年賀画像は無事に完成致しました。
朝5時頃から始めて昼前には作り終えましたよ。
なんだかんだで5、6時間ぶっ通し作業になって目がムスカだったけど。
ってか、今回は一切手描きしてないから手抜きなんだけどもさ。
さて、年内最後になるであろうネタバレ映画レビューでございまする。
今回の作品は、話題の 『ゼロ・グラビティ』 を取り上げてみようかなと。
やたら評判が良さげなんで気になってたんだけど、あんまり期待過剰になっちゃうと映画ってのはアレなもんで、このタイミングで観られたのは良かったかも。
まずあらすじなんだけども、当然ながら舞台は宇宙。
NASAのクルーのお話。
宇宙空間での船外作業中、突然のアクシデントで任務中止と帰還命令が下されるも、時すでに遅し。
クルーはアクシデントに巻き込まれ、非常事態に陥る。
なんとか無事だったのは、主人公であるライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)と、ベテラン宇宙飛行士にして船長であるマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)の二名のみ。
NASAとの交信が不能になり、シャトルも大破した状況下、二人は手を尽くして地球への帰還を試みる。
・・・という話。
非常にシンプル。
まぁ、全編通してシンプルな話なんだけどね。
まず、タイトルのゼロ・グラビティ。
直訳すると、「重力ゼロ」 って意味。
原題は 『Gravity』 だけなんで、単に重力とか引力って意味。
まさにこの作品は無重力に翻弄される話な訳なんだけど、ラストの部分を踏まえると邦題のゼロ・グラビティってのはちょっと戴けないってか、原題どおりにただのグラビティの方が理屈が通ってる。
さてさて、作品を観てみると、まず映像のクオリティーが高い。
無重力の宇宙空間を再現したリアリティーって意味では、唸るほど見事。
なんというか、宇宙空間独特の透明感を感じさせる仕上がりはホントに凄い。
物語の展開からしても、宇宙空間の再現度の重要性は高いと思うから、それだけで評価が上がるのは必然だと思う。
CG大前提の映画業界とは言え、そのCGを的確に活用してると思える作品って実はそう多くなくて、単にFX(特殊効果)のコストを抑える為のCGが大半だったりする。
それ自体を悪とは言わないまでも、そればっかりになっちゃうと 「CGで何でも出来ちゃうじゃん」 って簡単に言われちゃう訳よね。
CGを効果的に使うって意味では、この作品みたいな使い方が適切だと思うし、単に 「CG凄いね~」 って評価にはさせない作りだと思う。
物語の方は前述の通りシンプルで、難しい解釈は一つも無い。
あえて言うなら、終盤のライアンが死を覚悟した時のシーンで誤解する人は多少居るかも。
とは言え、そんな誤解をするのはちゃんと観てないか、ちょっと足りない人だとは思うけどw
まぁ、海外の映画ってのは、邦画みたいに一から十まで解説シーンを入れたりしないからアレでして、一般常識的な事は勿論、多少の専門知識みたいなもんも知ってて当たり前みたいに作られてたりするんだよね。
「さっきこういうシーンがあったから、ここの意味も当然解るよね?」 みたいな演出がちょいちょいあったりもする。
つまり、そういうのが読み解けない人だとか、気付かない人だとか、そもそも説明されても知識が無くて解らない人なんてのを相手にしてないのね。
それを不親切なんて言い出すのはナンセンスな話で、世界規模で見た時に大多数の人が理解出来るんであれば、それは解らない方がおかしいって事。
日本人はわりと世界的な価値観を把握してないで評価下す人が多かったりするから、レビューとかもアテにならん事とか多くてね・・・。
終盤、ライアンが死を覚悟した時に、ポッドの外から死んだと思ってたコワルスキーが登場するシーンがあるんだけど、「あ、生きてたんだ!」 って瞬時に思う日本人って多いと思うんだよね。
でも、その直前におもっくそライアンが酸素止めてCo2のメーターが動いてる場面が映し出される訳で、「あぁ、低酸素状態で幻覚見てるんだな」 って気付くのが普通なんですよ。
低酸素症になる時間が短すぎる点はツッコミどころだけど、そこは映画だからって事じゃなく、ライアンの感覚を表現する演出として瞬時に幻覚を見てる感じになってる訳よね。
んで、劇中でのライアンは宇宙服のメット部分を脱いでる訳で、そんな状態で外からポッドに人が入って来るなんて事自体があり得ない訳で、それでも無事なライアンを映してる時点で 「これは幻覚ですよ!」 っていうダメ押しの演出な訳だ。
解説としては物凄く丁寧な演出(ほとんどコメディーみたいな見せ方)なんだけど、それでも幻覚だって気付かない人は、かなり鈍い人って事になる。
鈍いのが悪いって事じゃないけど、それで物語を理解出来てるかどうかは怪しいもんだよね、当然。
頼むからその程度の認識でレビューとか書くんじゃないよ・・・っていうねw
さて、やたらと評判良さげな作品なんで少しレビューサイトも回ったりしたけど、やっぱり好評な様子。
映像美、宇宙空間の演出の妙に関する評価はやっぱり誰しもが触れてる事で、その部分は言わずもがなって感じみたいね。
ただ、個人的な印象で言うと、「感動した!」 っていう意見はちょっと違和感。
良い作品だと思うし、純粋に面白かったけど、感動は・・・するか?っていう。
むしろ、どこでどう感動したのか訊いてみたいぐらい。
悪いけど、これで感動するなら大抵のホラー映画でも感動出来る気がしますよw
