悪魔なんて要らない | weblog -α-

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なんとな~く  思いつきで  好き勝手に  (=゚ρ゚=) ボヘー  っとやってます。


前回に引き続き、今回も映画レビューです。
相変わらずホラーです。
ホラー以外はレビュー書きたくなる映画少ないんだもの、昨今・・・。

という訳で、今回は 『アパートメント:143』 というスペインの作品。
最近恒例のモキュメンタリー作品って事で、通常の映画とは色々違います。
さて、ここから例によってネタバレ上等なのであしからず。

まず、総評としては、期待値が低かっただけになかなか良かったですよ、これは。
モキュメンタリーは期待値上げて観ちゃ絶対ダメな手法の映画だから、期待しないで観るのが恐らく正解。
仮につまらなくても腹立たないからw

物語は、超心理学の科学者チーム3人が、依頼のあったアパートに赴き、そこで起こる様々な異常現象を科学的に調査・研究しようと試みる話。
いわゆる、ゴーストバスターズのリアリティー版みたいな感じ。

調査依頼された場所ってのは、数ヶ月前に事故で妻を亡くしたアランと、その子供達二人、犬一匹の住む普通のアパートの一室。
妻が事故死して暫く後から、以前の自宅で怪奇現象が頻発。
やむを得ず引っ越して来たアパートでも同様の現象が始まる様になった為、調査依頼をして来たという筋書き。

さて、肝心の科学者チームはというと、まずはチームリーダーにして心理学者のDr.ヘルザー。
んで、その秘書兼アシスタントなのがエレン。
最後に、技術系のアシスタントがポール。
非常に小規模なチーム構成なんだけども、この大掛かりじゃない辺りも大事。
実際に大学系の研究チームとかって少人数がほとんどだろうし、そもそも超常現象を研究対象にしてるチームなんて、確実に鼻摘まみ者集団だろうからね。

ってな訳で、チームによる泊り込み調査が始まる訳なんだけども、何も始めてない時点から強烈なラップ音とか鳴り出しちゃって良い感じw
とにかく調査だ!って事で、まずは家中の各所に小型の定点カメラをセットして、リビングの隅に据えた各モニターでチェック。
高感度センサーやらガイガーカウンターみたいなのもあって、若干チープな感じに思えるのもリアルっちゃリアル。

いよいよ調査が始まると、変に出し惜しみもせずに怪異が頻発。
まぁ、そのまま最後の方まで怪異がエスカレートしてく様を見せてくって感じです。
ハッキリ言って、要約しちゃえばそれだけの話でしかないんだけど、映画としては細かく辻褄を合わせようとしてる努力が窺えて、なかなか良い印象を受けました。
パラノーマルとかはやっぱり大味なんだよね、映画として。


さてさて、この作品は話として物凄く面白いってもんじゃないです。
中の上って評価でも、若干言い過ぎってな感じで。
ただ、前述のとおり、色んな細かいトコで筋通そうとしてるんすよ。
恐らく、監督か脚本家は結構な理屈屋だと思われますw
でなきゃ、そんなトコに拘らんだろうからね、きっと。
でも、そこに拘るべきがモキュメンタリーなんですよ。
んで、その拘りがちゃんと映画としての重要なポイントにもなってる。

まず、家中に設置された定点カメラの利点。
これは、モキュメンタリー作品でわりと邪魔臭い縛りになる部分だと思うんだよね。
モキュメンタリーの基本にあるのは、「これは素人がホームビデオで撮った映像ですよ~」 っていう演出。
言わば、骨組みの部分のルール。
つまり、ホームビデオだから構図がデタラメでも仕方ないし、ピントがボケたり、映像が荒くても当たり前なんだ・・・という遊びが違和感無く通る訳だよね。
綺麗に見せたり映画的に見せたりしなくて済むだけに、作り手側には結構なメリットのはず。
ところが、映画ってのはどうしたってカット割りが必要になる訳で、ワンカメの長回し映像をダラダラ観せられても客は飽きる訳ですよ。
でも、なんせホームビデオって設定だから、カット割りが入れ辛いってデメリットもある。
何かの調査をするにしても、カメラなんて各ポイントに1台置けば良い訳ですよ、リアルに考えた場合。
とすると、その場所のカメラ映像は1台分しか使えないって事になる。
結局、カット割りを入れる為の理由付けが必要になって、不必要なシーンをわざわざ挟んだり、何か起きそうに見せて何も起きない的な演出をしがちになる。
ところが、この作品は定点カメラの数も多めだし、家自体がアパートの一室って事もあって狭いから、一箇所で何かアクションが起きたら、その流れを追う様に別カメラの映像を繋げ易いんだな。
パラノーマルみたいに舞台が大きい一軒家だと、カメラ位置がそれぞれ遠いから、別カメラ映像に切り替えるのもなかなか難しいはず。
その点、この作品は上手にカット割りを入れられて、モキュメンタリーなのにテンポ感は悪くない仕上がりになってる。
その辺りはお見事。

