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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。

はい、久々でーす。
なんだか前回の記事から結構な日数が経ってますが、実は9月に下書きを書いてたものの、纏まりが無かったんで書き直すつもりでいたらもう12月ですってよ、奥様。
という訳で、その下書きの内容には全く触れずに今回の記事は書いちゃいます。

えーとですね、最近は疲れ目が酷すぎるんでわりと早い時間に寝てたりするんですが、ゆうべは久し振りにちょっと夜更かしで2時過ぎに寝ました。
で、今朝は7時40分頃に目が覚めたんですよ・・・家がデカい衝撃音と共に揺れたもんで。

「あ、また大地震!?」

と思って起きたものの、揺れが続かないんで違うと解ったんですが、だとしたらかなり近場で事故でもあったとしか考えられない。
なんて寝ボケ頭で考えてると階下から叫ぶ姉貴。

「大丈夫ですかー!?」

もう事故確定ですよ。
まぁ、家の周辺って、路地に囲まれた住宅地のわりにちっとも閑静な土地ではなくて、家の前の狭い道も交通量がわりと多いし、朝と夕方は通学路で学生もわりと通るんです。
そんな場所なんで、いずれ事故はあるかもなぁぐらいには思ってました。
路地なのにアホほど飛ばして通る車もちょいちょい居るしね。

で、事故は恐らく交差点になってる辺りだろうなと階下に降りて玄関を開けると・・・そこに事故車。
ビックリしすぎて 「・・・は?」 ってなったもの。
そうなんですよ、ウチの玄関前に車が突っ込んでたんですよ
どんな感じかと言うと・・・


こんなんです。
玄関の階段前の壁に突っ込んでるの解りますよね。

んで、この車って進入角度が明らかにおかしいんですよ。
家の前の道って恐らくあえてストレートに繋げてない細道なんで、普通に走ってたらこの角度でこの位置に突っ込むって絶対あり得ないんですね。
要は、この車って交差点方向から家の玄関前まで軽くジャンプして突っ込んでるはずっていう。


おおよその地図です。
見て解る様に、右と上の道はすぐ先で街道と繋がってます。
つまり、家の前の道は街道の裏道になってるので、朝晩の混雑する時間帯は交通量がわりと多く、テメェは入って来てんじゃねぇよクラスの大型車両もちょいちょい通るんですね。
ってか、左方向にも下方向にも少し先に工場があったりするもんで、ホントに当たり前の様に大型トラックが通っててクソ迷惑なんですよ、いちいち家が揺れるんで。

そんな道にも関わらず、道路幅は普通自動車がギリギリ擦れ違い可能な程度なので、それだけでも相応のシビアさはあります。
そして、ちょうど交差点の辺りを見て貰えば解る様に、左右の道路はストレートには繋がってないんですね。
恐らくあえてそうしてる部分もあるんでしょうが、交差部分に神輿殿が建てられてるので、そのせいで直線化が難しいのも大きな理由の一つだと思われます。

ちなみに、祠の右下部分には数年前までかなり樹齢の高い白木蓮の大木があったんですが、現在は切り株のみ残されてる状態です。


さて、事故を起こした車は駅方向から進入して来た様なので、まずは正しい進入角度の図から。
駅方向から侵入して来た場合、1の位置で一旦停止なのは言わずもがなですね、交差点なんだから。
ちなみに信号は無いので、基本的にはカーブミラーと目視で安全確認した後に縦道路を渡る事になります。
1の位置で目視すれば、見え辛い左方向からの車(A)も前方からの対向車(B)も一応は確認可能です。
そもそもこの道を使う人達の大半は使い慣れてる人達だと思うので、ごく稀にしか通常速度で通るアホは居ません。
みんなリスキーな交差点なのを認識して徐行で譲り合います。

図では対向車が来ている場合の進入位置を示してますが、Bの様な対向車が無い場合はもっと余裕を持って進入が可能です。



さて、今回事故を起こした車の軌道ですが、恐らくは図の様な感じになると思われます。
運転手は老婦人でして、こういった事故を起こすからには、決して運転センスに長けた人でもなければ、この道を使い慣れた人でもないんでしょう。
実際、普通ならあり得ない事故です。

駅方向から進入して来た車は、恐らくの辺りから右車線に膨らんだと考えられます。
運転が下手な人ほどこういった極端な軌道を取りがちですね。(※図ではあえて解り易くしてます)

問題なのは3の位置なんです。
つまり、本来なら一時停止すべき位置なんですが、ここで老婦人はアクセルとブレーキを踏み間違えた可能性が高いと俺は見てます。
そうでなければ今回の事故の様に突っ込む事は無いはずなので。

1の辺りから右車線に膨らんだ可能性が高い根拠は、3の位置から5の位置までの軌道を考えた場合、確実に4の位置から斜め進入で真っ直ぐ突っ込んでなければおかしいんですね。
しかし、正しい停止位置からの進入であれば、どう暴走したとしても絶対に5の位置より手前(家の駐車場付近)に激突していたはず。
つまり、軌道から考えると車は確実に右方向に膨らんだ位置から直進で5まで突入しており、その速度も決して徐行程度では無いはずなんです。

本来より少し右に膨らんだ3の位置でアクセルを踏み込んだ老婦人は、恐らくそのまま直進し、4の位置で白木蓮の切り株に乗り上げてジャンプし、浮いた車体でコントロールを失った状態のまま、5の位置に突入したんでしょう。



んで、恐ろしいのはですね、時間帯がちょうど通学時間だった事なんですよ。
ウチの前の道は小中学生がわりと多く通学路として使ってるので、タイミング次第では複数人を巻き込んだ死亡事故になっていた可能性は高いです。
しかも俺の推察では、車体のコントロールが利かない状態で突っ込んでるはずなので、咄嗟にハンドルを切ったところで意味が無かったという事。
もし前方に学生が居たのを見て避けようと考えたとしても、その時点で直撃以外にあり得なかったって事ですよ・・・めっちゃ怖い。

