いやいや、風邪は治ったんだけどさ、冬かってぐらい寒くなりやがってね。
二週間ぐらい寝込んでたから身体中痛いしさ、コンディション戻すの大変だと思うんですよ、えぇ。
という訳で、結局は風邪治っても調子悪いじゃん!ダメじゃん!なあんびさんです、どうも。
まったくさ、健康ってなにかね?・・・誠意ってなにかね?・・・カボチャかね?
さて、横になりつつ映画だのばっか観てるもんで、今回はレビュー書きますよ。
毎度お馴染み、ネタバレ上等で宜しくどうぞ。
今回は、『死霊のはらわた [リメイク版]』 と 『キャビン』 の二作品。
まずは死霊のはらわた。
サム・ライミのデビュー作にして出世作として知られるオリジナル版は、いわゆるホラー定番のモンスターメインな感じではなく、あくまで主人公のアッシュにスポットが当てられている演出だった。
つまり、『過酷な状況下におけるヒーローの活躍』 という要素が濃い訳で、そこがメジャーなホラー作品とは一番の違いだった。
スプラッタホラーでありながら、アクション作品に近いアプローチだった点、そしてサム・ライミならではの独特なカメラワークと生々しい演出、それでいてバカバカしさも充分に踏まえてる点、それらがオリジナル版がウケたキモだと思う。
さて、じゃあリメイク版でそれらを踏襲出来るのかって言えば、それはまず無理な話。
ライミだからオリジナル版は作れた訳で、真似て作ったところで感性の違いは如実に出てしまうはず。
なんせ、サム・ライミって人は変態的なセンス持ってる人ですからw
気持ち悪さをあの人ぐらい気持ち良く撮れる人は居ないんじゃなかろうかw
ホントにね、「きもっ!!!」 ってシーンを、気持ち悪さ通り越して気持ち良いぐらいまで持ってける監督ってのはそうそう居ないと思うんだな。
だから、そんな人の真似は到底無理で、ライミ作品のリメイクってのは相当の覚悟が要るはずなんですよ。
さて、肝心のリメイク版。
一体どういう事になったのかと言えば・・・結論から言えば駄作です。
製作には本家のライミとアッシュを演じたブルース・キャンベルも携ってるんだけど、だからって良い作品が作れるとは限らないって事ですな。
物語としては、オリジナルとは設定が結構違います。
オリジナルでは主人公アッシュ含む若者グループが、森の古びた別荘でバケーションを過ごそうとするも、地下室で怪しげな本を発見してしまう事から惨劇に変わる・・・ってな話だったけども、リメイク版では主人公が麻薬中毒の若い娘・ミアに変更。
山小屋に訪れる目的も、能天気なバケーションではなく、深刻な中毒であるミアのドラッグ断ちって事になってます。
まぁ、地下で怪しげな本を見つける辺りからはオリジナルと大差無いんだけども、終盤まで当の脅威となってるのはミア本人というね。
まずミアが悪魔に取り込まれて、終盤でようやく元に戻れる訳なんだけども、展開としてはよく出来てても、実際に作品を観てるとさほど面白さは感じないんだな、残念ながら。
で、ミアの兄であるデビッドが終盤までは主役どころ。
なんとかミアを元に戻そうとする妹思いの兄なんだけども、さすがに無理ありすぎというか、今時のホラーはわりとリアルな価値観を前提に作られてるんで、露骨なまでにご都合主義的なリアルさだと興醒めするんですよ、これが。
「その状況でまだ妹庇うの?」 ってツッコミを入れさせちゃダメなんだよね、つまり。
ツッコミ入れる寸前のところでちゃんとかわすぐらいじゃないとね、やっぱり。
明らかに常軌逸して脅威としか言い様がない存在になってるとしたら、それが妹でも、助けようとする前に他の人達を守ろうとするじゃないですか、フツー。
まぁ、その辺りの矛盾をフォローする為にミアをジャンキーって設定にした部分もあるんだろうけど、それにしたって無理ありすぎかな~と。
終盤、ミアを回復させて一緒に逃げようとしたデビッドもとうとう追い詰められちゃう訳ですが、なんとも呆気ないんだよね、死に様が。
なんだかんだ、メインで頑張ってきたのにあっさり殺しちゃうし、回復したミアはミアで憑依されてた時の傷とか一切消えちゃってるし・・・そうなるとね、それまでの話って一体なんだったんだと。
最後のバトルだけで話は済んだって事?ってなっちゃうよね。
んで、終盤はグロシーンも強引過ぎる。
オリジナルがオリジナルなんで、お約束としてグロくしないとね~・・・みたいなノリがわざとらし過ぎてダメだった。
