新年あけましておめでとうございます。
残念な出来事に始まった2024年に少し意気消沈しておりました。いろんなことがあるけれども、今ある命を、暮らしを、大切に、と改めて思う次第です。
年末年始、例年持て余した時間を使って1年の活動について振り返りをしている。今回もそんな感じで。
現代は、特に日本人においては多忙な人間が多い。
この記事はこれまでとこれからの「矢野ゾミの活動について書いてある。
時間のない人向けに要点をまとめると
・香川から岡山の山奥に引っ越した
・冬眠する(活動小休止)
・4月にレコ発ライブやるかも
こんな感じだ。
ここからつらつらと上記についての詳細や心情、近況について書いている。2024年の始まり、香川在住での活動終了に伴う、一旦締めのまとめとして綴ったので、興味のある方はどうぞ。
直接会えた人には話をしたり、SNSなどのライブ告知ではお知らせもしたりしていたが、2023年の年末に引っ越しをした。10年近く住んでいた香川を出て、海を渡り、岡山県へ。
隣の県なので近いような気もするが、一言に岡山県といっても意外と広い。今は割と山奥に住んでいる。最寄りのコンビニやスーパーまで車で20分かかる。引っ越した日には雪が積もっていた。
隣の家の庭に植えられた木で採れたみかんのお裾分けを美味しく頂戴し、買い溜めした食材をちまちま使いながら食事をする。
不便の中で温かさを感じる、ささやかで小さな暮らしだ。
ないならないで考える。
工夫する。
やってみる。
無理なこともある。
そういうこともあるさと諦める。
半ば強制的にそんな生き方をすることで、自分の思考を整えていく...というよりむしろ、揉み砕いていくような感覚。
なんでもある暮らしから、相当離れたかったんだなと思う。
村に住むめちゃくちゃ元気な100歳のおばあちゃんとも話した。私の倍以上生きているというのにハツラツとしていて、こちらが元気をもらってしまった。
この周辺には8世帯しかないのだという。この人と人との近さが、嫌になってしまう日が来たりするのだろうか。
これからがどうなるか、考えなかったことはない。
だけどやってみてダメだったらやり直せばいいじゃないか、と前向きに行動ができる人間になれたことには、自分でも成長を感じる。
実はこの転居は確定ではなかったにしろ、1年ほど前からほぼ決まっていた事項であった。
「転居をしない」という選択肢がないわけではなかった。ただ、自分に素直になりたかった。
もちろん、シンガーソングライターとしての自分があったのでめちゃくちゃに悩んだのだけれど。それも含めて、「生き方」を見つめ直すことにした。
2023年の年始に「この1年でやれる事はやる」と書き留めていたが、実際どうだっただろうか。自分でもよくわからない。
だけど残された時間をどう使うか、考えながらは過ごしてはきたつもりだ。
何度か触れたような気もするのだけれど、自分がシンガーソングライターとして音楽やライブをちゃんとやりだしたのは、高松ビートルズに来てから。あの店の演者に圧倒され、ある意味でそそのかされ(笑)、到底自分ではできるものではないと思っていた「曲を描いて歌う」ということも結果的にやるようになっていった。
このブログを見返したところ、本腰を入れて、音楽活動をやりだしたのが7年前。それまでの3年間は、仕事の片手間でゆるゆると音楽をしていた。
ライブに没頭するようになったのは、高松ビートルズをどうにかして存続させたいと思うようになったからだった。
7年前、高松ビートルズを閉めるという話が出た時に、あの場所は残さなければならないと強く思った。
そこから「自分が集客をできるミュージシャンになればいい、そうすれば少しでも役に立てるのではないか」と考えた。その使命感に駆られながらライブをする中で、自分の意識がずいぶんと変わった。
当初あまりにもできないことが多すぎて、自分が未熟すぎて、悔しかった。自分ができることを1つずつ増やしていく。ひたすらどうしたらいいライブができようになるのか、自問自答を繰り返し続けた。
元々私はライブをガツガツとやる人間ではなかった。音楽は好きだが、いつでもライブをやめられる人間ではあった。
県外に出てライブをやるようになったのも、当初の動機は、より良いライブをできるようになるためだった。他県でまだ見知らぬミュージシャンとライブをやり合うことは、自分の不甲斐なさや未熟さをまざまざと感じることができる貴重な機会だった。
その一方でライブを繰り返していくうちに、それ自体の面白みも感じるようになっていった。
瞬間瞬間に生み出される空気感だったり、心をガッと掴まれてしまうような衝動だったり、昇天しそうな音やリズムやノリだったり、言葉選びに光る個性だったり。
それらが合わさって繋がったり、相反したり、パワー連鎖だったりで産まれる「ライブ」という生き物には、配信などの利便性では到底敵わない"シビれ"を感じていた。
またそれを介して、ミュージシャン達や音楽が好きな人たちと知り合えたり、友達になれたりしたのも、根が人見知りの私にとっては思わぬ収穫だった。人とそういう繋がり方ができるということも、ライブをガッツリやることがなければ知り得なかった。
