なんとな~くなのに長くてごめんね | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。


人嫌いが更に人嫌いになりそうな現実ばっかり目に付いて鬱陶しい今日この頃、皆様お元気でしょうか。
まぁ、フツーはそこで疲れないから世の中も成り立ってんだろって話だけどね。
「あんびの奴、またダウナーモードかよ」 って思ったアナタ。

はっずれ~。
やーいやーい。

別にちっともダウナーじゃないっすよ、それなりに疲れってっけど。
特にトラブルなんかもなく、疲れ目とかのお約束が相変わらずな程度です。
あ、とあるブツを躊躇して昨年買わなかったが為にめっちゃ後悔させられる・・・ってのはありました。
つい数日前のお話。
未だに後悔してますよ、それはもうとんでもなく。
でも、それを買ってたら人生にどれだけプラスになったかって、そんなもんは微々たるもんだからね、そう悔しがるほどの価値も無いんです。
でも心底悔しいから、自分を飼い慣らすってのはつくづく困難だなぁと。
それが人間らしさって見方もあるのかも知れんけど。

さて、んなこたぁどうでも良くてですね、今回は本題ってのがまだよく解ってないで書いてます。
見切り発車ってやつです。
いや、見切ってもないな、正直w
なんとなーく自分の中に浮かんでる漠然としたテーマをですね、かき集めるでも引き寄せるでもなく書き始めたっていうね・・・なんともフワフワした感覚です。
なんだそれって話だなぁと我ながら思ってて半笑いですw
困ったね、こりゃw


えーと、こないだは佐久間さんが亡くなったネタなんかを書こうと思ってたんだけど、NHKのドキュメントなんかも観ちゃったりしたもんで、まだちょっと上手く書けそうになくて後回しにしました。
佐久間さんファンで追っかけてた訳じゃないんだけど、あの方は日本の現代音楽史に欠かせない活躍をして来た人であり、自分の音楽のルーツを語る上でも非常に重要な人だったりもするんで、そう簡単に語れないんですな。

で、今回はちょっと、暫く前から自分の中にある沸々とした思いみたいなのを文章にしてみたいんだけど、前述の通りになんせフワフワなのでw、どっからどう斬り込めば良いのかも解らないっていうw
探り探りも大概にしろよ感がね、一人遊び状態でちょっと面白くなってます。

えー・・・そうだな、最近の人達ってひと括りにするのもどうかとは思うけども、最近の人達ってのは結論を急ぎすぎる傾向が強いな~と感じてます。
物凄く極端というか、とにかく白黒で判断しないと気が済まない人達だらけじゃないですかね。
ネットという、わりと瞬発的な判断が必要とされる場面の多い環境が普及したって背景がデカいんだと思うんだけど、だからってそこまで現実社会にも反映されるもんかねぇ・・・と。
いや、それ自体は悪くないんですよ。
瞬発的な判断力ってあらゆる場面で有効だし、それこそ現実社会での方がより重要なスキルになると思うし。
でも、ある程度の年齢まで生きて来た人であれば、世の中がそんな単純に白黒つけられるもんばかりじゃない事は解るじゃないですか。
その事は前々から触れてる事でもあるんだけど。

例えば、社会的タブーは絶対的な悪じゃないですよね。
典型的なのは浮気だの不倫。
社会的にはそれ自体がもうタブーな訳で、事情も理由もそっちのけですよ。
極端な連中は、「浮気する奴はサイテー!」 とか当たり前に口にしてます。
んで、それを擁護しようもんなら 『共犯』 にされかねない流れがある。
じゃあ、現実にそれは罪であり悪なのか・・・という点ですよ。
「それは一概に言えない」 というのが一般的価値観からしても本当のところでしょう。
それぞれの事情や理由があり、環境という背景もあったりする。
正義ではないにしろ、義はあるのが普通です。
それを踏まえて、罪ですか?悪ですか?という事。
まぁ、俺なんかはもっと突っ込んだところで、別に遊びで寝ようが酔った勢いだろうが、それはそれで罪でも悪でもねぇだろ・・・って価値観なんでアレですが。