ピンチに陥って、生命の危機に曝されて、そこからギリギリ脱出・・・っていう流れはさ、ホラーとかサスペンスの定番じゃないですか。
物語の舞台が宇宙だと感動して、クリスタルレイク辺りだと感動しないっておかしな話よね?w
いや、ケチつける気はないんだけど、いわゆる 『感動』 っていうのを持ち出す作品じゃないと思うんだよね、どうしても。
そっちの流れのニュアンスは解らなくもないんだけどさ。
ストーリー的なシンプルさなんてのは、大作というよりインディーズ的なノリを感じたんだよね。
例えば、この話を小説にするなら、きっと短編集の中の一作に過ぎないだろう的な。
実際、活字にしたら書くべき事は少ないと思うし、空気感みたいなのを伝えるのは映像作品じゃないと難しい部分が多々あるだろうし。
つまり、悪い意味じゃなく、ちんまりした話でしかないと思うんだな、そもそも。
そのちんまりした話をどう映像として表現したかとか、空気感やら緊張感みたいな文字表現の難しい部分をいかに演出したかって部分で評価すべき作品って気がする。
だって、ざっくり話したら3分で説明出来ちゃう話だしね、実際。
そこに(物語としての)感動はさすがに無いと思う。
もっと掘り下げて、登場人物にドラマ性を持たせたら話は別かも知れないけど、劇中で語られるのはライアンの娘が事故死したっていう背景ぐらい。
「だから何?」 って言っちゃえばそこまでの話で、娘の死って過去がライアンの行動に影響するのは前述の死を覚悟したシーンぐらいのもんで、それだって物語の中だるみを防ぐ為に後付けしたシーンに思えなくもない。
結局、ライアンにしてもコワルスキーにしても、人間の部分、人生についての深堀りはされてなくて、とにかく危機から脱出する過程に焦点が当たってるだけ。
そこは映画だけにご都合主義的な捉え方をされたらその通りだろうし、シンプルな話だけに他の逃げ場も無い訳で、濃厚な話を期待してた人にしてみたらガッカリだろうな~と。
まぁ、そういう構えた見方自体がどうかと思うけどもね。
なんにせよ、下手に掘り下げないシンプルさが評価を高くしてるのは間違いないと思う。
俺は序盤からわりと引き込まれて観たから面白かったし、話の持って行き方は巧いな~と思った。
あと、ジョージ・クルーニーの演技ってか、コワルスキーのベテラン振りが嫌味にならず上手く演出されてるのも評価したい。
宇宙空間で二人きりだから会話劇になるのは必然だけど、ベテランがベテランらしい喋りに徹するのってわりと珍しいと思うんだよね。
まぁ、それと対比してるのか、ライアンの行動の遅さなんかは何度かイライラした。
酸素無くなってるのにステーションになかなか入ろうとしない辺りが特に。
素人臭さの演出なのかも知れないけど、あれはちょっと過剰だった。
ハリウッドの悪いトコが出た・・・みたいな。
ちょっと気になったのは、そもそものアクシデントのきっかけがロシアで、最終的にライアンが帰還するのが中国製のステーションのポッドで・・・なんか政治的な意図を感じさせるよね~っていう。
中国のご機嫌取りはここでもしてる訳ですか・・・みたいなのがね、ちょっとばかり鼻についた。
サンドラ・ブロックの演技については、ほぼラストシーンだけが評価の対象かなと。
ってのも、そんなに繊細な演技って無い作品だし、エイリアンの時のシガニー・ウィーバーみたいに劇中で劇的な成長を見せる話でもないから、そんなにやたらと難しい役ではなかったんじゃないかって思う。
ただ、ラストはね、セリフじゃなく文字通り体現する事で見せてる場面だから、そこをサンドラ・ブロックに任せたかったんだろうな~って。
特に 「凄い!」 って評価される様なキャラクターじゃないからアレだけど、ちゃんとバランスが取れてるからこそ、良いでも悪いでもなく見えてたんだろうね。
つまりは上手く演じてたって事なんでしょうな。
さて、このゼロ・グラビティにはスピンオフ作品があって、7分弱の短編映像なんだけど、本編を観ればどういう映像なのかが解るって代物。
『Aningaaq』
残念ながら日本語字幕は無いけども、英語字幕でも簡単だから大体の意味は解るんじゃないかな~と。
まぁ、ざっくり説明すると、グリーンランドに住むアニンガという男が出て来ます。
どう見ても東洋系に見えるけど、どうやらイヌイットらしい。
本編でたまたまライアンと無線で繋がったのがこのアニンガ。
アニンガはどうやら英語が理解出来ないらしく、ライアンの話してる事も全然通じてません。
だから、ライアンがしきりに遭難を意味する 「メーデー」 と言っても、それが名前なんだと勘違いしてしまい、「やぁ、メーデー!会ってみたいもんだ!」 なんて能天気な返事をしちゃいます。
アニンガはグリーンランドのカールシュトの近くに居て、フィヨルドの土地に長く暮らしてると話してます。
んで、犬が大好きなんだけど、ナナクという雌犬が重い病気に掛かっていて、もう長くないんだけどなかなか諦めがつかないとも話してます。
まぁ、話してるのはその程度。
結局、ライアンとの無線が切れると、アニンガは餌であろう魚の入った袋と猟銃を持って無線の傍から立ち去り、犬たちの元へ向かいます。
そこでカメラは上空へ振られるけども、程なく一発の銃声。
そして、上空から落下して行く光る物体。
つまり、ライアンが生還する時、ナナクは死んだという事。
このエピソードを挟んで本編のラストがあると考えると、またちょっと違った捉え方が出来るかもね。
ってな訳で、ゼロ・グラビティのレビューでござった。
ベタベタのハリウッド作品とはちょっとだけ違うんで、一度観とくと良いかもね。
とりあえず、これ観たら宇宙に行きたいとは思えなくなるやもw
どうせ行けないけどw