通勤通学で交通量も人通りも多い時間帯にも関わらず、さほど大きい被害も無い単独事故で済んだのはかなり奇跡的な事だと思います。
「あのババァ、運良かったな。」 って俺が言ったら、姉貴は 「良いんだか悪いんだか。」 って苦笑してましたが、紛れも無く運は良かったはずですよ、人殺しにならずに済んだんだから。
まぁ、テメェの怪我はテメェ持ちだから知ったこっちゃない・・・って意味でもありますが。

それにしても、まずなかなか体験する事の無い 『事故目覚まし』 で起こされてしまったので、今日はずっと眠くて不機嫌でした。
ウチの猫もビビっちゃってずっとフテてたんで、マジで可哀想だったなと。
ともあれ、皆様も事故には気を付けて。

ちなみに、自分ちの周りの地図とかを詳細に載せるのもやめましょうw
バレる人にはバレバレですからw


ってな訳で、また近い内に書けたら書きます。
あでゅー。


そういや、前回の記事の編集、後からちゃんとやろうと思ってたのにやってませんね・・・あははん。

ってな訳で、コロナの波も日本は少し収まりつつありますが、世界規模の感染症は世界規模で収まらないと意味が無い(本質的な収束にならない)ので、国内情勢だけ見て安心してる人達は所詮平和ボケだと思いますよ。
とは言え・・・さすがにみんなお疲れでしょうし、あんまり辛辣な事ばっか言ってても憂鬱を煽るだけなんでね、この程度にしときましょうね、ええ。

さて、そんなコロナ騒動が続くつい先日、5月9日に偉大なロックンローラーがまた一人天に召されました。
その名はリトル・リチャード
彼はロックンロール創始者の一人で、単に数々の名曲を残したヒットメーカーというだけでなく、人種差別ゲイ差別と長らく戦い続けた人でもあります。

彼が生まれたのは1932年・・・日本で言うなら昭和7年。
当時の日本政府が同化政策により満州国を建国した他、世界的大スターのチャップリンが来日し、そのチャップリンとの会食を予定していた犬養首相が海軍将校を中心としたテロリストグループによって射殺された年。
海外ではフランスの大統領がロシア移民により射殺され、ボリビアパラグアイが石油資源の利権を巡って戦争を始め、タイではクーデターが起き、ポルトガルでは独裁政権が始まり、ドイツでもナチス党が第一党となってヒトラーによる独裁政権が始まろうとしていた年。
そしてアメリカでは、日本人にとっては悪名高きフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した年でもあります。

世界恐慌の煽りを受け、世界中に暗雲が立ち込めていた大戦前夜のアメリカで、リトル・リチャードはアフリカ系アメリカ人の家庭に生を受けました。
敬謙なクリスチャン一家12人兄弟の一人だったリトル・リチャードは、兄弟達とゴスペル・グループを結成し、そんな活動の中で歌とピアノを学びます。
ところが、その頃から同性愛者だと自覚していた彼は、牧師である父親から疎まれた挙句、14歳で旅芸人の一座へと養子に出されてしまいました。
やがて見世物小屋でプロの演者となった彼は、リトル・リチャードとしての人生を歩む事になった訳です。

プロとして各地を転々とした彼は、先輩プロ歌手達から歌唱法や演奏法、見せ方といったセルフプロデュース能力を吸収し、独自のスタイルを確立させると18歳でレコードデビューを果たしますが、商業的には大失敗に終わります。
そんな折、父親が殺害されたという連絡を受けて故郷メイコンへ帰った彼は、家族を養う為に皿洗いのバイトで生計を助けながら音楽を続けました。

1950年代のアメリカ音楽業界は、黒人音楽(ブルースやR&B)が売れ線として注目されていた頃。
インペリアル・レコードのファツ・ドミノ、アトランティック・レコードのレイ・チャールズといった黒人スターが活躍する中、スペシャルティ・レコードが目を付けた新スター候補の一人こそ、リトル・リチャードだった訳です。

1955年、デモテープを聴いてニューオリンズのスタジオに呼び寄せたリトル・リチャードを見た途端、担当者はそのビジュアルに絶句したとかしないとか。
ド派手な服過剰なリーゼント、そして冗談の様な厚化粧・・・。
今でこそリトル・リチャードの特徴になっているそのファッションスタイルは、ゲイカルチャーの影響が強く表れているものなので、時代的には今よりずっと印象的に映ったでしょうね。

簡単なボーカルテストの後、ランチに連れ出された彼は、レストランバーでオリジナルソングを歌ってみろと促されます。
そこで彼が披露した楽曲こそ、大ヒット曲となった 『Tutti Frutti』
そのパワフルなボーカルを聴いて大ヒットを確信した担当者は、早速スタジオに戻ってTutti Fruttiのレコーディングを始めました。


Little Richard - Tutti Frutti

翌年、Tutti Fruttiは黒人音楽としては異例にして空前の大ヒットを飛ばし、リトル・リチャードの名は一躍音楽界に広まった訳です。
以後、『Long Tall Sally』『Lucille』『Jenny, Jenny』『Keep A-Knockin』『Good Golly, Miss Molly』 といったヒット曲を次々とリリースした彼は、数多のアーチストに多大なる影響を与えた人物として今でも尊敬を集め続けています。

ところが、彼はその栄光を1957年10月を以て唐突に終わらせてしまうんですね。
どういった経緯があったのかは知りませんが、彼は自らステージで引退表明をし、引き止める関係者の声も聞き入れず、残った仕事を片付けると実際に引退してしまいます。
どうやらスターとなった彼は数々のトラブルに悩まされており、心身衰弱に陥っていた様子。
当然、彼がゲイである事実も当時の白人社会では標的として充分な条件だったでしょうから、想像以上のプレッシャーやストレスに堪え兼ねたんでしょうね、恐らく。

それから彼は大学で神学を学び、リチャード・ペニマン牧師として新たな人生をスタートさせると、ロックを ''悪魔の音楽'' として否定し、音楽家としてはゴスペルアーチストとしてのみ活動する程度になりました。
なんか・・・某Xなんとかのボーカリストも似た様な事言ってた過去がありますがw・・・宗教って結局はそういうもんなんですよ、ええ。