結局、問題なのは、そこで罪だ悪だと平然と言い切ってしまう人達なんですよ。
まるで善悪を司る神の様に、裁判官にでもなったみたいに、独自判断で白黒つけて褒めたり叩いたりするっていう安易な行動パターン。
ハッキリ言って、そこには義すら皆無じゃねぇの?・・・と。
魔女狩りですら、もう少し根拠付けしてたぞと。
これはね、ホントに怖い事ですよ。

そこに絡んで怖いのは、大した根拠も無く他人を叩いたりする事に抵抗が無くなってる人達も増えたという事。
つまり、『何の根拠も無く他人を叩いたりはしない』 というスタンスで自分の正当性をアピールしつつも、裏の取れてない情報であっても平気で鵜呑みしてバッシングを始める様な輩。
「あいつは人殺しだ」 と吹き込めば、それが事実じゃなくても 「この人殺しめ!」 と即座に動き出すバカが五万と居ますよね、昨今。
そこにも義なんてもんは無いし、自分は正しいという思い込みのある奴が大半だけにいよいよタチが悪い。

例えば、政府や大企業みたいな巨大組織が情報操作してる場合は仕方無い部分も多々あると思う。
それこそプロを使ってプロの仕事をしてる訳だから、白を黒にするのも黒を白く見せるのも容易く見抜けない様にしてる訳ですよ。
そりゃあ、我々みたいな一般の素人連中に真相を見抜けって方が難しいでしょう。
でも、庶民レベルの話で言えば、裏なんか簡単に取れる話だらけじゃないですか。
当事者に事実確認するだけでバレる様な嘘であっても、それをせずに嘘の情報を拡散させる奴らがわんさと出て来たら、そりゃあもう嘘ついたもん勝ちの世の中になっちまう訳ですよ。
それを許しちゃダメなのは勿論だけど、まずは情報を鵜呑みにするアホさをどうにかしましょうよって話ですよね。
拡散させないまでも、鵜呑みにする事がまず悪ですから。

情報化社会で、昭和の昔よりは嘘や誤報の訂正は簡単になったかも知れない。
一度信じられちゃったらそれでアウト!って時代ではなくなりましたよ。
昔はね、ちょっと信憑性のある嘘を大勢が鵜呑みにしたせいで、結果的に死ぬ羽目になった人が何人も居る訳です。
そんな時代から比べれば、嘘の拡散も早いけど、訂正や言い訳を即座に語れる環境はある訳だから、それだけでもマシになったと言えなくもない。
けど、そこで肝心なのは受け手じゃないですか。
どんだけ正しい事を述べたとしても、受け手がそれを捻じ曲げて解釈する輩ばかりだとしたらどうしようもない。
いや、悪意をもって捻じ曲げた解釈をするならまだ解るけど、捻じ曲がった解釈がデフォルトの人だらけになったらこれは怖いですよ。
つまり、まともな解釈自体が出来ない人だらけになったら、それは社会が事実上破綻してるって事ですからね、極端な例だけど。

俺は差別も区別もするし、それは当然だと公言してるんで言うけども、正直、世の中の大半の人達をバカだと認識してます。
腹立つ人は腹立てて結構です、それが当然だから。
ただ、俺は大半の人達が劣った人種だとかって差別はしちゃいないんですよ。
バカだと言うのは、人として、社会で暮らす者として、すべき事を自主的に怠っているんだから、それはバカだと認識されても仕方無いでしょ?って事を言ってるだけなんです。
勿論、人としての全てにおいてバカだと全否定はしないし、長所短所は誰だってあるのも理解してますよ。
でもね、与えられた情報、拾った情報なんかを簡単に信じるのはバカですよ、どう擁護したって。
違いますか?
例えば自分自身の根も葉もない噂を流されて、それを周囲の人達が信じてしまったら、「そんなもん信じてるのか!?」 って思うはずです。
「バカじゃないの!?」 って怒鳴るぐらいが当然ですよね。
それと同じ。
自分自身の事じゃなくたって、情報を簡単に信じるのはバカのやる事なんです。
で、世の中はそんなバカを平然とやって、他人を持ち上げたり落としたりしてる輩だらけなんです。
悪意でそうしてる人も居れば、善意でそうしてる人も居る。
悪いけど、バカという表現ですらかなり譲歩して和らげてるつもりですよ、こちとら。

