もしもし映画れびぅ | weblog -α-

weblog -α-

なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。

ハィ、昨日に引き続いての映画レビュー。
更新しない時は全然しないクセに、急に連日更新とかするんだよ、この男は。
ってか、レビュー下書き溜まりまくってるから、少しは処理しとかないと大変なんです。
途中放置しとくと忘れちゃってさ・・・観直さないと続き書けない的な問題がね・・・ハハハン。

そんな訳で、本日も疲れ目で眠い訳ですが、数ヶ月前に書いてあったレビュー放出。
毎度の事ながら、ネタバレ上等です。


フォーン・ブース
フォーン・ブース
原題:Phone Booth
製作国:2002年 アメリカ
監督:ジョエル・シュマッカー
評価: 7点 (10点満点)

『セント・エルモス・ファイアー』 『フラットライナーズ』『フォーリング・ダウン』 等、80~90年代に次々ヒット作を手掛けた名匠、ジョエル・シュマッカー監督によるワンシチュエーション・サスペンス作品

ニューヨークのタイムズスクエア、8番街53丁目角にある電話ボックス
ボックス型公衆電話としては西マンハッタン最後の一台となるその公衆電話を、スチュワートは毎日使っている。

若手ながら腕利きのパブリシスト(広報マン)であるスチュワートは、忙しい仕事の傍ら、目を付けている女優志望の学生・パム口説く為、毎日その電話ボックスから彼女へラブコールを掛け続けていたのだった。
独身だと嘘をついてパムに近付いたスチュワートは、ケータイの利用履歴から妻のケリー浮気がバレるのを恐れ、あえて公衆電話を使ってパムに連絡している。

その日も電話ボックスに入り、結婚指輪を外してパムに電話しようとしていると、何故かピザの配達員の男がスチュワートに声を掛け、注文されたというピザを受け取る様に促してきた。
身に覚えの無いスチュワートは、邪険に配達員を追い返すとパムに電話を掛け、旨い話を餌に彼女をホテルへ呼び出そうとしたが、スチュワートの企みに気付いているのか、パムはいつもの様に理由を付けて誘いを断ってよこした。
思惑通りに行かず苛立ちを覚えていると、不意にたった今切ったばかりの公衆電話が鳴り出した。
戸惑いもせず受話器を取ったスチュワートに、誰とも知れない男が当たり前の様に話し始める。

どうやら、電話の男はスチュワートの事を知っていて、ピザの配達もその男が仕組んだイタズラの様だった。
「電話ボックスを出るな」 と指示する男の声。
タチの悪いイタズラだとバカにした様子のスチュワートに、男は 「監視している」 と続け、「俺に従え」 と促すのだった。
名前も住所も、ケリーやパムの事まで知っていた男の正体を、スチュワートは過去に自分と関わった事のある業界の人間で、何かしら逆恨みしているのだろうと考えた。
ようやくスチュワートが事態を真剣に受け止めたと判断した男は、「君の妻と話してからまた掛ける」 と告げて電話を切った。
そして暫く後、再び公衆電話のベルが鳴り出した・・・。


という訳で、アイデアだけで作ったB級作品かと思いきや、かなりしっかりと作られてる上に、キャストもメジャー俳優ばっかりで、監督もメジャー作品を撮りまくってる人・・・めっちゃA級やん!っていうw
脚本がB級映画の重鎮ラリー・コーエンという事もあって、キャスト陣なんかは豪華だけども、基本的には低予算B級路線

なんか、この作品のレビューは賛否両論が極端みたいなんだけど、基本的には高評価を下してる人の方が正しいだろうなと。
一応、低評価の意見としては、「クライマックスが盛り上がりに欠ける」 とか、「犯人と主人公以外の登場人物が薄っぺら過ぎる」 なんてのが目立ったところだったんだけど、それは確かにあるんですよ。
但し、そういう評価をしちゃってる人達ってのは、単純に ''期待過剰'' ''ハリウッド病'' で、『エンタメはこうあるべき』 みたいな先入観に捉われてる人が多いんじゃないのかなと。
物語ってのは、小説だろうと映像作品だろうとその作品自体の世界観があるし、どこにスポットを当ててるのかも、どれぐらいフォーカスを合わせてるのかも、それぞれ違う訳なんだよね。

例えば、この作品はワンシチュという設定ありきで展開する物語だけど、事前情報無しで観たとしても、舞台が電話ボックスとその周辺ぐらいしか無い事は、観てたら当たり前に解るはずなんですよ。
そしたら、そのワンシチュ作品のオチがどの程度の規模かなんて大体知れてるし、話の流れ的にも、最後の最後に舞台を大きく使ったド派手なもんが来るとはフツー思わないでしょ?
あるいは、''主人公と声だけの犯人とのやり取り'' 大部分を占める話なのに、ちょいちょい脇役にスポットを当てて、無駄な情報を小出しにされたら邪魔になるだけよね?

