙咀駅だ。空は前日とは違い黒い雲が時折速いスピードで通り過ぎていく、スコールを予感させる雲行きだった。新しい旅立ちにはありがたくない空模様だ。天気もその出発を祝っているようには見えなかった。

「MTRに乗ってしまえば天気など気にする事はない」

自分に言い聞かせ歩き出す。思い残す事は無い自分にそう言って、尖沙咀駅までゆっくりと歩いた。香港の街を効率的に移動するためにはMTRが最も効率が良い、特に貧乏なバックパッカーにとってはエアコンの効いた乗り物はありがたかった。MTRは当時の香港でも「清潔、速い、安全」ということがホンコンヤンの一つの誇りとなっている乗り物だ。でも、蒸し暑い日は特に注意が必要だ、外を歩いた直後に乗ると強く入れられた冷房のために風邪を引くほど程だ。

雨が降り出す前にMTRの駅に着かなければ濡れてしまう。自然と早足になった。空からはポツリ、ポツリと水滴が落ちてくるが、それが冷房から出る水滴か雨滴かはわからない。空を見上げても張り出した古い看板とネオン・サインに阻まれて空は見えない。

本格的な雨が降り出す前に地下鉄の入り口に着いた。改札で定期券程の大きさをした切符を買いプラットホームへ下り、入ってきたMTRに乗り込んだ。扉がゆっくり閉まるのと同時に色々な思い頭の中に浮かび上がってくる。

あの暑い部屋で過した日々、ドミトリーで一緒だった人達、明日からあのベッドは空になってしまうのだろうか?彼らは、そこで暮らした日本人を思い出してくれるのだろうか?そんな筈はなかった。そこ生活は昨日まで誰が寝ていたのか、明日から誰が寝るのかそんな事は誰も皆干渉しないのだ。その場所には時間と空間があるだけだった。誰も昨日を語ろうとはしないし、明日を語ろうとはしない。そんな場所だった。ログとして刻印される事は何も無いのだ。

気になっていた事は、ダイニングの彼女の名前だった。本当に彼女が「メィリン」だったのか。そして気まずいまま別れたウーブの事だった。彼の最後の表情が鮮明に頭の中に浮かび上がってくる。

最終目的地をはっきりとは決めていなかったが、MTRの切符は終点「羅湖(ローウー)」まで切符を買い「深せん」から国境を越えようと考えていた。

「香港には居る理由は何も無い」

もう一度言い聞かせた。中国(メインランド)へのビザは持っていた。中国への旅が香港で過すうちに予定が少し変わってしまったのだ。香港とはそんな街だ。本当の目的を忘れて深い闇の深遠に立ちその奥へ飲み込まれそうになっていた。

電車は約40分で終点の羅湖(ローウー)駅に到着する。改札を出ると直ぐ香港側のイミグレーションがある。改札口の少し前から香港の住民(香港居民)とそれ以外(訪港旅客)とに列が分かれる。訪港旅客」なので列に並ぶ、香港居民の方は、滞りなく進むが、「訪港旅客」のサインのある方は遅々として進まない。いらいらしてパスポートを強く握りしめる。

駅は大変な混雑でごった返していた。中国から帰って来た友人に話を聞いていたが、これほどとは思わなかった。年間にその駅を通過して入出境する人は、年間数千万人を超えると言われている。数億の人口を抱える中国と香港の持つエコノミーのおかげだ。香港側のイミグレーションを抜けると、小さな川があってその川を越えると中国深せん市である。

羅湖(ローウー)駅に到着しておおよそ1時間位経った頃、中国側のイミグレーションをやっと越え「九広鉄道」のプラットホームへ進む。そこから広東省広州への直通列車が出て中国大陸への旅の出発点となる。

プラットホームは通過したばかりのスコールで濡れていたが、もう青空が広がっていた。時折白い雲が風に乗って足早に通り過ぎる。バックパックを背負い、濡れたホームで滑らないように人ごみを掻き分けながら列車向かう。プラットホームには長い旧式の列車が中国大陸に向けて停車している。人々の頭の向こうには中国大陸の平線が広がり、その地平線の彼方に向けて二本の線路が遠く何処までも続いていた。

香港で過した日々(完)