勿論、耳障りの良い言葉じゃないから、拒絶反応を示す人も多いはず。
だけど、そういった危険因子を区別するのは必要です。
何故なら、我々は危険因子も含めた他人だらけの社会に共存しているから。
直接攻撃する必然性は無くとも、目印ぐらいは付けておいた方が賢明なんですよ、危ないんだから。
バカって呼び方が嫌なら別の呼び方でも良いけど、とにかく常識が通じない可能性が高い相手に対しては、最低限の警戒ぐらいすべきのは解るはずです。
「そんなバカに関わるな!」 って言い方をしたのが一番通じ易いから、バカって言い方にしてるだけの事。
要は、呼び名なんて記号的なもんに過ぎないんですよ。

これは少し話が違うかも知れないけど、ウチの同居してる姉貴を例に挙げます。
姉貴は、親父に似て性分的に短気で衝動的な人間です。
その上、悪い事に母親の 『面倒臭がり』 という悪い部分も受け継いでしまってる。
まぁ、これだけでも天気屋で感情主義の人間なのは解ると思うけど、とにかく機嫌の良い悪いが極端で、良い時は能天気にヘラヘラしてて良い人に見えるだろうけど、悪い時はホントに頭抱えちゃうぐらい最悪な言動を平然とする訳です。
無論、それは俺が家族であり弟だからの甘えもあるとは思うけども、それを踏まえたとしたって庇い様がなく酷い時も多々ある。

ヒステリックな言動は当たり前。
歩き方一つ違うし、一日中イラついて因縁をつけたがってるチンピラのレベル。
俺だけに留まらず、ちょっとでも気に入らなければ親父にも猫にも当り散らすんだからタチが悪い。
親父はともかく、喋れもしない、言葉も理解しちゃいない猫にまで当たるのは異常ですよ。
客観的に見ててキチガイそのものです。
まぁ、ウチの家族で一番の我侭と俺様主義なのは間違いなくて、同じく我侭で俺様な親父すら 「俺の育て方も悪かった」 と認めてる程。

いや、別にね、俺は姉貴叩きをしたい訳じゃないし、愚痴を吐きたい訳でもない。
我侭だろうと俺様主義だろうと構わないんです、ぶっちゃけ。
そういう生き方で困るのは姉貴自身だし、ウチの家族はみんな好き勝手やって来たんだから、姉貴だけにもっとちゃんとしろって言うのも筋違いな話だし。
ただね、我侭にしろ俺様主義にしろ、そこにはやっぱり道理ってもんが必要なんですよ。
前述した様に、いくらイラついてるからって、猫に当たるのは違う。
別に殴る蹴るする訳じゃないけど、感情のままに大声張り上げて叱りつけるとかね、そんな事をしても猫には威圧感しか伝わらない訳ですよ。
んな事、50近いんだから充分過ぎるほど理解してるはずだし、理解してるなら抑える努力もするべきなんです。
それが道理ってもの。
だからって猫の分まで俺に当たられても困るけどw

猫に対してそうなんだから、言葉が通じる俺とかにはもっと酷い訳です。
平気で嫌がらせをするし、ケンカを売る様な事もわざとぶつけてくる。

「あんた、言ってる事はごもっともでもさ、言い方ってもんがあるんじゃないの? 言い方一つだろ?」

このフレーズは何度も姉貴に言って来た事だし、今後も何十何百と言わされる事になるんだと思う。
姉貴を言い表す上で実に象徴的なフレーズ。
勿論、姉貴にだけの事じゃなく、誰にとっても言える事で、俺自身も同じ。
だから俺は他人と話す時には極力気をつけてるし、感情的になりがちな会話の時は尚更そうしてる。
だって、それが他人しか居ない社会で生きる上でのルールだし、ホントに言い方一つで相手の態度ってのは全然違って来るもんだから。

