魔法使いサリー(※魅力を魔法と捉えた場合) | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。

そういや、前回の記事の編集、後からちゃんとやろうと思ってたのにやってませんね・・・あははん。

ってな訳で、コロナの波も日本は少し収まりつつありますが、世界規模の感染症は世界規模で収まらないと意味が無い(本質的な収束にならない)ので、国内情勢だけ見て安心してる人達は所詮平和ボケだと思いますよ。
とは言え・・・さすがにみんなお疲れでしょうし、あんまり辛辣な事ばっか言ってても憂鬱を煽るだけなんでね、この程度にしときましょうね、ええ。

さて、そんなコロナ騒動が続くつい先日、5月9日に偉大なロックンローラーがまた一人天に召されました。
その名はリトル・リチャード
彼はロックンロール創始者の一人で、単に数々の名曲を残したヒットメーカーというだけでなく、人種差別ゲイ差別と長らく戦い続けた人でもあります。

彼が生まれたのは1932年・・・日本で言うなら昭和7年。
当時の日本政府が同化政策により満州国を建国した他、世界的大スターのチャップリンが来日し、そのチャップリンとの会食を予定していた犬養首相が海軍将校を中心としたテロリストグループによって射殺された年。
海外ではフランスの大統領がロシア移民により射殺され、ボリビアパラグアイが石油資源の利権を巡って戦争を始め、タイではクーデターが起き、ポルトガルでは独裁政権が始まり、ドイツでもナチス党が第一党となってヒトラーによる独裁政権が始まろうとしていた年。
そしてアメリカでは、日本人にとっては悪名高きフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任した年でもあります。

世界恐慌の煽りを受け、世界中に暗雲が立ち込めていた大戦前夜のアメリカで、リトル・リチャードはアフリカ系アメリカ人の家庭に生を受けました。
敬謙なクリスチャン一家12人兄弟の一人だったリトル・リチャードは、兄弟達とゴスペル・グループを結成し、そんな活動の中で歌とピアノを学びます。
ところが、その頃から同性愛者だと自覚していた彼は、牧師である父親から疎まれた挙句、14歳で旅芸人の一座へと養子に出されてしまいました。
やがて見世物小屋でプロの演者となった彼は、リトル・リチャードとしての人生を歩む事になった訳です。

プロとして各地を転々とした彼は、先輩プロ歌手達から歌唱法や演奏法、見せ方といったセルフプロデュース能力を吸収し、独自のスタイルを確立させると18歳でレコードデビューを果たしますが、商業的には大失敗に終わります。
そんな折、父親が殺害されたという連絡を受けて故郷メイコンへ帰った彼は、家族を養う為に皿洗いのバイトで生計を助けながら音楽を続けました。

1950年代のアメリカ音楽業界は、黒人音楽(ブルースやR&B)が売れ線として注目されていた頃。
インペリアル・レコードのファツ・ドミノ、アトランティック・レコードのレイ・チャールズといった黒人スターが活躍する中、スペシャルティ・レコードが目を付けた新スター候補の一人こそ、リトル・リチャードだった訳です。

1955年、デモテープを聴いてニューオリンズのスタジオに呼び寄せたリトル・リチャードを見た途端、担当者はそのビジュアルに絶句したとかしないとか。
ド派手な服過剰なリーゼント、そして冗談の様な厚化粧・・・。
今でこそリトル・リチャードの特徴になっているそのファッションスタイルは、ゲイカルチャーの影響が強く表れているものなので、時代的には今よりずっと印象的に映ったでしょうね。

簡単なボーカルテストの後、ランチに連れ出された彼は、レストランバーでオリジナルソングを歌ってみろと促されます。
そこで彼が披露した楽曲こそ、大ヒット曲となった 『Tutti Frutti』
そのパワフルなボーカルを聴いて大ヒットを確信した担当者は、早速スタジオに戻ってTutti Fruttiのレコーディングを始めました。


Little Richard - Tutti Frutti

翌年、Tutti Fruttiは黒人音楽としては異例にして空前の大ヒットを飛ばし、リトル・リチャードの名は一躍音楽界に広まった訳です。
以後、『Long Tall Sally』『Lucille』『Jenny, Jenny』『Keep A-Knockin』『Good Golly, Miss Molly』 といったヒット曲を次々とリリースした彼は、数多のアーチストに多大なる影響を与えた人物として今でも尊敬を集め続けています。

ところが、彼はその栄光を1957年10月を以て唐突に終わらせてしまうんですね。
どういった経緯があったのかは知りませんが、彼は自らステージで引退表明をし、引き止める関係者の声も聞き入れず、残った仕事を片付けると実際に引退してしまいます。
どうやらスターとなった彼は数々のトラブルに悩まされており、心身衰弱に陥っていた様子。
当然、彼がゲイである事実も当時の白人社会では標的として充分な条件だったでしょうから、想像以上のプレッシャーやストレスに堪え兼ねたんでしょうね、恐らく。