編集が映画的だって意見もレビューでは若干見かけたけど、そのツッコミは見当違いだろと。
「素人ホームビデオ映像ですよ~」 って設定はあっても、それを時間軸合わせて編集した映像って設定もある訳で、劇中で設置されたカメラの台数が多ければ、当然カット割りに使えるものもそれだけ多くなるし、この作品みたいに映画的なカット割りになって当然の事。
言わばモキュメンタリー作品は、『いかに劇中で違和感無く数多くのカメラを設置させられるか』 って部分が映像作品としての肝だったりする訳ですよ。

パラノーマルシリーズでは、カメラを設置する側がプロのカメラマンとか専門家じゃないから、劇中で設置出来るカメラの台数って物凄く限られた訳だ。
そこらの素人がホームビデオを5台も6台も持ってるのはおかしいし、借りた事にしたって、3台とか4台が違和感を与えない限度のはず。
まぁ、実際にパラノーマルでは結構な台数のカメラを使ってたりした辺りに違和感があって、そこがモキュメンタリーに重要な 『リアリティー』 を欠いた部分だったんじゃないかと思う。
ところが、この作品は最初から、その手を専門で研究してる科学者チームが検証するって設定だから、劇中で何台カメラが出て来ても全くおかしくないし、むしろ、専門家なら準備も対応も充分過ぎるぐらいで当たり前。
動体感知システムやらセンサーなんてのを素人が持ち出せば違和感だけど、専門家だからそんな都合の良い物を使ってても当然で、その事によって映像的にも映画として融通が利く事になる。
実に整合性の取れた設定な訳だ。

それと、物語的には終盤に当たるんだけど、Dr.ヘルザーが 「怪異の原因は家主の娘であるケイトリンにある」 と言い出すんですな。
このケイトリンというのが思春期真っ只中な十代の子で、初っ端から父親に対して反抗的だったりする訳です。
そんなケイトリンの抱え込んだストレスが具現化し、怪異となって現れてるって理屈。
まぁ、実に科学者らしい見解なんだけど、それならそれで、えらい能力秘めた娘だな、おい・・・っていうツッコミも入れたくはなるw
とにかく、あくまで科学者として検証にあたってる見地からは、そういう結論を出す訳ですよ。
で、実はその結論ってのは、実際に超心理学を研究してる団体が、「ポルターガイスト現象は、思春期の女子が居る家庭で顕著に見られる」 という報告を上げてたりもするんですな。
つまり、現実の科学的見解に基づいているという事。
その辺りをちゃんと押さえてるのもリアルで感心したし、どんなに目の前で怪異が起きても自然現象だと結論付けるDr.ヘルザーのスタンスも、科学者としてとてもリアル。

ホラーって括りがある以上、怪異とか霊体の演出にリアリティーを求めがちなんだけど、その部分でリアルさを追求しちゃうと、実は意外と地味な画にしかならないんですよ。
映画である以上、いくらリアルでもウケそうもない作品になってたらダメな訳で、そこそこ映画的に派手な演出は必須になってくる。
この作品も、終盤からはリアルさより画としての派手さに演出が傾くし、それは悪く言えば幼稚で子供騙し的にも見えてしまう。
でも、それ以外の部分でしっかり細かなリアルさを作り込んでるから、総体的評価としては悪くないって思わせてくれる訳だ。
話としての面白味云々より、作り込みの妙ってやつだよね、つまり。