ロック創始者の一人なのにロック否定派になり、もはや復帰は無いのかと誰しもが思っていた訳ですが・・・時代は彼を放っておかないんですね。
ここから彼がどれだけ偉大だったのかという事が証明されて行きます。

1962年、かつてリトル・リチャードと同じスペシャルティ・レコードからゴスペルグループのリードボーカルとしてデビューし、やはり牧師の息子として育ったサム・クックとのツアーを回っていたリトル・リチャードは、誰しもが知るヒット曲ではなく、あくまでゴスペルシンガーとしてイギリスのステージに立ちますが、当然ながら集まった観客の期待に応える事が無いまま最初のステージを終えました。
次にステージに立ったサム・クックは、既にソロになってから数々のヒットを飛ばし、代表曲となる 『Wonderful World』 も知られていた為、観客は大熱狂
それを受けてどれだけ悔しかったのか、リトル・リチャードは頑なに封印していたかつてのロックナンバーを次のステージから披露し始め、イギリス中の観客を魅了しました。
すると、ブライアン・エプスタインという男から 「自分がマネージャーを務めるバンドを前座に使って欲しい」 というオファーが来ます。
そのバンドこそ、まだ無名だった頃のビートルズです。

又、ツアーのサポートミュージシャンの中には無名時代のジミ・ヘンドリックスが居て 「俺より目立とうとしてんじゃねぇ!」 と叱られていたり、デビュー前のローリング・ストーンズも前座を務めていたり・・・と、今となれば凄い巡り合わせが色々あったんですね。

そもそも、彼の全盛期は数多のスターに影響を与えるべくして与えたタイミングだったとも言えます。
例えば、白人にして黒人音楽を取り入れたスタイルで大成功を収めたエルヴィス・プレスリー
彼もまたロックスターとして代表的なアーチストの一人ですが、保守的でまだ人種差別が当然だった時代のアメリカにおいて、黒人文化へのリスペクトセクシャルな演出に積極的な姿勢を見せた彼は、やはり相当の批判を浴びたスターの一人です。
そんなエルヴィスに憧れてバンドを始めたボブ・ディランは、高校の卒業アルバムに将来の夢として 「リトル・リチャードと共演する事」 と書いています。
又、ソウルの帝王として知られるジェームス・ブラウンも、当初はR&Bシンガーとしてデビューし、後に独自のファンクへとスタイルを変化させましたが、''ミクスチャーによる新スタイルの確立'' という意味ではリトル・リチャードの影響が少なくはないでしょう。
それから、世代的には少しズレるものの、やはりピアニストのシンガーソングライターでゲイという意味では、エルトン・ジョンもかなりリトル・リチャードに影響は受けてますね。
あ、ちなみに、日本だとトータス松本の歌い方がファルセットこそ使わないけど完全にリトル・リチャードのシャウト歌唱法です。

という訳で、リトル・リチャードは本当に数多のアーチストに多大な影響を与え続けている偉大なロックスターなんです。
そんな彼が亡くなった事よりも、「まだ生きてたんだ!」 って思う人の方が日本人には多い気がしないでもなく・・・ってか、ちっとも騒がない時点で日本にはホントの意味でロックが根付いてないって事がよーく解りますね。

さて、それだけの事を言うからには、俺もリトル・リチャードの影響を物凄く受けてるんですよ。
作り手としてどうのって部分ではそうでもないけど、歌唱法・・・歌の演出に関してはわりと勉強になってます。
まぁ、俺が彼の事を語る場合、同時に語るべきがエリック・クラプトンだったりしまして・・・なんで?って話ですよね。
この二人、俺がガキの頃にTVのCMで聴いて、初めて知ったアーチストなんですね。


[1987年 TDK CM] Little Richard - Long Tall Sally (のっぽのサリー)


[1987年 TDK CM] Derek and the Dominos - Layla (いとしのレイラ)

ハィ、この二本、TDKのカセットテープのCMなんですが、まさにこれを観て当時の俺は 「かっちょイイ!!」 となった訳なんですね。
他にも幾つかあったと思うし、バージョン違いみたいなのもあった気がするんですが、さすがに12歳の頃の事なんでうろ覚えです。
ともあれ、そういう経緯でリトル・リチャードとエリック・クラプトンは俺の中で変に二個一みたいな感じになってまして、CMきっかけならではの出会いでした。


Little Richard - Long Tall Sally (のっぽのサリー)

これはのっぽのサリーのフル尺です。
リマスター音源版もつべにありましたが、あえてこっちをチョイス。
音質だけで言えばリマスター音源の方が絶対的に良いし、昨今は疑似ステレオ処理とかもされてたりするんで臨場感もあるんですが、オリジナルがモノラル一発録りの時代ですからね・・・音質が良けりゃOKでもないのかなと。

それにしてもホントにかっちょ良いんだよなぁ、入りから何から。
んで、ハスキーな声質のシャウトとか、ファルセットとか、この人の良い部分がめちゃめちゃ出てて素晴らしい纏まり。
見た目の ''何か変だぞ感'' も含めてこの人は好きなんだけど、いつも必ず楽しげな顔するのがまた素敵なんですよ。
シャウトが基本でブレスとか結構辛い曲も多いのに、間奏とかで絶対に笑うんだよね、独特な笑顔で。
「ロックンロールってこんなに楽しいんだぜ!」 って教えてくれてる感がたまらんのよね。

なんか、筆書きみたいなヒゲとかさ、コメディアンみたいな目張りとかさ、ヅラっぽい髪型だったりとか、いちいち変な佇まいで良いんですよ、特に晩年ほど。
「だってロックスターじゃん?」 って言われたら納得しちゃう説得力があるっていうか・・・それこそやっぱ、プリンスなんかが意識してたのは間違い無い様な存在感がね、「ロックってこうですよ」 みたいなメッセージを発信してる気がしてとても好き。