それから彼は大学で神学を学び、リチャード・ペニマン牧師として新たな人生をスタートさせると、ロックを ''悪魔の音楽'' として否定し、音楽家としてはゴスペルアーチストとしてのみ活動する程度になりました。
なんか・・・某Xなんとかのボーカリストも似た様な事言ってた過去がありますがw・・・宗教って結局はそういうもんなんですよ、ええ。

ロック創始者の一人なのにロック否定派になり、もはや復帰は無いのかと誰しもが思っていた訳ですが・・・時代は彼を放っておかないんですね。
ここから彼がどれだけ偉大だったのかという事が証明されて行きます。

1962年、かつてリトル・リチャードと同じスペシャルティ・レコードからゴスペルグループのリードボーカルとしてデビューし、やはり牧師の息子として育ったサム・クックとのツアーを回っていたリトル・リチャードは、誰しもが知るヒット曲ではなく、あくまでゴスペルシンガーとしてイギリスのステージに立ちますが、当然ながら集まった観客の期待に応える事が無いまま最初のステージを終えました。
次にステージに立ったサム・クックは、既にソロになってから数々のヒットを飛ばし、代表曲となる 『Wonderful World』 も知られていた為、観客は大熱狂
それを受けてどれだけ悔しかったのか、リトル・リチャードは頑なに封印していたかつてのロックナンバーを次のステージから披露し始め、イギリス中の観客を魅了しました。
すると、ブライアン・エプスタインという男から 「自分がマネージャーを務めるバンドを前座に使って欲しい」 というオファーが来ます。
そのバンドこそ、まだ無名だった頃のビートルズです。

又、ツアーのサポートミュージシャンの中には無名時代のジミ・ヘンドリックスが居て 「俺より目立とうとしてんじゃねぇ!」 と叱られていたり、デビュー前のローリング・ストーンズも前座を務めていたり・・・と、今となれば凄い巡り合わせが色々あったんですね。

そもそも、彼の全盛期は数多のスターに影響を与えるべくして与えたタイミングだったとも言えます。
例えば、白人にして黒人音楽を取り入れたスタイルで大成功を収めたエルヴィス・プレスリー
彼もまたロックスターとして代表的なアーチストの一人ですが、保守的でまだ人種差別が当然だった時代のアメリカにおいて、黒人文化へのリスペクトセクシャルな演出に積極的な姿勢を見せた彼は、やはり相当の批判を浴びたスターの一人です。
そんなエルヴィスに憧れてバンドを始めたボブ・ディランは、高校の卒業アルバムに将来の夢として 「リトル・リチャードと共演する事」 と書いています。
又、ソウルの帝王として知られるジェームス・ブラウンも、当初はR&Bシンガーとしてデビューし、後に独自のファンクへとスタイルを変化させましたが、''ミクスチャーによる新スタイルの確立'' という意味ではリトル・リチャードの影響が少なくはないでしょう。
それから、世代的には少しズレるものの、やはりピアニストのシンガーソングライターでゲイという意味では、エルトン・ジョンもかなりリトル・リチャードに影響は受けてますね。
あ、ちなみに、日本だとトータス松本の歌い方がファルセットこそ使わないけど完全にリトル・リチャードのシャウト歌唱法です。

という訳で、リトル・リチャードは本当に数多のアーチストに多大な影響を与え続けている偉大なロックスターなんです。
そんな彼が亡くなった事よりも、「まだ生きてたんだ!」 って思う人の方が日本人には多い気がしないでもなく・・・ってか、ちっとも騒がない時点で日本にはホントの意味でロックが根付いてないって事がよーく解りますね。

さて、それだけの事を言うからには、俺もリトル・リチャードの影響を物凄く受けてるんですよ。
作り手としてどうのって部分ではそうでもないけど、歌唱法・・・歌の演出に関してはわりと勉強になってます。
まぁ、俺が彼の事を語る場合、同時に語るべきがエリック・クラプトンだったりしまして・・・なんで?って話ですよね。
この二人、俺がガキの頃にTVのCMで聴いて、初めて知ったアーチストなんですね。


[1987年 TDK CM] Little Richard - Long Tall Sally (のっぽのサリー)


[1987年 TDK CM] Derek and the Dominos - Layla (いとしのレイラ)

ハィ、この二本、TDKのカセットテープのCMなんですが、まさにこれを観て当時の俺は 「かっちょイイ!!」 となった訳なんですね。
他にも幾つかあったと思うし、バージョン違いみたいなのもあった気がするんですが、さすがに12歳の頃の事なんでうろ覚えです。
ともあれ、そういう経緯でリトル・リチャードとエリック・クラプトンは俺の中で変に二個一みたいな感じになってまして、CMきっかけならではの出会いでした。


Little Richard - Long Tall Sally (のっぽのサリー)