そのわりに物凄くあちこち痛いはずなのにフツーに逃げ回ったりしてるんだよね。
死霊のはらわたのリメイクで、痛みにリアリティーが薄いのはダメだと思うんですよ、ファンとしては。
刃物で切られました、刺されました、確かにその瞬間は痛そうだけど、次のシーンは痛そうにしてないってダメでしょ。
痛いってのは継続的だしメンタルにも応えるもんだからね、どんなに逃げようって必死になってたとしても、精神力で痛みは消せたりしませんよ、あれだけ手負いになってたら。
その辺りの見せ方というか、こだわりだよね、痛みの。
「痛い!だけど逃げないと殺られるから痛がってられない!でもめっちゃ痛い!」 っていう演出をね、もうちょい丁寧にやってくれたら印象はずっと違った気がするんだな。
唯一良いと思ったシーンは、やっぱり終盤だけど、ミアが追われて物置に逃げ込んだ時、武器を探す視線がマチェットを捉えつつ、その上のチェーンソーに移った場面。
あれはお見事というか、オリジナルへのリスペクトと同時にユーモアも感じられて非常に良かった。
また、チェーンソーの前に映すのがマチェットってのも良いよね。
ジェイソンを連想させるマチェットを選ばずに、レザーフェイスを連想させるチェーンソーを選ぶってメタファーだと思うし、死霊のはらわたと言えばアッシュのチェーンソーだしね。
ほんの数秒のワンシーンに色々と詰め込んでる辺りは秀逸だったなと。
まぁ、だからってわざわざ自分で手首を引き千切らせる必要は無かったと思うし、無理にアッシュに寄せるよりは、リメイク版らしく独自のオチつけたら良かった気はする。
結局、死霊のはらわたの場合は、ある程度の設定だけ踏襲して、後は自由に作った方が良かった気がするんだよね。
変にオリジナルを意識しすぎてる事が裏目に出てたから。
ライミ作品なんか、寄せて寄せられる訳ないんだから、だったら最初から別モノ作るぐらいの感覚でやれば良かったんでないの?って思ってしまう。
製作にオリジナルメンバーが居たせいかどうかは解らんけども、オリジナルをぶっ壊すぐらいの覚悟と勢いが足りなかったんじゃないのかな~、多分。
リメイク作ってのは、冒険が足りないと絶対コケるんだよね、お約束的に。
まぁ、一般的な評価は知らんけども、俺的にこのリメイクは40点ぐらいに感じましたとさ。
さて、お次はキャビン。
これはねぇ、死霊のはらわたを観た後で良かったなと思ったねw
なんでなのかはその内に解ります。
キャビン、原題は 『The Cabin in the Woods』 という事で、森の中の小屋って意味です。
おやおやおや? どっかの作品でもそんな舞台ありましたねぇ・・・w
ハィ、そうです。
舞台設定は死霊のはらわたのそれなんですね~。
まぁ、あくまでメインとなる舞台がほぼ同じ様な小屋なだけで、話自体は全く違うんだけどもね。
さて、結論から言いますと、このキャビンって作品はひじょ~~~に素晴らしい。
ホラー映画愛を感じさせる秀作ですよ。
良い映画ってあんまり書く事無いからアレなんだけどw
基本的に、このキャビンって作品はホラー映画全般に対するリスペクトでありメタファー。
何が素晴らしいって、その切り口がまず素晴らしいんだけど、『ホラーを俯瞰(ふかん)で見てる状態を更に物語にした』 みたいな立ち位置の妙ってのかな。
例えば、スクリームなんて作品があったけども、あれは王道のホラー映画に対するリスペクトじゃないですか。
いわゆる鬼ごっこ的な、追う側と追われる側って関係性が絶対的にあって、最終的に追われる側が追う側を撃退するっていうお約束だよね。
そのフォーマットは王道って呼ばれるほとんどのホラー作品で見られる構図。
それをあえて踏襲する事によって、ホラー映画ってもんを称えてる訳ですよね。
で、続編では一作目の事件が作品内の世界で映画化されてたりして、ホラー映画の中にホラー映画があるっていう・・・まぁ、文章にすると解り辛くなってくるんだけど。
いずれにしても、ホラー映画ありきのホラー映画ですよ!ってのが大前提になってる辺り、スクリームシリーズの面白さだった訳ですな。
それってつまり、パロディー要素でもあったりするんですよ。
ロメロ監督の王道ゾンビ映画をパロってる秀作に 『ショーン・オブ・ザ・デッド』 ってのがありまして、劇中の世界観で重要になるのは、「ロメロのゾンビ映画で、ゾンビについての情報は世界的に浸透しているのが大前提」 って点。