さて、この曲はどんな事を歌ってるかと言うと・・・わりとしょーもないです。
ってか、当時の歌なんてそんなんばっかですw
恐らくBGMとしての役割が大きかったんだと思うんだけど、それにしたってしょーもなさ過ぎて素敵パターンが多いのは良いよね、外人らしくてw

この曲、平たく言うとジョンおじさんの歌です。
奥さんのマリーおばさんに隠れて、ジョンおじさんは理想的な長身美女のサリーさんと宜しくやってるんだぜ・・・っていう歌。
ほら、しょーもないでしょw
むしろアレですかね、今時だと浮気者だから不届きで許せんとか、浮気を助長するとんでもない歌だって事にでもなるんでしょうか。
まぁ、そんなん言う野暮なバカは耳にクソでも詰めとけって話ですがw


Little Richard - Jenny, Jenny

これはヒット曲の一つでジェニジェニですが、ちょっと意地悪な見方として面白い曲だと個人的に思ってる一曲。
何が面白いって、当時の一発録りの大変さが顕著に表れてて、曲の終盤になるとめっちゃ疲れてるんですよ、リトル・リチャードw
そこに注目するなんてホント意地悪なんだけど、聴くと毎回思っちゃうんだな、そろそろ疲れて来るぞってw
まぁ、オールディーズならではの楽しみ方って意味では、そういう聴き方もアリじゃないでしょうか。

とにかく、リトル・リチャードは俺にとってルーツミュージックなアーチストの一人なんだけど、ギター弾きなのにチャック・ベリーじゃないんですよ、俺の中でのロックヒーローは。
むしろ、チャック・ベリーはあんまり好きじゃないっていう。
なんというか・・・ワンパターン過ぎて退屈なんだな、チャック先生は。
その点、リトル・リチャードは色んな楽曲があるし、そもそも歌に軸置いてるんで同じ3コードの楽曲だけ聴いてても飽きないんですね。

ってか、チャック・ベリーは昔っから底意地悪そうなジィさんだなーってなんとなく思ってたんだけど、実際そういう節があったっぽくてですね、某ストーンズの某キース・リチャーズなんて、楽屋でチャックのギターを勝手に弾いたって顔面にゲンコツ食らってますしw、大尊敬するチャックの60歳バースデイ・ライブをプロデュースしたは良いけど、そのリハーサルでめちゃめちゃチャックから 「そこは違う! こうやるんだ!」 ってダメ出し食らいまくってますからねw
あれは完全にチャックのマウント取りでしかないんだけど、当のキースは大尊敬する先輩の言う事なんで一切逆らわないっていう・・・あんただって大概レジェンドだろってぐらいのキースがね。


Chuck Berry Hail! Hail! Rock 'N' Roll リハーサル

ハィ、ダメ出しされるキースの様子。
言ってもキースはちょっと緊張してるっぽいんだけど、ダメ出しされても上手く出来なくて空気がピリついてる感が伝わって来ます。
どっちもジジィだけに余計味わい深くておもろいんだよな、これ・・・。

ま、そんな逸話なんかも込みで、俺にとってのチャック・ベリーは面倒臭そうな偉人って感じ。
そんなチャック爺さんも長生きしたけど死んじゃってますからね、そりゃあリトル・リチャードだって召される頃合いではありますよ。


It's Little Richard (1964)
これは1964年のイギリスのTVショーの映像だそうな。
演者も観客も楽しそうで良いっすね。

彼はいつまでも偉大なるロックスターです。
R.I.P.



ハィ、あっという間に二ヶ月も経ってしまいましたが・・・世界規模でとんでもない事態になっちゃいましたね。
なんだかこう・・・何につけモチベーションが上がりません。
だから更新も出来なくてですね・・・って、そりゃ嘘だけどw
でもまぁ、ホントにこういう事態になっちゃって、まさかの志村けんの死なんかがあって、ちょっとばかりメンタルが疲れちゃってるのは事実。

いやぁ・・・志村がコロナに殺されるとはねぇ。
主演映画降板って話が出た時に嫌な予感はしたんだけど、ショック大きかったわ。
まぁ、日本中が大ショック受けたって話ではあるんだけども、笑いを意識して生きて来た人ってのは、単に受け身で笑ってただけの人達とは受け止め方が全然違う訳ですよ。
俺なんかもずっとムードメーカーの立ち位置で子供時代を過ごしたんで、単に笑って観てた以上の影響を受けてまして・・・ある意味で現実的なヒーローの一人というか。

世代的に、漫才ブーム辺りから笑いに関する影響は大きくてですね、その頃のドリフの影響も多大でした。
俺がタイムリーに知るドリフターズは、もうすっかり志村ありきのドリフで、『ドリフ=志村』 みたいに捉えてた訳ですよ、殆ど。
とにかくあの頃の志村けんは神懸かった勢いがあって、ギャグからキャラから次々と披露して、それらをいちいちブームにしてましたからね。
そういうのを俺ら子供は真似したりして楽しんでて、''如何に恥ずかしげも無く真似出来るか'' みたいなトコでクラス人気を獲得してた感があります。
俺らなんかは関東の子なんで、単に ''バカになり切れるか'' というトコで勝負してた子ばっかりだったけど、俺はもう一歩踏み込んで ''間の取り方'' なんかも意識してました。
そういう意味では、関東よりも関西の子みたいな ''笑いに対する意識の高さ'' があったんでしょうね。
だから、小学生時代に対人関係でトラブった事も無いし、いじめとか露骨に嫌われたりとかも皆無でした。
俺にとって、笑いは偉大で万能な武器だった訳です。

当然、そんなのは中学になると通じなくなって来たんですが・・・それでも武器としての笑いに俺は助けられ続けて来たし、『人を笑わせる、楽しませる』 っていうスタンス無くして人間関係の構築も出来なかったので、エンタメ業界の有名人ってのは、俺にとって教科書的な存在でもある訳です。
だからこそ、志村けんの死は師匠が死んだみたいな感覚もどっかあって、負けないはずのスーパーヒーローが呆気無く敵に殺されてしまった様な、そんな衝撃もありました。
とは言え、笑いのヒーローは自分が悲しみのアイコンにされるのを嫌うはずなんで、リスペクトを口にしながらいつまでもブルーになってるのも違うっていうね。