これはのっぽのサリーのフル尺です。
リマスター音源版もつべにありましたが、あえてこっちをチョイス。
音質だけで言えばリマスター音源の方が絶対的に良いし、昨今は疑似ステレオ処理とかもされてたりするんで臨場感もあるんですが、オリジナルがモノラル一発録りの時代ですからね・・・音質が良けりゃOKでもないのかなと。

それにしてもホントにかっちょ良いんだよなぁ、入りから何から。
んで、ハスキーな声質のシャウトとか、ファルセットとか、この人の良い部分がめちゃめちゃ出てて素晴らしい纏まり。
見た目の ''何か変だぞ感'' も含めてこの人は好きなんだけど、いつも必ず楽しげな顔するのがまた素敵なんですよ。
シャウトが基本でブレスとか結構辛い曲も多いのに、間奏とかで絶対に笑うんだよね、独特な笑顔で。
「ロックンロールってこんなに楽しいんだぜ!」 って教えてくれてる感がたまらんのよね。

なんか、筆書きみたいなヒゲとかさ、コメディアンみたいな目張りとかさ、ヅラっぽい髪型だったりとか、いちいち変な佇まいで良いんですよ、特に晩年ほど。
「だってロックスターじゃん?」 って言われたら納得しちゃう説得力があるっていうか・・・それこそやっぱ、プリンスなんかが意識してたのは間違い無い様な存在感がね、「ロックってこうですよ」 みたいなメッセージを発信してる気がしてとても好き。

さて、この曲はどんな事を歌ってるかと言うと・・・わりとしょーもないです。
ってか、当時の歌なんてそんなんばっかですw
恐らくBGMとしての役割が大きかったんだと思うんだけど、それにしたってしょーもなさ過ぎて素敵パターンが多いのは良いよね、外人らしくてw

この曲、平たく言うとジョンおじさんの歌です。
奥さんのマリーおばさんに隠れて、ジョンおじさんは理想的な長身美女のサリーさんと宜しくやってるんだぜ・・・っていう歌。
ほら、しょーもないでしょw
むしろアレですかね、今時だと浮気者だから不届きで許せんとか、浮気を助長するとんでもない歌だって事にでもなるんでしょうか。
まぁ、そんなん言う野暮なバカは耳にクソでも詰めとけって話ですがw


Little Richard - Jenny, Jenny

これはヒット曲の一つでジェニジェニですが、ちょっと意地悪な見方として面白い曲だと個人的に思ってる一曲。
何が面白いって、当時の一発録りの大変さが顕著に表れてて、曲の終盤になるとめっちゃ疲れてるんですよ、リトル・リチャードw
そこに注目するなんてホント意地悪なんだけど、聴くと毎回思っちゃうんだな、そろそろ疲れて来るぞってw
まぁ、オールディーズならではの楽しみ方って意味では、そういう聴き方もアリじゃないでしょうか。

とにかく、リトル・リチャードは俺にとってルーツミュージックなアーチストの一人なんだけど、ギター弾きなのにチャック・ベリーじゃないんですよ、俺の中でのロックヒーローは。
むしろ、チャック・ベリーはあんまり好きじゃないっていう。
なんというか・・・ワンパターン過ぎて退屈なんだな、チャック先生は。
その点、リトル・リチャードは色んな楽曲があるし、そもそも歌に軸置いてるんで同じ3コードの楽曲だけ聴いてても飽きないんですね。

ってか、チャック・ベリーは昔っから底意地悪そうなジィさんだなーってなんとなく思ってたんだけど、実際そういう節があったっぽくてですね、某ストーンズの某キース・リチャーズなんて、楽屋でチャックのギターを勝手に弾いたって顔面にゲンコツ食らってますしw、大尊敬するチャックの60歳バースデイ・ライブをプロデュースしたは良いけど、そのリハーサルでめちゃめちゃチャックから 「そこは違う! こうやるんだ!」 ってダメ出し食らいまくってますからねw
あれは完全にチャックのマウント取りでしかないんだけど、当のキースは大尊敬する先輩の言う事なんで一切逆らわないっていう・・・あんただって大概レジェンドだろってぐらいのキースがね。


Chuck Berry Hail! Hail! Rock 'N' Roll リハーサル

ハィ、ダメ出しされるキースの様子。
言ってもキースはちょっと緊張してるっぽいんだけど、ダメ出しされても上手く出来なくて空気がピリついてる感が伝わって来ます。
どっちもジジィだけに余計味わい深くておもろいんだよな、これ・・・。

ま、そんな逸話なんかも込みで、俺にとってのチャック・ベリーは面倒臭そうな偉人って感じ。
そんなチャック爺さんも長生きしたけど死んじゃってますからね、そりゃあリトル・リチャードだって召される頃合いではありますよ。


It's Little Richard (1964)
これは1964年のイギリスのTVショーの映像だそうな。
演者も観客も楽しそうで良いっすね。

彼はいつまでも偉大なるロックスターです。
R.I.P.