だから、ゾンビの群れを通らなきゃいけない状況下では、『ゾンビっぽい歩き方をして、ゾンビ真似して行けば大丈夫!』 みたいなバカ丸出しな事も通じる訳だ。
オリジナルを踏まえて、バカにするギリギリのラインでパロディー化してる辺りがキモな訳で、「んなアホなw」 って観てる側につっこませる前提の演出が素晴らしい訳ですよ。
んで、キャビンの場合はどうなのかと言うと、そういったパロディーの更に1ランク上まで高い位置から物語を組み立ててるんですな・・・これまた文章だと解り辛いけど。
まず、物語の主人公含む一行が居る訳よね。
彼らはお約束的に人里離れた森の小屋を訪れる訳だ。
んで、その地下室で怪しげな物を色々と見つけて、それをきっかけに恐ろしい目に遭う・・・と。
「なんだ。 めっちゃベタじゃん。」 って思ったアナタ、その通りだ。
そうなんですよ。
そこまでの話というか、主人公含む一行に起きる出来事ってのは、全てがベタなホラーの展開なんですよ。
ところがね、このキャビンって映画はそこに軸を置いてないんだな。
更に上って前述したけども、文字通りにその上の話ってのがある訳です。
つまり、主人公一行に降りかかる出来事ってのは確かにホラーのそれなんだけども、そう仕向けてる人間ってのがこのキャビンって作品には初っ端から登場してるんです。
うん、そうだね。 とっても解り辛いねw
ハィ、じゃあ、この物語を簡潔に解り易くまとめちゃいましょうね。
まず、この世界には太古の昔から封印されてる恐ろしく強大な存在が居るんです。
その存在を封じておく為には、コンスタントに生け贄が必要になる訳です。
それを怠ると、強大な存在によって人類滅亡は避けられない最重要な行事なんですね。
なので、各国で秘密裏に生け贄を集めて捧げる国家機関が存在するんです。
つまりはお役所ですよ。
んで、今回の生け贄に選ばれたのが、主人公含む一行だったという訳。
ここまではOKですか?
さて、生け贄にする方法はというと、まず生け贄御一行を人気の無い山小屋に誘い出します。
その上で地下室を見つけて入る様に仕向けます。
地下室にはあらゆるアイテムが存在していて、それらはそれぞれが各種モンスターの選択スイッチになってる訳です。
何も知らない生け贄の誰かが最初に押したスイッチによって襲うモンスターが決まり、直ちに該当モンスターが生け贄たちの元に放たれます。
そのモンスターによって生け贄たちは次々と殺され、その死によって生け贄の役目を果たす訳です。
生け贄たちが全員死ぬと目的達成となり、無事に強大な存在の封印は完了。
世界は再び暫くの間だけ滅ぼされずに済むって事です。
とまぁ、こんな事務的な感じで主人公達一行は恐ろしい目に遭わされる訳で、目的が全人類の為とは言えども理不尽な話なんですな。
ただ、当の主人公達は全く事情を知らないままモンスターに殺される訳で、彼らの視点で見ればホラー以外の何物でもない状況下な訳ですよね。
でもホントはお役人が仕事として全部を管理してそう仕向けてるだけな訳で、そこも踏まえて見ると、いわゆるホラーではなくなっちゃう訳ですよ。
まぁ、実際にそんな風に管理された上で人の生き死にが決められてるとしたら・・・しかもお役所仕事で淡々と当たり前にそんな事が行われてるとしたら、それこそ恐ろしい話なんだけどね。
結局、この作品の終盤は、そんな役人たちの潜む基地に主人公達が乗り込んでって無茶苦茶にするって話なんだけど、その辺りが非常に不思議な世界観でね、複雑で面白いんだな。
よく考えてみれば、やっぱりベースにあるのはホラーなんですよ、これ。
だって、生け贄が必要な理由ってのがそもそも封印の為だしね。
世界を破滅させるほどの存在を封印する為にどうの・・・みたいな話は他にもきっとあると思うんだけど、そこに現実的すぎるほどのお役所をそのまま入れ込んで、非現実と現実の違和感をあえて打ち出すって演出は実に見事。
同僚と冗談を言い合って、笑いながら生け贄たちが死ぬ様に仕向けるスイッチを押す・・・とかね、今回はどのモンスターが引き当てられるかを全部署巻き込んで賭けてたりね、そういう不真面目さとか能天気さを悪意無くやってる辺りが妙に生々しいんだよね、役人らしくて。
ほとんどゲーム感覚で罪の無い若者達を死に追いやるとか、普通ならそれをするのは悪意に満ちた奴だったりする訳じゃないですか。