結局、志村けんという偉大なコメディアンを亡くして尚、コロナによるパンデミックは全く収束されずにいる訳で、世界中に立ち込めている暗雲は、そのまま人々の心を映し出している様な状況。
正直、困難ばっかりのクソ人生に慣れてる俺ですらこの現状は多少キツいと感じてるので、普通に生きて来た大多数の人達はよっぽどキツいんだろうなぁと思ってます。
鬱々としたオーラを隠し切れない人達がワラワラ居るし、人類規模の ''挫折'' に動揺と困惑しか出来ない人達もワラワラと見受けられるので・・・ホントに気の毒だなぁと。

それにしても、庶民に金をバラ蒔いて善人振ってた悪趣味なあの社長とか、こういう事態にはちっとも金蒔かないのな。
俺ならとっとと風俗業界とか二丁目界隈なんかに大金落としてるけどね、一生感謝され続けたいなら。
ってか、政府の対応も酷すぎだから、コロナが終息したらしたで日本の混乱は必至ですね。
国防で戦闘機だのミサイルだの当たり前に買ってる訳だから、その1つや2つ分を補填に回せば国債発行せんでも済むんじゃねぇの?・・・的なね。
平時じゃない状況下にも関わらず、まるで平時の様に金払いの悪い政府ってなんだろう・・・テロでも煽ってるんでしょうかね。
まぁ、あくまで民主主義国家を謳ってる以上、いざとなれば国民総出の勢いで文字通り政治家共の首を刎ねたら良いんだけどね、それはコミュニティにおける ''正義'' だから。


やれやれ・・・愚痴が止まらんなw
もうね、色々と欲求不満なんですよ、みんなもだろうけど。
なんてのか・・・鬱々と生きるのは俺だけで充分だろとか思いつつ生きてる反面、こういう思いをみんなも少しは実感したら良いと思ってたりもして・・・これぞアンビバレンスw
まぁ、どっかでざまぁみろ的な思いもありつつ、黒く染まり切れない自分に苛立つというか・・・暴れるんじゃなく奇行に奔りたいというか・・・解んねぇか、こんなのw

さて・・・キリがないので駄文はもう止めますw
こういう状況の中、なんか少しでも暇潰しを提供出来る事無いかな~とか考えてて、とりあえず安直なトコで手を打ちました。
要は、極めて個人的なオススメ映画でも挙げようかなと。
なんだかんだ、外出しなくても楽しめるコンテンツとなると、本とか映画とかゲーム辺りが主力だと思うんで、じゃあアホほど観てきた映画の中から推薦は出来るよね・・・っていう。

で・・・。
今回はレビューじゃないからネタバレ無しのスタンスで、ちょっとだけマニア視点でのジャンル別オススメ映画っていう感じです。
あくまで初心者向けみたいなところを意識してるので、玄人チョイスとしては若干ヌルいですw
あと、どうしてもホラー系が多いです・・・ってか、いちいち偏ってますw
まぁ、誰かしらの参考になれば・・・程度のアレです。


ではまず、最初のお題。
俺と言えば・・・というところでゾンビものから。

◆画期的ゾンビ映画!◆
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』  (1968年 アメリカ)  監督:ジョージ・A・ロメロ
『ゾンビ <ダリオ・アルジェント監修版>』  (1978年 アメリカ/イタリア)  監督:ジョージ・A・ロメロ
『28日後…』  (2002年 イギリス/アメリカ/オランダ)  監督:ダニー・ボイル
『REC/レック』  (2007年 スペイン)  監督:ジャウマ・バラゲロ/パコ・プラサ

パンデミック起きてる時にゾンビなんか観たくねぇって話もあるでしょうが、ゾンビありきのあんびなんです(謎)
この4作はですね、どれもゾンビ映画として画期的だった作品でして、『その後のあらゆる作品にも影響を与えてる』 という意味でチョイスしました。

まず上からの2作は、ゾンビ映画の父であるジョージ・A・ロメロ監督による元祖ゾンビ映画。
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』 は低予算インディーズ作品のモノクロ映画で、いわゆる今現在の ''ゾンビ'' というモンスターを定義付けた一本。
ちなみに、他監督によるリメイク版も多い作品ですが、もしリメイク版を観るのであれば、トム・サヴィーニが監督した同タイトル版だけ観たら充分です。

『ゾンビ』 も言わずと知れたロメロ監督の大ヒット作ですが、同じ作品でありながら幾つかバリエーションがあるので、初心者はテンポ感があるダリオ・アルジェント監修版を観るのが妥当です。
これはゾンビ映画の教科書の様な作品なので、一度ぐらいは観て、これが基準だと知って下さいw

『28日後…』 はイギリス映画なので、そもそも他のゾンビ映画と空気感が違います。
この作品は、近年のゾンビ映画で多用される ''走るゾンビ'' を広めた一本で、物語もそれまでのゾンビ映画より現実的に描かれてます。
近代ゾンビ映画としてはこれも教科書的な作品ですが、厳密に言うとゾンビは出て来ません。

『REC/レック』 も近代ゾンビ映画として非常に注目された作品で、やはり全力系ゾンビが登場します。
上記の名作ゾンビ映画を踏襲した上で、手持ちカメラによるPOV(主観映像)を効果的に用いたリアリティが大評判になりました。
モキュメンタリーブームの火付け役として、映像演出の教科書的な位置付けの作品です。

◆ゾンビコメディ映画!◆
『ショーン・オブ・ザ・デッド』  (2004年 イギリス)  監督:エドガー・ライト
『ゾンビ革命 フアン・オブ・ザ・デッド』  (2011年 キューバ/スペイン)  監督:アレハンドロ・ブルゲス
『ロンドンゾンビ紀行』  (2012年 イギリス)  監督:マティアス・ハーネー

正統派ゾンビ映画も良いんですが、コメディ路線のゾンビ映画も名作があります。
但し、そもそもスプラッタ映画のパロディなので、ブラックユーモアとド下ネタが大前提なのは要注意。

