東北地方を中心に大惨事になってしまいました。
世界で5番目の規模だったというマグニチュード8.8の大地震。
俺は茨城にごく近い場所に住む千葉県民なので、震度6弱の地震を体験しました。
震度6弱でも充分に大地震だけど、それ以上の揺れじゃなかったおかげで怪我も無く無事です。
大地震発生時、俺は徹夜明け作業の後で昼から寝てて、夢も見ないほど熟睡中。
その揺れが尋常じゃない事にも数十秒は気付かず、よくある茨城沖を震源とした少し大きめの地震だと思ったんです。
この辺りは場所的に茨城沖の地震の影響を強く受けるもんで、覚醒してない頭ではその程度の揺れだと錯覚したんですな。
ようやく事態を把握して、大揺れの中、本棚を支えながら色々と冷静に考えてました。
今後も大規模な余震が続くであろう事、部屋のどんな荷物が揺れで落ちる可能性があるか、家が大被害に遭った場合に必要な物がどこにあるか、とりあえず確保すべき物は何か・・・等々。
同居してる姉貴は買い物に出てて不在で、家に居たのは二匹の猫だけ。
彼らは動揺しながらも無事だったんで、リビングに降りて状況確認。
姉貴らの食器棚から皿とコップが落ちて多少割れてたものの、他は雑誌の類が棚から落ちて床を埋め尽くしてただけ。
強い揺れだったわりにはその程度だったんで意外なほどでした。
姉貴の旦那がたまたまそのタイミングで帰宅し、姉貴もそれから暫くして帰宅。
その間に俺はTVとネットで情報収集をしつつ、親父と群馬の伯母さんに安否確認の連絡。
親父はケータイしか通じない状況だったんで連絡がつかなかったものの、伯母さんの方は無事との事でひと安心。
そうしてバタバタとしてる間にも強い余震が何度も続き、我が家は勿論、近隣の被害も気にしつつ最新情報を集めてました。
数時間ほどして親父とも連絡がつき、他の親族なんかとも姉貴が連絡をつけて、身内連中の無事はほぼ確認完了。
但し、茨城の日立に住む母親とは連絡がつかず、今現在も状況は不明。
それに、宮城に住む知り合い二人とも連絡が取れないまま。
同じ様な心配をする人は多く居るだろうけど、我々は彼らが情報発信が出来る状態になるのを待つのが 『出来る事』 です。
特別に何かをする事ばかりが貢献や助力ではないという事を理解しないと、こういった事態では負の連鎖を生むばかりなんです。
生き物の様な津波の様子、気仙沼の大火事、仙台で200~300体も確認されたという遺体、今日になって被災地の方々が撮影した状況などもTVやネットで流されてます。
まるで地獄絵図の様な残酷な光景が次々と情報として入って来る。
それらをずっと見ていれば精神的に疲れるし、気も滅入るのは当然の事で、何かしら息抜きをしたり、気を紛らさなければやってられないのは必然でしょう。
むしろ、こういう状況だからこそ、笑う事でも何でも、出来る時にすべきなんだと思います。
不謹慎だなんて気にして自重しても、亡くなった人や被災した人は自分ではない。
泣いても喚いても現実は変わりません。
クールすぎる様だけど、最悪の事態になっていない人達こそコンディションを出来るだけベストに整え、出来る事をやり、すべきでない事をしない事が最善なんです。
被災地に行けない、知り合いや友人や大事な人が大変なのに何も出来ない・・・と心苦しい思いの人は多いだろうけど、大多数がそういった思いを抱きながら情報に目を向けています。
けれど、前記した様に、何か特別なアクションを起こす事だけが 『出来る事』 や 『すべき事』 では無く、無事を祈って待つ事だって充分に何かをしている事です。
今はまだ余震が続き、現地に行けたところで出来る事は知れてます。
どんな些細な事でも良いから何かしたいという思いが本当にあるのであれば、下手に動かずに身近で出来る事をまずすべきです。
不安な時、心細い時、たった一言のなにげない言葉で大いに救われる事があるんだから、被災地以外でもどかしい思いをしてる方々も、自分自身や身近な人達をまず思い遣って下さい。
今すぐ出番が回って来なくても、いずれ助けを求められる事になるかも知れない。
その時に備えて、無事な人達はニュートラルな自分を保つ事がなによりです。