さて、終盤以降、ケイトリンにスポットが当たってからの展開は、いわゆるオカルティックなそれになっちゃって興醒め感は否めないんだけど、この作品の一番評価すべき点は、結論として悪魔の仕業にしなかったところ。
とにかく海外の心霊系ホラーってのは、突き詰めるとほぼ絶対ってぐらい悪魔の仕業にしちゃってる訳ですよ。
それはね、宗教文化が根付いてる海外ならともかく、日本ではトンデモ話にしかならないんだな。
別に宗教そのものは否定しないけど、「結局、全部それかよ」 ってなっちゃったら、アイデアやプロセスがどんなに良くても、アホらしく感じるのは必然。
『善は神、悪は悪魔』 っていう勧善懲悪を前提にするなら、ハッキリ言って、内容なんかどうだって良いじゃんって話になる。
『得体の知れない存在・現象』 って事が怖いんだから、その正体は分からないままの方が絶対に良いし、少なくとも悪魔なんてベタな象徴とは別モノって括りにすべきなんですよ。
その辺りの事がね、外人さんの多くはまだまだ解ってないんだな。

オチとして、この作品ではケイトリンに似た容姿の霊体が登場するんだけど、ハッキリ言って要らないシーンw
どうしても外国的な見せ方になっちゃうのは仕方無い事なんだろうけど、答えを明瞭にしない事も演出だってのをぼちぼち学んで欲しいね。
例えば、貞子と戦ってようやく倒して、最後の最後で画面にバーンと貞子が登場したら、確かにインパクトはあるんですよ。
でもね、それは日本人の感性ならきっとやらない。
日本における心霊系ホラーが海外でもウケたのは、単に脅かすだけの怖さじゃなく、存在自体の未知性を情緒的に演出する事の妙。
結局、呪いを蔓延させる貞子という存在は、過去に実在した人物って事ぐらいしか謎が解明されない。
いや、生前の貞子に関する情報はシリーズで語られてるけど、それはあくまで生前の貞子に関する部分であって、現在の時間軸で呪いを蔓延させてる 『貞子』 に関しては、目的も何も明確にされないから未知の恐怖な訳だ。
ジェイソンやフレディ、レザーフェイスに代表される海外ホラーのモンスター達は、根本的に猟奇殺人鬼でしかない。
特徴として人並み外れた能力や外見を持ってても、自らの衝動に従って殺人を繰り返す行動パターンは一致してる訳だ。
ところが、日本の心霊系ホラーに登場する脅威はそういったモンスターと違い、その目的がハッキリしないところに気味の悪さがある。
ただ見ているだけだったり、寝顔を覗き込んでくるだけだったり、何がしたいのか、何を目的としているのか解らない。
貞子は呪いを連鎖させる事によって具体的に犠牲者を出してるけど、じゃあ最終的に何を目的としてるのかはサッパリだ。
つまり、そもそもがそういう種の生き物であるかの様な、生理的行動として人を呪ったり殺したりする様な、そういった怖さがそこにはある。

この作品に登場するケイトリンに似た霊体も、その目的は不明のままだし、現れる様になった理由も解らないまま。
事故死した母親にそもそも影響を与えていた霊体なのは察する事が出来ても、何者なのかも経緯も解らない。
そこまでは日本の心霊系ホラーと同様の要素を持たせてるんだけど、終盤で絶叫と共にポルターガイスト現象を起こしたり、オチで天井を這い歩く姿を明瞭に映したりさせたせいで、存在としての具体性が出すぎちゃって台無しになってる。
普通に暗闇の廊下を一瞬横切るだけとか、チラッと顔を覗かせるだけとか、それぐらいの方がよっぽどリアルで怖くなったはず。
まぁ、映画的に仕上げないと買い手が付かないって事情は大いにあったんだろうけど、それにしても終盤まで良く作り込んであっただけに勿体無い。


ってな訳で、今まで観たモキュメンタリー作品の中では良い出来だったけど、終盤の尻つぼみ感がハンパ無さ過ぎて残念でした。
センスとアイデアは充分に評価すべきだと思うけど、作品としての評価はそんなに高くないかな、どうしても。
日本の心霊映像とか怪談とかをガッツリ勉強したら、恐らく凄い作品撮れるんじゃないかと思う。
とりあえず、ホラー系モキュメンタリーとしては良い部分が多々あるんで、その辺りに注目して観たら楽しめるかも。