家族に対して、弟に対してだからそれでOKと言うなら、確かに全否定はしない。
そういった甘えも多少は許されるのが家族だとも思う。
但し、それも程度問題だし、家族に対しての基本スタンスがそれでは困る・・・というか許されない。
何故なら、家族なんて世の中の僅か数人でしかなくて、それ以外は赤の他人でしかないから。
赤の他人だらけの世の中で生きてるんであれば、基準はそちらに合わせるのが常識。
つまり何が言いたいのかって言うと、そんな態度を日常的にしていれば、外に出て赤の他人に触れた時にも、そのスタンスに自然となってしまう可能性が非常に高いという事。
俺や親父にしてる態度を赤の他人にすればどうなるか、それは言わずもがなだろう。
言動だけじゃなく、価値観もそういった方向にシフトするのが必然だから、結論から言えば、社会的に問題のある人物にしかなり得ない訳だ。
それはやっぱり宜しくないんですよ、当たり前だけど。

近年の姉貴は、そもそもの資質も無いのに、中途半端な理屈屋になってきた。
理屈屋と言えば俺の代名詞だけど、姉貴に影響を与えたのは俺ではなく旦那。
この旦那というのは語ればキリがないほどクソ野郎で、自分勝手と我侭の暴君みたいな男。
いわゆるDV男とかではないものの、理責めで姉貴をやり込める事で自己主張を通して来た経緯がある。
姉貴は言った様に感情主義で理論派とは真逆なんで、口論になれば勝ち目はまず無い訳だ。
だから俺や親父には愚痴をこぼしまくってても、本人には何も言わない。
言うなれば完全に下僕。
そんなんだから尚更調子に乗ってしまっている。

姉貴は前述した理屈から言ってバカな奴だから、間違っても理屈なんかごねるもんじゃない。
そもそも資質に無いんだから、理屈に筋も通っちゃいないし、俺みたいな筋金入りの理屈屋にはものの数秒で論破されたりする訳だ。
で、論破されると感情論で反撃しようとする・・・という間抜けの極みみたいな事になる。
だからこそ、俺はたまに姉貴に言う訳だ、「あんたは良くも悪くも単細胞なバカなんだから、下手に理屈なんてごねるもんじゃないよ」 と。
酷い言葉に思うかも知れないが、別に悪意で言ってる訳じゃない。
むしろ善意だし、事実だし、それは本人だって解ってる事だからこそ警告してるだけ。
ホントに、バカの理屈屋ほど救い難いバカもないんですよ、まったく。
んで、良くも悪くもと言ってる通り、単細胞のバカは決して悪じゃなくて、だからこその長所もあるんですな。
俺みたいにグダグダとクソつまらん事でいつまでも悩んだりしないし、俺が言った冗談で涙流すほど笑えるのも、姉貴がそういう人間だからこその長所ですよ。
俺は年々笑えなくなって覇気なんか無くなってるけど、姉貴も親父もへっちゃらだしね。
そういった部分だけ見れば、生きてる上でより多くの幸せを感じられるのは、俺みたいな人間じゃなくて姉貴や親父みたいなタイプなんですよ、きっと。
だったらそれはバカでも構わないでしょ?って事なんです。
生きてるだけで苦痛を感じてる俺なんかより、よっぽど向いてると思うんだよね、実際。
でも、だからってダメなもんはダメですよ、やっぱり。
最低限のセルフコントロールぐらい出来ないとね。
感情主義の人間だからって、常に感情だけで生きられたら迷惑。
何の為の過去や経験なの?っていう話になる。