結局10年近くやってきて、高松ビートルズで切磋琢磨しながらやり合ってきた(つもりだった)ほかの演者たちには到底敵わなかった。自分が何かできるようになっていく感覚はあまりなかったのだけれど、ライブを重ねていく中で確実に自分の中で変化はあった。
少し違う側面からの話にはなるが、これまで生きてきていてずっと、自分の中にもうひとり自分がいるような感覚があった。どちらが本物か?探りを入れていたのだけれど結局両方が自分自身だった。
ライブをする中でその自分はより明瞭化した。改名もして、本名に近づける中で表現として昇華させ、受け入れることができるようになっていった。
「矢野ゾミは私に今まで知らなかった世界をたくさん見せてくれた。
そして、それをどういう形になっても受け入れて、ライブとしてトライさせてくれた「ビートルズ」というライブハウス、新谷さんや京さんを始めとしたアーティストの皆、ビートルズにライブを聴きにきてくれていたお客様には感謝している。
本当にありがとうございました。
色々考えたのだけれど、シンガーソングライターとしての活動の根源であった存在のビートルズを離れ、自分自身の人生に目を向けた生活を改めて始めることにした。
元々精神的にあまり強くなく、ライブの度に緊張していた。それが続き、帰宅が夜遅くなったりなどが重なると、体調が悪くなることもあったりした。少しのんびり、自分らしい時間を過ごしたいと思う。
今は転居に伴う荷物の片付けなどに追われ、ようやっと落ち着いて生活ができそうかなという感じ。
これからリズムを探りながら、日常を構築していく。
ライブはやらない。
目的がなくなった以上、自分としてはやる意味がなくなったと思っている節もある。
ただ、せっかくここまで来ちゃったもんで。完全に辞めるという選択肢は今のところない。
ライブの面白さを知ってしまった、というところと、ライブを通じて知り合えたり、お友達になれたりした人たちにまた会ってみたい、というのが理由として大きい。
それから「続けて欲しい」とか「待ってます」とかいう声もいただいているので、少しずつでもやれたりしたらいいかなと。嬉しい限りです。ありがとう。
昨年宣言して作り始めている音源が、春には完成する、はず。
当初私ひとりの弾き語りの音源で、と思っていたのだけれど、せっかくなのでお世話になった高松ビートルズの皆に協力してもらって、合作的な音源「作品」にすることにした。
なので私のレコーディングは終わっているのだけれど、高松の方で他のメンバーによる収録、編集作業が続いている。お力添えをたくさんの方にしていただいて感謝だ。私も完成音源がどうなるのか、楽しみにしている。
本当はこの転居のタイミングでレコ発を、と目論んでいたのだけれど、間に合わず。笑
レコ発が4月に延びた。
でもそのおかげというか。CDできたのに作って終わりというのもなぁ、と思っていたりするので、やっぱり春になったらCDを持って、ライブをして回ることになるんだろう。これは結果論なのだけれど。
もしCDが12月までに完成して、レコ発を引っ越す前にやってしまっていたら、そこで「矢野ゾミを終わらせてしまっていたかもしれない、と。そんな気がしている。
つまりは今、そのくらい燃え尽き症候群的な状態なのだ。そして自分がこうなることは予想がついていた。
だから年末にあるところでは
「CDができたらレコ発でいろんなところまわりたいな〜」と言い、
またあるところでは
「香川在住ライブが終わったらもうライブやめるかもしれない」と言っていた理由がこれなのだ。
自分で言いながらめちゃくちゃ矛盾してるよなぁと思っていた。ここで回収しておく。
要するに一気にやる気をなくした後、おそらくまた、ライブをやることになる。
良いのか悪いのか、どう転ぶかはわからないのだけれど、4月にレコ発、ならびにレコ発ライブが決まっている。
「冬眠」するのだ。
春には目覚める予定である。
根幹を失ったアーティストにどんなライブができるのかわからないのだけれど。これからは自分の価値観で、自分の持っているものを愛しながら、楽しくライブをやっていきたいと思う。
自分の生活基盤・精神衛生を整えて、自分のペースで、表現を配り回る。
ライブの本数は格段に減る。
きっと「矢野ゾミはまた変化していく。
あなたのお気に召さなくなっても、申し訳ない、としか言えない。
誰に何を言われても、もう何も気にしないので。
気が向かなくなったらふわっとやめてしまうかもしれない。それはそれで良いと自分で思う。
歌い方がどうとか、詩をやり直した方がいいとか、作り物っぽいとか、もったいないとか、色々なことを言われて。自分まだまだだなぁと思いながら工夫を凝らしながらやってきた。それはそれで、向上心を持ってライブに挑むためには必要だった。
けれども結局、疲弊して自分がダメになってしまっては元も子もない。
昔から「才能がないのだから努力で埋めなさい」と言われてきた。
ないならないで考える。
工夫する。
やってみる。
だけど
無理なこともある。
そういうこともあるさと諦める。
そんな考え方で、ありのままを受け入れてもらえる場所を大切にしたい。
また一歩踏み込んで、自分を受け入るための生き方にシフトしていきたいと思う。