YouTubeにアップした崇の音楽に多くのグッドが着いていて目を見開いた
それは井上陽水の夢の中へのカバーだった
曲は打ち込みで作り
歌は自分の声
映像は世界中の戦争や暴動を断片的な写真のカット、カットを繋いで作った物で
世界中の人から良い悪いは別にして寄せられたコメントにも感動した
ニコニコや他のサイトにも同じ動画をアップしたり、ポップテクノ風に作った川田とも子のあかね雲カバーを上げながら自作の歌も少しずつ上げた
自分になりたい
君の呼吸が聞こえなくても
ここで生きていられるように
君が誰の横で微笑んでも
それは僕の幸せだと
嘘ではなく思えるように
アコギの弾き語りで作った曲で
映像は自分のギターを弾く手元だけをスマホのカメラで撮った
音楽は震えると言うタイトルで
ワニモグラを自分の名前にしていた
初めは詐欺かと思った
売れていないアイドル、地下ドルの曲を
一曲作って欲しいと言う依頼がきた
具体的に聞くとアングラでオシャレな雰囲気なのにデスボイスも有り
一部ウケで良いと言う名前もランボル少女と掴み難かった
オシャレグロテスク
テーマとタイトルを決めた後は機械音で誤魔化して歌詞はデタラメで書いた
いじけたインパラ
デモ隊と衝突
ジェラルミンを貫け
砕けた盾に足跡をつけてやれ
我々の奇跡はいつかこう呼ばれるだろう
オシャレグロテスク
君の目に映り込む
オシャレグロテスク
朝陽は燃えているか
オシャレグロテスク
大人たちのおもちゃになるのは
もう勘弁だ
オシャレ
オシャレ
オシャレランボル少女部隊、部隊、部隊
マクロ、フォーカス、マクロ
これでOKが出るとは思っていなかった崇に充分なお金が振り込まれた
ランボル少女も少しずつ露出が増えほとんどの作詞、作曲を行っていた崇も注目され始めた
崇は日雇いに行かなくても生活が出来るようになってきたが本来、作りたかった曲ではなかったので岡田モグラ名義で同じレーベルから発売させて貰い予想以上のセールスを叩いた
少しずつテレビや雑誌などに取り上げられステージに立つ機会やライブも行い収入は充分過ぎる程になったので都心のマンションに引っ越し、車も中古しかなかったけれどカプチーノと言う車種に買い替えた
ネットに繋がった最新型のパソコン
セキュリティソフトも最新Ver
美しい彼女も出来た
そんな目まぐるしい日々、テレビ局の人間から電話があった
あれは息子じゃないか?と崇の出演番組放送日にテレビ局へ電話があったと言う
本名も出身地も誕生日もご存知でしたので本当のお母さんではありませんか?電話番号は控えているので、もしご対面されるのであれば場も提供しますとの話に崇は凍り付いた
許せない人間でしかない、何を今更とも思ったものの歳も歳だろうから一目だけ逢う約束をした
帽子をかぶり、杖を付きながら眼鏡のお婆さんが満面の笑みで手を振り近付いて来る
近くで見ると母と言う人に違いなかった
歯も抜けて歩くのもやっとなんだろうその人は笑ったり泣いたりしながら何かを言い続けた
崇は発作が起こり薬を飲んだが何も言わずに母の手を握った
翌々日にテレビで感動の対面として放送されたが崇はカメラが回っていた事も聞いておらず憤慨してテレビ局に抗議の電話を震えながらしていた最中、肺が痛くなり倒れ彼女が救急車を呼んだ
ステージ4、末期の肺ガンでした
医師がベッドの崇を見ながら言う
告知するしないは正直言って迷いましたが
3ヶ月あるかないかと思われます
お逢いしたい方がいらっしゃいましたらと思い告知に踏み切りました
ご入院頂くのも結構ですし
どこか行かれたい場所などあればご自由に向かわれて構いません
崇は点滴を受けながら話が飲み込めず周りを眼球だけで見回し
二回、息を吸うと涙が一筋こめかみを通り過ぎ
その瞬間、泣き叫びんだ
何で死なないけんの?
ヤブ医者やろ?
ヤブ医者じゃろが!
死にとうない死にとうない死にとうない
死にとうないけぇの!
たいぎい思いしてきたがじゃけぇ
許してぇよお
ごめんよお
ごめん
崇は癌が治ると言う宗教に片っ端から入信したり医者を回ったりしながら沖縄の海に行った後、もう動けない事が自分でも解ったので以前、住んでいた群馬のアパートの近くを流れる河原に担架ベッドを置いて貰った
彼女は見ているのが辛いと言う理由で癌が解った時にいなくなり一緒に日本中を回ってくれたのは母だった
母が泣きながら強く手を握って来たのでキラキラ光る川をやつれきった顔で眺めていた崇は一度母を笑顔で見るとまた川に目をやり歌った
宿はなし
今日も川の側
暮れ行く夕凪を眺めれば
飛び石のほら真ん中で笑う顔泣く顔
日も暮れた
宙ぶらりん千の
そこで崇の歌は終わりました
