今日は大学時代の友人のおはなし。
その子とは、親友の域に入るくらい仲が良くて、
趣味もとても合って、話をすればいつまでも尽きない。
でもその子は、卒業を境に、社員としても、バイトとしても、働かなくなっちゃった。
「働く」ことをスポーンと失念してしまったかのようで。
俗に言う、“ニート”と呼ばれる身分になってしまった。
元々、お金の使い方は地味な方だったから、収入が少なくても最初の頃はやっていけてたみたい。
でも貯金も底をついて、段々と苦しくなってきて。
普通に家から電車に乗って、わたしと遊ぶこと自体出来ないくらい、
お金が底をついてしまった。それでも働こうとしない。
労働が単純にめんどくさいという理由ではなくて、
なんだか外界の赤の他人とコミュニケーションをとるのが辛くなってきたんだって。
しかし、決して暗い子ではなくて、一緒に話せば馬鹿話も思いっきり出来るような陽気な子。
友人と話してる時は楽しいけれど、家に帰ると気分が落ち込んでしまうらしい。
家に居る時は、遊ぶ予定が入っても外出が嫌になる時があるらしい。
それでも、いざ外に出て、遊ぶと楽しいことは分かってるし、遊べばそれなりに楽しんでる。
ところが一旦、家に帰れば、遊んでいた自分の言動を思い出すと、急に気持ち悪くなるんだって。
昔から少し自分を押さえ込むというか、一歩引いちゃって、
「わたしなんて…」っていう思考の持ち主ではあったから、
自己嫌悪に更に輪がかかっているみたい。
自分が嫌いで、フッて自分が突然消えちゃっても、世の中は変わらないんだろうな、とか、
「これからどうしよう」って悶々と悩んでるんじゃなくて、
「もうどうなったって良いや」って、放棄しちゃう感じで、全てがどうでもよくなるらしい。
確かにこういう種類の感情って、よっぽどの自己賞賛型の人間でない限りは、
日々の中で考えたことあると思う。
こうやって深く抱え込んで、結果的に外出を控えるまでになってしまうのは、
やっぱり、そういうマイナスな感情を巧く昇華出来るかどうかの違いじゃないかな。
息をつく間もないくらい延々と上記のようなことばかり考えてしまえば、
勿論気分はずんずん落ち込んで、回復が難しくなってゆくと思う。
要は、気分転換をパチッと自ら出来るかどうかじゃないかなあと。
わたしも、自分のこと好きかといったら、手放しで好きとは言えない。
気に入らなくて、でもどうにもならない部分も多々ある。
そんな中でも、どこかに自分の存在意義を、他人に与えてもらうのをぼんやり待つだけでなく、
自分で積極的に見い出して、納得してゆくべきだと思う。
やっぱりその作業には「働く」って凄い大事だと思う。
結果を生む労働には、必ず何らかの評価が付きまとう。
その評価をバネに、また仕事を進めていく。
たとえ仕事がその人にとってあまり面白くなくても、そこに就労時間きっかり勤めて、
また翌日もそのまた翌日も自分の仕事をこなす。
これだけでその人の存在意義は生まれる。
バイトであれ、社員であれ。
働くことが苦痛であれば、何か自分でものづくりをしてみる。
自分を具現化してみる。この作業も効果的。
材料を集めたり、着手したりがしんどいなら、そうだ、
こういった「ブログ」もその一種になるんじゃないかな。
ブログや日記は、新しくものを作るというよりは、自分自身を整理・再構築するという作業だけれど、
やっぱり同様に、生活に少しのスパイスを与えてくれると思う。
溜め込むよりも吐き出す。
その吐き出したものが、他人に影響を与えたり、役に立ったりって、凄く素敵じゃないかなぁ。
あとは、恋愛も大きな要素だね。
現在のわたしは、恋人に救われてる部分が大きいから。
思い通りの仕事が出来なくて、今の自分が好きになれなくても、
彼女から温かい言葉と愛情を受け取ると、元気がわいてくる。
自分を必要としてくれる人が世の中にいるということは、なんて心強いんだろうか。
その友人はとっても優しくて、わたし、その子が大好きなんだ。
だから一刻も早くその子が心から楽しそうにしてるところが見たいな。
でもね、やっぱりわたしだって出来損ないのしょーもない人間だから、
あんまり偉そうに色々忠告する権利はないと思う。
それはその子のナイーブな部分にズカズカと土足で入っていくようなものだから。
突き放すようで冷たいかもだけど、
最終的にはその子が自分で決断して、
行動出来るようになる方が幸せだと思うんだ。きっと。
促されて恐る恐る行動に移すよりは、たとえ時間がかかっても、その方が立ち直れると思う。
そう考えると、あれこれ口を出すのはいけないなって思いつつ、
ぐっと我慢するようにはしてる。
で、ふらふらと良くない方向に進んでるなって気付いたら、
ゆっくり顔見て話をするようにしてる。踏み込みすぎない程度に、
「こうするべきだよ!」って押し付けるんじゃなくて、
「こんな方法もあるよ」ってあくまで提示する。
そう心がけてます。難しいけど。
結局は違う人間だからね、その子の心の中を丸々覗ける訳じゃなくて、
予測しか出来ないから、その子にとってどこまでが良くて悪いかっていうのは、
どうしても全部は分からないからね。
で、時々その友人がね、
「心配かけて悪いから、心配しなくていい」ってよく言うの。
「自分のことなんか気にかけなくていい。自分のことで悩まないでくれ」って思うんだって。
でもね、友達には、しつこく忠告する権利はないけど、心配する権利はあるんだよ。
全く気にかけなくなったら友達じゃないじゃない。
当の本人からしたら、どうしても気を遣うかもしれないけど、友達だから心配するのは当たり前なんだよ。
どうにかあなたの力になってあげたいけど、今のわたしには心配することしか出来ない。
いや、力になってあげたいってこと自体、自己満足になってしまうかもしれないけれど。
そういう話をすると、その子は、「ありがとう、ありがとう。ほんとうは感謝してる。」って言ってた。
どんなに先になっても、あなたが以前のように生き生きと過ごせるようになる日が来るのを、静かに待っているよ。
苦しかったら遠慮せずに、もたれかかって欲しい。
その代わり、わたしがダウンしたら肩を貸してね。
友達ってそういうことだよ。きっとね。