『ショーン・オブ・ザ・デッド』 は前述のロメロ監督による王道ゾンビ映画を前提としたパロディ作品なので、ロメロ作品を観てないと面白さが大して伝わりません。
要は、「ゾンビってこうだよね」 を笑いネタにしてる作品なので、いきなりこの作品を観てもダメです。
ただ、ロメロ作品を観た人であれば、この作品が如何にゾンビ愛溢れるものかが伝わるはず。

『ゾンビ革命 フアン・オブ・ザ・デッド』 は、キューバ初のゾンビ映画であり、お国柄の違いが如実に表れてる点でも面白い作品。
非常に笑える作品ではあるものの、笑いどころがド下ネタだったりするので、下品さの耐性は必須。

『ロンドンゾンビ紀行』 は、イギリスらしいブラックユーモア満載のコメディ作品で、いかにもイギリス人が好きそうなシニカルな笑いが豊富。
そういう意味では余り日本人向きじゃないと思うけど、差別的なテーマをバカバカしさに転換してる辺りなんかは秀逸です。

◆スティーヴン・キング原作映画!◆
『キャリー』  (1976年 アメリカ)  監督:ブライアン・デ・パルマ
『ミザリー』  (1990年 アメリカ)  監督:ロブ・ライナー
『グリーンマイル』  (1990年 アメリカ)  監督:フランク・ダラボン

個人的に好きな外国人作家、スティーヴン・キング原作の映像化作品に焦点を当ててみました。
言わずと知れた名作ばっかりですが、数多のキング原作モノでも特に好きな3作をチョイス。

『キャリー』 は超能力少女を扱ったサイキック・ホラー作品として知られてますが、物語的には宗教やらイジメやらとシリアスなテーマを根底に置きつつ、終盤までは学園恋愛モノとして描かれてるので、なかなか複雑で濃密な仕上がりの作品です。
単純なホラーとしてではなく、明暗の展開的なコントラストに注目して観ると良いと思います。
ちなみに、2013年のリメイク版も決して悪くはないんですが、やはりデ・パルマ版の方が完成度は高いです。

『ミザリー』 もキング原作の映像化作品ではかなり有名ですが、この作品はほぼ完全に主演であるキャシー・ベイツの怪演を楽しむ為のもの。
彼女の演じる狂人ほど生々しく恐ろしい存在もないので、''人間が脅威のホラー'' の代表格としてオススメです。

『グリーンマイル』 に関しては、上記2作品と全く違う視点からのチョイスで、内容的にもホラーではなく人間ドラマです。
まぁ、あくまでキング作品なので、物語は当然ながら変化球。
神秘能力を持つ死刑囚と、彼に関与する刑務官達の物語・・・という漠然とした説明しか出来ませんが、この作品の高評価は、主演であるマイケル・クラーク・ダンカンの名演技に尽きると言って良いでしょう。
個人的には主役である死刑囚コーフィに思いっきり感情移入して号泣必至なのでw、疲れ果てるのを覚悟しないと観られない作品の一つです。

◆サイコスリラー映画!◆
『エスター』  (2009年 アメリカ)  監督:ジャウム・コレット=セラ
『ヴィジット』  (2015年 アメリカ)  監督:M・ナイト・シャマラン
『哭声/コクソン』  (2016年 韓国)  監督:ナ・ホンジン

単なるスリラーよりも毒素多めなサイコ系のスリラー作品からチョイスしました。
どれも癖が強いんですが、どれも印象的な不穏さを楽しめます。

『エスター』 はサイコ・ホラーという括りにされてる事が多いんですが、日本でカテゴライズされるホラーとはちょっと違います。
大枠で言うと前述の 『ミザリー』 に近いところがあって、人コワ系の話ですね。
エスター役のイザベル・ファーマンと、マックス役のアリアーナ・エンジニアという子役二人の名演技が必見です。

『ヴィジット』 はシャマラン監督の得意とする ''正体不明の脅威モノ'' の中でも一番優れた作品だと思います。
不穏さの程度が絶妙で、主役がまだ大人になる手前のティーンエイジャー二人という点もキモになってて良いですね。
ただ、子供に観せるとトラウマになりかねない話でもあるので要注意w

『哭声/コクソン』 は、韓国映画では初めて文句無く名作だと言い切れる作品ですが、かなり複雑な仕上がりになってる事もあり、極めて観る人を選ぶ作品でもあります。
又、意図的にミスリードを誘う演出も多いので、一度観て全体を把握するのはほぼ不可能でしょう。
それと、國村 隼さんが主要人物として登場するものの、宗教観に乏しい日本人にはそもそも向いてない作品なので、國村さん目当てで観ても恐らく理解出来ないと思います。
いずれ完全解説をUP予定ですが、ややこしい話なので当面先になるかと・・・。

◆賢い人向け!◆
『スーパー・サイズ・ミー』  (2004年 アメリカ)  監督:モーガン・スパーロック
『エクス・マキナ』  (2015年 イギリス)  監督:アレックス・ガーランド
『LUCY/ルーシー』  (2014年 フランス)  監督:リュック・ベッソン

恐らく凡人の頭では理解出来ないであろう、ちょっと頭働かせないとダメですよ的な作品をチョイスしました。
前述の 『哭声/コクソン』 なんかもこの系統ですが、テーマ的にこの3作はもう少し意識高い系に仕上がってる感じ。

『スーパー・サイズ・ミー』 は、基本的におバカ系ドキュメンタリーの括りなんですが、最終的にはあんまり笑えない話になるというか、かなりシリアスなテーマに辿り着く作品。
''人はマクドナルドのメニューだけの食生活を続けるとどうなるのか'' という、一見して緩い実験企画から始まるドキュメントですが、やがて問題はアメリカの食文化自体を捉えたものになり、なかなか興味深い話になるんですね。
なので、多少頭で考える準備がないと観ても無意味です。
まぁ、導入が緩いので、変にエンタメを期待して観ちゃう人は多いのかも。