結局、必要最低限の舞台と情報とで展開する話がこの作品のキモなんだから、そこが理解出来ない人ぐらいしか変なダメ出しはしないはずなんですよ。
派手さとか、詰まったキャラ設定とかを求める前提で観ちゃってるから、この作品に不満な訳だよね。
そしたら、それは誰か悪いの?
最初からニュートラルで観られないんだったら、それは作品どうのじゃなくて、テメェの ''映画を観るスタンス'' が問題なんだろ?・・・っていう事。
まぁ、そういうのを自覚も出来ないバカほど、良い悪いを公然と語りたがるんだけどね。
好き嫌いは個人の自由だけど、良い悪いは範疇が違うって事をね、少しぐらい解って貰わないと芸術は滅びますよ、ホントに。



さて、本編についてですが、とにかくこの限定的なシチュエーションで、これだけのドラマをよく作ったもんだと感心。
電話ボックスにこだわった発想も面白いけど、ほぼ声だけに終始した犯人像の造形というか、キャラ設定が実に絶妙
物語的には、かなりいやらしいタイプの愉快犯で、サディストで、冷酷にして用意周到な犯人像。
でも、序盤からわりと解り易く演出されてるのは、この犯人を神みたいな印象に描き出してる事。
実際、主人公は現実的に描かれてるし(職種はともかく)、他の登場人物達も同様なんだけど、犯人だけは極端に情報が少ない事と、準備に抜かりなさ過ぎる辺りがちょっと非現実的。
あっちもこっちも観察してるし、主人公の些細な言動まで常にチェックしてるし、犯行自体の計算も緻密過ぎるほど的確に実行してる。
レビューの中には 「あの犯人は神の象徴だ!」 って断言しちゃってる人も居たけどw、確かにそれぐらいあり得ない事をやってのけてて、映画的に言うなら 『ご都合主義の象徴』 みたいな存在として描かれてる。
じゃあホントに神なのか?と言えば、それは絶対的に違う・・・というか、この犯人が ''自らを神だと思い込んでいるサイコキラー'' でなければ、結局ただのバカ映画になってしまう。
だって、仮に神の仕業なら、''犯人の言動に見受けられる謎'' が何一つ謎じゃなくなるし、「全ては単なる神の気まぐれでした~」 って話なら、物語としてちっとも面白くなくなってしまうでしょ。
ヒーロー物でもないのに ''万能の存在'' を登場させてしまうと、作品のパワーバランスは破綻するんですよ。
まぁ、神に見える感じに演出してるのは間違い無いだろうけど。

じゃあ、どうして絶対的に犯人の正体が神じゃないのかという根拠なんだけど・・・確実に言い切れるだけの根拠はありません
でも、それはあえて犯人の情報を出さない脚本になってるからだろうし、そこだけ明確な情報を出してしまう方がおかしいからでしょう。
ただ、一つだけ気付いた事というか、妙に引っ掛かった部分があって、恐らくはそこが根拠に近いものなんじゃないかな~と。

物語の中盤以降、現場に警察が到着して、フォレスト・ウィテカー演じる警部のレイミー主人公の説得に当たる場面が何度かあるけども、そんなシーンになると、犯人がいちいち警部を嫌悪するセリフを吐くんだよね。
犯人は心理学者並みに会話だけでスチュワートをコントロールしてるけど、この警部に関するセリフだけは全く意味が無いというか、''スチュワートをコントロールする為の言葉'' じゃなくて、''単に感情表現として吐き出してるセリフ'' なんですよ、どう見ても。
なんせ、犯人の声が聞けるのはスチュワートだけで、当の警部には聞こえない訳だよね。
つまり、警部をコントロールしようなんて意図は無いセリフだし、スチュワートに同意を求めてどうにかしようって感じでもなかった・・・となれば、それはただの感情表現
警部を小バカにして煽らせたのも、スチュワートの立場を危うくさせる為というより、そもそも警部の事が気に入らないからやらせた様だったし、その後も警部に対してだけは明確に嫌悪してる描写がある。
警部は狙撃犯が居ると気付くまで、特に犯人を刺激する言動なんて一切しなかったはずだから、そんな警部の事を最初から犯人が嫌うのは明らかに違和感がある
犯人の正体がホントに神なら、わざわざ警部だけを理由も無く嫌う描写なんて入れなかったんじゃないだろうか。
むしろ、人間だという根拠として一方的な嫌悪感を描いたとすれば、それで合点が行く
そんな訳で、『犯人=神』 説はまず無いだろうと。