ところが、この作品ではどこにでも居そうな役人の中年オヤジだったりして、しかも悪意なんてちっとも無いから悪人に思えない訳ですよ。
よく考えれば、一番怖くて悪いのはそのオッサン共なんだけどね。
だけど、彼らも公務員で、上から指示されて仕事こなしてるに過ぎない訳ですよ。
ってな訳で、この作品ってのは物凄く変わった視点で作られてるんですな。
だからこそ面白いし、新たな切り口のホラーとして斬新なんです。
色んなホラー作品へのオマージュも見られるし、単なるオイシイとこ取りではない辺りも好感が持てる。
映像的にも終盤のモンスターワラワラ状態は圧巻だし、グロっちゃグロなのに楽しいぐらい突き抜けてるし、なんとも良い映画だなぁとつくづく。
モンスター同士は決して交戦しない辺りが個人的には面白かったかな~。
ターゲットはあくまで普通の人類ってのはね、「これはホラー映画ですから!」 っていう筋の通った主張を感じた。
ハッピーエンドで終わらないのもホラーだからこそだろうしね。
あ、最後の最後で出て来た役所の上級幹部みたいなのがシガニー・ウィーバーだったのはビックリ。
それだけでエイリアンへのリスペクトだもんねw
役人のクセになかなか強かった辺りもリプリーなんだろうな~っていう。
なんでも、この作品は配給のバタバタで完成から公開までに結構な間があったらしいけど、こういう秀作が当たり前に公開されない辺り、アメリカ映画界はもう終わってるなんて言われちゃう所以だよね。
大人の都合が露骨なほど最優先されちゃうと、いくら良い作品作ったって無駄だって思う監督だらけになるし、なにより下から出て来なくなるんだよね。
さて、この作品の一般的なレビューは概ね良好な感じだったけど、相変わらず 「ホラーってあんまり観ないんだけど」 とか言ってる奴がつまんないとか抜かしてたりするんだな~。
ホラー観てない奴がホラーのメタファーだのパロディー要素なんか解りっこねぇしさ、解んないの当然なのにつまんないはねぇだろと。
そりゃあーた、つまんないんじゃなくて、あんたが無知で評論すべき立ち位置に立ててないだけだろっつー話でね。
あと、バカじゃねぇの?ってぐらい真正面から真剣に観ちゃって、観るべきポイントをすっかり間違えちゃってる映画不向きな人も居たな。
読んでると解るんだよね、真面目さと同時にビックリするぐらい間違えた捉え方してるトコとか。
若者を殺させて賭けの対象にしてて、殺人ゲームを楽しんでて云々・・・いやいや、全然そういう話じゃねぇからw
そもそもだ、それ言い出したらホラーだのサスペンスだの、人が死んだり殺される映画を観てる時点でみんな不届き者になっちまうってーのさ。
大体ね、実際に人が死ぬのを見て興奮するのが異常者って一般的には認識されてっけど、わざわざ人が死ぬ作り物を見て楽しんでる方がさ、理屈としてはよっぽど異常なんだよw
そこんトコが根本的に解ってない奴がホラーとか語っちゃダメなんだな、結局。
自分の中にある 『異常』 を楽しむのが醍醐味だからね、簡単に言えば。
あと、これは映画全般に言える事だけど、予告編を観て期待してたのに云々。
確かにそれはあるよ、昔からそうなんだけどもさ、でも、予告編と本編は別だからね。
予告編って配給側の主導が大きいだろうし、本編とは分けて考えないとダメなんすよ。
予告にオイシイとこが全部詰まってて、本編はダシがらみたいで面白くないって事はよくある話だけどもさ、だからって予告で期待過剰になるのは自分の問題ですよ、そこは。
特に、日本用のキャッチコピーとか取り上げて批判するのはナンセンスの極み。
それこそ、どこまで映画解ってんのかも知らん奴が作ってたりしてるんだろうしさ。
そんなもんを鵜呑みにするのは誰が悪いんだっていう。
まぁ、つくづく芸術ってのは万人のもんじゃないんだな・・・と改めて。
さて、こんな感じで、リメイク版の死霊のはらわたと、キャビンのレビューでござんした。
死霊のはらわたはともかく、キャビンは間違いなくオススメ。
ホラーどうのじゃなく、斬新で楽しいしね。
とは言え、スプラッタ要素はそれなりにあるから、いちいちショック受けちゃう人はダメでしょうな。
先日のフアン・オブ・ザ・デッド然り、キャビン然り、面白い作品を面白く観られない人って映画観る上で物凄い損してるよね。
スプラッタなんかよりは、そこらのAVの方がよっぽどエグいと思うんだけどねぇ、俺はw