『エクス・マキナ』 はSF系のスリラー映画なんですが、世界観からもう小難しさが溢れてます。
物語自体は起承転結を追うだけで解ると思いますが、細かい部分で咀嚼しないと理解出来ない部分があるので、変に面倒臭い映画になっちゃってますね。
とりあえず、ロケを行ったノルウェーの風景が綺麗なので、機械的な部分との対比を楽しむのも一興かと。

『LUCY/ルーシー』 は、リュック・ベッソン監督お得意のスピード感溢れるアクションに加え、以前の作品からも漂わせていたインテリジェンスなテーマを前面に出したSF活劇。
主役ルーシーを演じたスカーレット・ヨハンソンも素晴らしいんですが、個人的には常人から超人へと進化するルーシーの思考変化の演出が見事だと思います。
漫画的な展開による ''嘘'' もありますが、そこも含めて痛快さが感じられました。

◆ワンシチュエーション映画!◆
『フォーン・ブース』  (2002年 アメリカ)  監督:ジョエル・シュマッカー
『CUBE キューブ』  (1997年 カナダ)  監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ

主たる舞台を一つの空間に絞り、アイデア勝負で物語を展開させるのがワンシチュエーション作品です。
低予算で済む反面、単調にならない工夫が必須になるので、ワンシチュで高評価された映画はハズレ無しです。

『フォーン・ブース』 はタイトル通り電話ボックスを舞台にしたサスペンス映画で、謎の狙撃手によって電話ボックスから動けなくなる男の話。
殆ど一人芝居に近いコリン・ファレルの演技が見事です。
物語としてもしっかり展開があるので楽しめると思います。

『CUBE キューブ』 もあらゆる作品に影響を与えたワンシチュのホラー作品なんですが、とにかくアイデアが多彩で素晴らしいんですよ。
シンプルな脱出劇ではあるものの、舞台設定による万能な展開が無駄の無い怖さを演出してます。
若干のグロ描写もあるので、子供には見せない方が賢明かも。

◆コメディ映画!◆
『スクール・オブ・ロック』  (2003年 アメリカ)  監督:リチャード・リンクレイター
『キラー・メイズ』  (2017年 アメリカ)  監督:ビル・ワターソン

純粋に楽しめるコメディ作品は数多あるんですが、そんな中でも個人的に好きなのをチョイスしました。

『スクール・オブ・ロック』 は、単純に俺がジャック・ブラック好きというだけで選びました。
彼もかなり色んな作品に出てますが、この作品が一番ハマり役だった気がします。
まったく、ジャック・ブラックに ''愛すべきイカレ野郎'' を演じさせたら間違い無しですね。

『キラー・メイズ』 は一風変わったファンタジー・ホラー作品で、シリアスに作れば作れる話を、あえてダンボールという素材に固執する事でコメディに仕上げている変な映画です。
言うなれば ''人喰いダンボール・ホラー'' といった感じの冒険ファンタジーなんですが、いちいち素材のチープさが際立つので、普通なら怖いシーンほど笑えてしまう・・・みたいな。
まぁ、今回はネタバレしないので、バカバカしいのが好きなら是非とも観て下さい。

◆なんとなくほっこりする映画!◆
『ラブ・アクチュアリー』  (2003年 イギリス/アメリカ)  監督:リチャード・カーティス
『フランケンウィニー』  (2012年 アメリカ)  監督:ティム・バートン

こういう時だからこそ、なんだかほっこりしたいって人も少なくないと思うので、とりあえず思い付いた2作品だけ挙げてみました。

『ラブ・アクチュアリー』 は、もうベタ中のベタですけども、とにかく素晴らしい群像劇ですね。
クリスマス映画ってイメージが強い作品ですが、テーマは人間愛だからあんまり意識しなくて良いと思います。
個人的にはビル・ナイ演じる落ちぶれロックスターのビリー・マックが好きですね、キャラ的に。
あと、さすがとしか言い様の無いローワン・アトキンソンの存在感ね。

『フランケンウィニー』 は、ティム・バートン監督自身によるリメイク版の方をチョイスしました。
実写映画の評価も高いティム・バートンですが、元々アニメーターとして高評価されたのがこの作品のオリジナル版なんですね。
基本的にティム作品は総じて好きなんですが、個人的には盟友である作曲家のダニー・エルフマンの映画音楽も大好きなんですよ。
ちなみに、特に好きなサントラは 『ビートルジュース』 です。

◆ジャンル無関係で素晴らしいドラマ映画!◆
『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』  (1985年 スウェーデン)  監督:ラッセ・ハルストレム
『ぼくのエリ 200歳の少女』  (2008年 スウェーデン)  監督:トーマス・アルフレッドソン
『死の恋人ニーナ』  (2015年 イギリス)  監督:クリス・ブレイン/ベン・ブレイン

ここでピックアップした3作は、俺が今まで観た数多の映画の中でも五本の指に入る秀作です。
勿論、好みはそれぞれでしょうが、物語として、映像作品としての秀逸さはどれもズバ抜けてるので、是非とも一度は観て欲しいなぁと・・・まぁ、通じない人には通じないんでしょうけど。

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』 は、北欧の巨匠、ラッセ・ハルストレム監督の初期作品にして出世作です。
純朴なイングマル少年の成長期・・・と言ってしまうと大雑把過ぎますが、個人的にはとにかく感情移入がエグくてですね、ザクザクと胸に刺さってむせび泣いた作品なんですよ、これ。
親も境遇も選べないとか、どんなに辛くても前進しないと景色は変わらないとか、自分より辛い誰かも居るんだろうとか・・・色々と俺には生々し過ぎる物語なんですが、普通の人達は俺みたいに大ダメージ食らわないだろうから安心して観て下さいw

『ぼくのエリ 200歳の少女』 もまたスウェーデン映画でして、こちらは一応、吸血鬼モノのホラーです。
とは言え、いわゆるドラキュラ的なモンスター映画ではなく、いじめられっ子のオスカー少年と、謎の少女・エリとの友情と恋が主題となります。
これはかなり切ない物語でして、『フランケンシュタイン』 や 『シザーハンズ』 に通ずるテーマを持ちつつ、もっと現実的な要素を取り入れる事で、ダーク・ファンタジーとの差別化が図られているんですね。
日本ではシナリオ的に重要シーンで無駄なボカシ修正が入ってるので、その点が非常に惜しまれますが、物語自体は一応解ると思うので、あくまで文芸作品として観て下さい。