さて、主人公・スチュワートを演じたのはコリン・ファレル、レイミー警部をフォレスト・ウィテカー、スチュワートの妻・ケリーをラダ・ミッチェル、スチュワートが口説く学生・パムをケイティ・ホームズが演じたという事で・・・主な出演者が有名どころばかり

「B級路線でこのキャスティングはかなり豪華だな~」 と思って観てたら、最終的に犯人役で登場したのがキーファー・サザーランドっていうねw
『24 -TWENTY FOUR-』 シリーズでヒーロー像が定着したキーファだけど、『スタンド・バイ・ミー』 に始まり、昔はずっと悪役イメージだったんだよね。(間違い無く顔のせいw)
ってか、ジャック・バウアーも決して清廉潔白なヒーローじゃないけど。

そんなキーファ、全然知らなかったけど、ジョエル監督作品の常連だった様で、スタンド・バイ・ミーに引き続いてチンピラ役だった 『ロストボーイ』 以降、監督のお気に入りっぽいですな。
オカルトがテーマで興味深く観た 『フラットライナーズ』 にもキーファは出演。
実は個人的にキーファと同じぐらい悪役イメージの強かったケヴィン・ベーコンもフラットライナーズで共演してて、随分と悪そうな面構えを揃えたもんだと当時思ってましたw
どうやらこの監督さんはゲイらしいんで、ああいうコワモテがきっと好みなんだろうねw

演技で言うなら、この作品はほとんどコリン・ファレルの一人舞台で、受話器越しの会話だけ一喜一憂する様を見せるのは結構難しかったんじゃないかなと。
誰でも出来そうで、そうそう出来ないタイプの演技よね。
その辺り、この作品のコリン・ファレルは良い仕事してると思います。
まぁ、一番良い芝居してたのは、ウザい娼婦役の三人でしたがw

本編81分とやや短めな作品だけど、こういったタイプの作品でありがち ''冗長な前フリ'' をせず、コンパクトに人物説明をして本筋に入ったのは非常に良かった
ワンシチュにしてはテンポ感もあったし、前フリが少ないわりには主人公に告白させるべき要素もそれなりに揃ってて、一人の男を失墜させるに充分な説得力もあったと思う。
まぁ、犯人は 「女房に浮気心を告白しろ」 という一点を繰り返し命令してたりするんで、たかだかその程度の事にしつこいのが冗長だと感じる人も居るとは思う。
それでも、1つの事柄に執拗なのはサディストらしさのキャラ付けだろうし、''万能の神じゃないからこその人間臭さ'' を演出してるという意味では、それなりに効果があったと思う。



さて、この作品の評価で明暗を分けている一番のポイントは、犯人がスチュワートを標的に選んだ理由・意図が不明だという点。
確かに、いけ好かない野郎だとしても ''大した罪を犯してない調子乗り'' を吊るし上げて、ひたすらにいたぶる犯人の意図は謎すぎるけども、目的のヒントすら提示されてないって事は、動機は全く重要じゃないって事なんでしょう。
余りにも謎な故に、変にそこに捉われてしまうと、「犯人は神に違いない!」 みたいな発想にもなってしまうんでしょうがw、単純にサイコキラーだと理解すれば何も不思議はないはず
サイコキラーの発想常人に理解出来る範疇じゃないんで、特に理由付けも必要無いって事ですよ。