ここで序盤からの話に戻すけど、姉貴なんかもすぐ情報を鵜呑みにして踊らされるんだよね。
ってか、姉貴は昔から出処のよく解らない情報を事実の様に言い切って話すトコがあって、俺は姉貴からの情報はまず信じないってスタンスになった。
信じてないスタンスで裏づけを取って、それが事実なら 「あぁ、今回のはホントだったな」 みたいな。
このプロセスってのは意外と大事で、情報化社会になったからこそ重要性は増したと思うんですよ、裏を取るっていう事の。
つまり、鵜呑みにせず最低限の確認を取ってから自分の中に取り込むっていう段取りが当たり前になってないと、非常にリスキーな訳ですよ、踊らされるだけになっちゃうから。
それに、そういった手間を掛けるからこそ、原始人とは違う現代人な訳じゃないですか。
それこそ、感情や衝動に任せっきりじゃないからこそ現代人な訳ですよね、我々は。
だったら、その手間を惜しむなって話でしょ。
頭を使わず原始人レベルの言動を良しとしてる奴なんか、そりゃバカとしか言い様が無いもの。
出来ないんじゃなくしないんだから、それは指差されてバカ扱いされても仕方無いんですよ。
それが手間を惜しむという事であり、手抜きした故の罰ですよ。
当然でしょ?
んで、そんな奴らと手間を惜しまずやってる人達を一緒くたにして良いはずがないんだから、差別なり区別はしますよ、当然。
それの何が悪いの?と。
他人だらけの社会で、他人に対する筋を通さない輩を見下すのは当然ですよ。
わざわざ攻撃はしないけど、それぐらいの評価を下さない方がおかしな話でしょ。

まぁ、俺はそれでいいけど、そうやって判断なり評価が下せない人達も大勢居るし、とにかく仲良くやりましょうなんて偽善者も居れば、わざわざ攻撃して楽しむ陰湿な異常者が多いのも事実だから、まとめてクズだとかは言いません。
でもね、人間は間違いも犯すし失敗も繰り返すけど、筋は筋だし真実は真実なんだから、そこに準じた生き方を心掛けるべきなのは、全ての人に言える事なんだと思う訳ですよ。
俺は自分が清廉潔白だと言うつもりも無いし、善人であるとすら思ってないけど、デタラメさ加減だけで言えばかなりマシな方なんだなと自覚してます。
世の中的に立派な人間でもなければ立派な社会人でもない俺が・・・ですよ。
中卒の俺が大学出の奴らに常用漢字の読みを教えてやる的なバカらしさに通ずるもんがあるけど、こんな俺みたいなクズでも出来る事をしようとしない連中なんてのは、おのずとクズ以下になるって事を自覚すべきですよ。
自覚して真剣に恥じた方が良い。

とまぁ、こんなところですかね。


最近、ホントに生きてるのがクソつまらなくて困ってます。
いや、生きてるのがってより、社会を見てると人間ってのはつくづく低俗だと感じるってか・・・上手く言えないけどね。
別に攻撃の意図も批判の意図も無いんだけど、Twitterとかボーっと眺めてたりすると、なかなか面白いセンスを感じる一文があったりする反面、人としてこいつにどれほどの価値があるんだろ?と考えてしまう様なものもあって・・・別に見なきゃ良いんだけどw
叩きコメントとかはそんなに引っ掛からないんだけど、そうじゃなくてね、きっと悪意も敵意も無くこれ書いてんだろうなーって感じのものが実に酷かったりとか、そういうのに気付いちゃうもんだからまたうんざりして来る的な。
いっそ、人類滅びろ!!!って言えたら楽なのかもだけどw
滅びて欲しくない奴は居るからね~。
で、そいつにとって滅びちゃ困る人達ってのはきっと俺なんかよりずっと多いだろうし、だったらそいつらと俺は微塵も気が合わないかも知れないけど、生きててくんなきゃ困る訳ですよ、俺の大事な奴らが生きてく為に。
だからね、そういう繋がりってのを考えちゃうと、ホントに関係性ってのは難しいな~と。
絶対的な悪が生かしてる絶対的な善ってのもあり得るって事だからね。
いや、まぁ、多分こうなって来るとフツーの人達には理解不能な領域になるだろうけどw
とにかく、つまらんっすな、どこもかしこも。
みんな違う人間なのに似た様な事ばっかりしかしてないし。
ぶっ飛んでるけど良識あって話も通じる・・・みたいな人とクソくだらない話でもしてみたいね~。

つーか、どんどんぶっ壊れてってるのは俺自身なんだよな・・・w