『死の恋人ニーナ』 もジャンル的にはロマンス・ホラーになるんですが、こちらはもっと変化球ですね。
交通事故死した彼女が復活した!しかも、新彼女とSEX中に!!・・・という話なので、極めて大人向けの作品ですし、生々しいベッドシーンも多く、ヒロインも当たり前に美乳を放り出してます。
ってか、血塗れで3Pまがいの事をするシーンなんかもあるんで、なかなか描写としてはエグめなんですが、いわゆるスプラッタ的な気持ち悪さじゃなく、悪趣味な感じです。
展開や設定としてはブラックコメディ要素が濃いものの、物語自体はわりとシリアスな恋愛映画なので、意外と女性ウケは悪くなさそうに思えるんですよね、これ。
個人的には、全編の日本語字幕を自力翻訳した経緯なんかもあるので、単に思い入れが強いだけじゃなく、物語の深みもよく理解した作品だったりもします。
これも主役3人それぞれの立場で物語を捉えると、それぞれの切なさが込み上げて来る話だったりするので、観終えてから色々と妄想する楽しみがあります。

◆パッと浮かんだオススメの邦画!◆
『残穢 -住んではいけない部屋-』  (2016年 日本)  監督:中村義洋
『来る』  (2018年 日本)  監督:中島哲也
『Laundry/ランドリー』  (2001年 日本)  監督:森淳一

無論、国民的な超メジャー作品はあえて選択肢には入れてません。

『残穢 -住んではいけない部屋-』 は、近年の邦画ホラー作品ではズバ抜けた秀作ですね。
そもそもの原作の良さが一番の要因なんでしょうが、映像作品としてもかなり前のめりになる仕上がりでした。
実話怪談系ホラーの映画作品自体が極めてレアな上、現実味のある恐怖演出を見事に描き出している辺り、さすがほん呪シリーズ出身の中村義洋監督だなぁと。
日本のホラー映画の中で、展開が楽しくてワクワクしたのは初めてでした。
まぁ、ケツは不要論も挙がってますが、どうしてもエンタメで着地したかったのかなとも思いましたね、わざわざ付け足した感じは違和感しかなかったので。
とにかく、リアルホラー映画という試みとして最高の出来だと思います。

『来る』 もホラーですが、こちらはリアルさよりもエンタメ方向に振ってある邦画ホラー作品です。
偏屈で面倒臭い事でお馴染みの中島哲也監督作品なので、ホラーと言えどプロ仕様のエンタメ作品なんですね、やっぱり。
そういう意味では和ホラー特有のじめじめ感と言うより、もっと突き抜けた勢いのエンタメホラーになってて痛快です。
ただ、ホラーはホラーなので、怖いシーンはちゃんと怖いですよ。
個人的には、劇中歌として流れる ''オムライスのうた'' が暫く耳に残って困りましたw

『Laundry/ランドリー』 はもうかなり古い作品になっちゃいましたが、原作も映画も印象的で好きな作品です。
障害者故にピュアでストレートな青年・テルを演じた窪塚洋介の独特な演技は、上手い下手ではなくハマってたと思いますね。
ちょっと出来過ぎてる感のあるセリフなんかは好き嫌い分かれるところですが、テルが喋る分には違和感無いから面白いんですね。
文学的であり、絵本的でもある不思議なムードの作品なので、ほっこり系の邦画を観たい人にはオススメします。


さて、最後はオマケ的なのを少しだけ。

◆キモいけど面白いパニックホラー映画!◆
『ザ・ベイ』  (2012年 アメリカ)  監督:バリー・レヴィンソン

『ザ・ベイ』 は水棲寄生虫によるパンデミックを描いたパニックホラー作品です。
なんとなく解るとは思いますが、結構グロかったりエグかったりするシーンのある映画なので、万人向けではないんですが、パニックホラーとしては結構面白いと思います。
又、下手にPOVに固執せず、あくまでモキュメンタリーというスタンスでちゃんと編集もされてるので、この手の作風としても観易いんじゃないかなぁと。
コロナウィルスは見えない脅威として現実的なものですが、見えたら見えたでまた怖いって事を教えてくれる作品ですね。

◆もはやジャンル無意味の和ホラー映画!◆
『カルト』 (2012年 日本)  監督:白石晃士

この作品は非常に印象的な一本なんだけど、どういうカテゴリーで紹介して良いか難しいので、最後のオチ的に紹介します。

『カルト』 はモキュメンタリーホラーとして進行しつつ、最後にはなんだか変な特撮ヒーロー映画みたいになっちゃう超ヘンテコ作品です。
くだらなさとかチープさは白石晃士作品なんだから必然的だけど、それにしたってすげぇ強引な新展開には驚愕します。
「何観せられてるんだろう・・・」 って気付いたら負け的なね、縁日の見世物小屋でインチキ珍獣を見せられた的な、そういう驚きと戸惑いがありますよ、この作品には。
でもなんか、最後には拍手しちゃうエンタメ感もあり、幻覚キノコでも食わされた様な ''してやられた感'' に笑えて来ます。


・・・という感じで、変に偏ったオススメ映画紹介でした。
我ながら変なチョイスだけど、あんまりベタなの挙げても意味無いと思うんで、こんなトコです。
ってか、ぼちぼち眠くて頭回らなくなってきた・・・。

とにかく、コロナはまだまだのさばりそうでウンザリですが、油断せずに対処しましょうね。
別にテメェが死ぬ分には構わない俺ですら、余所様やら愛すべきお猫様に感染させたくないから気を付けまくりですよ、ええ。
一人遊びでも充分に楽しめたり気持ち良くなったり出来るのが人間なので、色々とやってみてりゃ夜も明けるでしょう、多分。

ってな訳で、気が向いたらまた何か書きます。
あでゅー。