で、犯人はスチュワートを的確に追い詰められるだけの材料をしっかり揃えてるけども、彼以前に処刑したという二人(ドイツのポルノ王と、株の不正で儲けた重役)に関しては、あくまで犯人談でしかない訳で、恐らくは新聞かテレビで知った事件を、自分の仕業だとスチュワートに信じ込ませただけですね。
そもそも、犯人は 「あれも俺がやった」 とは明言してなくて、「あの事件を知ってるか?」 ぐらいに臭わせただけだったと思うんですよ、確か。
要は、普段のスチュワートの仕事振りがそうである様に、犯人もほとんどデタラメのウソばかり並べて、ステュワートを翻弄してるっていう皮肉なんだと思うんですな。

「不思議なもんだな・・・相手が誰か解らなくても、ベルが鳴ればつい電話に出てしまう」 と第一声で犯人はスチュワートに語り掛けてます。
この最初の一言が、なにげに ''犯行動機のヒント'' なんじゃないかと俺は捉えました。
つまり、この作品で最大の謎と言われてる部分ですね。

犯人が言わんとしてるのは、「ただなんとなくで反応を返してしまう」 という事・・・生物学的に言うところ ''反射行動'' ですね。
つまり、『ベルが鳴ってスチュワートがつい電話に出てしまった』 のと同様に、犯人もスチュワートという男の存在を知って『つい反射的に標的に決めてしまった』 という事なんじゃないか・・・と。

どの時点でスチュワートが目を付けられたのかは知り得ないけども、物語的には ''毎日電話ボックスを使う男'' として目を引いたと考えるのが妥当でしょう。
その段階では、まだ ''標的候補の一人'' に過ぎなかったのかも知れないけど、最終的に ''犯人にとってスチュワートが最も相応しかった'' と考えると納得出来るんですね。
『調子に乗りまくったいけ好かない男』 が理由だとは限らないけども。

犯人は明らかにサイコキラーなので、殺人(衝動)も日常の一部みたいなもんなんでしょう。
サイコパスの特徴として、『自己ルールに徹した完璧主義』 という ''偏執'' が代表的に挙げられるんで、この犯人も何かしらの自己ルールに則って行動してると考えられます。
それがどんなルールにせよ、スチュワートが標的に選ばれたのは ''ルールに準じた結果'' であり、犯人にとっては意識的な選択ではなく、あくまで反射的な事だったんでしょう。
だからこそ、「全く恨みも接点も無いスチュワートを標的に選んでしまった事が面白い」 と犯人は揶揄した訳です。
つまり、犯人にしてみれば、''ベルが鳴った'' から ''標的が決まった'' というだけの事。

無論、その後は徹底的に陥れる為の情報収集を着実に行い、犯行計画も入念に準備してる訳なんで、当たり前の価値観でこの事件を捉えてしまうと、「そこまで計画的にスチュワートを貶めたい理由は何だろう?」 みたいになっちゃうんだと思うんですよ。
つまり、『理由ありきで行動 (原因があって標的に定めた)という一般的な解釈で捉えるのが間違いで、この場合は 『目的の為の努力 (標的を仕留める為の準備)なんですね。
Who(誰を) と Why(何故) は要らない訳ですよ、そこは犯人の自己ルール依存だから。
犯人はルールに則って偶発的に、或いは衝動的に標的を決め、そこからようやく意図的に犯行の下準備に取り掛かる訳です。

例えば、''赤いキャップの男'' だけを狙うサイコキラーが居て、その犯人に 「次に誰を狙う?」 と訊けば 「赤いキャップの男」 と答えるでしょうし、「それは何故?」 と訊いても 「赤いキャップを被ってるから」 という返答になるでしょう。
「なんで赤いキャップの男だけ?」 と訊いたところで、「そういうルールだから」 と返されるだけです。
結局、そこには犯人自身にしか知り得ない絶対的ルールがあり、一般的価値観を持ち出して 「何故? どうして?」 と疑問をぶつけても、返って来るのはサイコキラーの価値観による返答のみなんです。
''だからこその脅威なんだ'' って事を理解出来ない人に、この作品の良し悪しを語る資格なんか無いですよ。
常識の通用しない敵だと明示されてるのに、そこに常識を以ってケチをつけるなら、そんな奴こそ非常識人間ですよね・・・違います?


ともあれ、B級路線のワンシチュエーション作品なのにも関わらず、この作品はしっかりツボを押さえてエンタメに仕上げてるし、話もちゃんと着地させてる良作だと思います。
ワンシチュのスリラー物、サスペンス物は数多あれど、ここまでしっかり作ってる作品は滅多に無いんで、ワンシチュ作品の鑑としてオススメです。