悲劇の生存者「贖罪に時効はない」 終戦前日、旧満州にソ連が襲撃「葛根廟事件」 <つなぐ 戦後 | ☆☆★☆★☆☆歴史タイムッス★☆☆★☆★★古今東西歴史関連記事リンク集

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日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。

証言 戦後75年 2 古河 林正雄さん(94) 間一髪つなぐ命 母ら犠牲、戦後も苦難

茨城新聞

特攻の命令が下る前に終戦を迎えた。命拾いするも、東京大空襲で母や3人の妹を失い、戦後も苦難の道を歩んだ。 □離陸中止せよ 1945年8月15日。

 

「この世界の片隅に」4度目の夏、終戦記念日に片渕須直登壇のオールナイト上映

映画ナタリー

「この世界の片隅に」4度目の夏、終戦記念日に片渕須直登壇のオールナイト上映. 2020年8月10日 12:52. ツイート · シェア ...

 
悲劇の生存者「贖罪に時効はない」 終戦前日、旧満州にソ連が襲撃「葛根廟事件」 <つなぐ 戦後 ...

東京新聞

太平洋戦争の終戦前日、旧満州(中国東北部)で、避難中の日本人千数百人が旧ソ連軍の戦車隊の襲撃に遭い、多くが犠牲になった「 葛根廟 ...

 

校庭の木に戦争の記憶 樹液を「戦闘機の燃料に」

Yahoo!ニュース

終戦の前年、本荘高等女学校(現由利高校)に入学した女性(88)は、当時13~14歳。学校では松の根を掘ったり、食料難だったため自分たちで ...

 

兵隊さんの涙忘れず #あちこちのすずさん

岩手日報

奥州市前沢平前 千葉スミ子さん(83). 終戦は私が小学校3年生の時でした。私の家は、白鳥小学校のすぐ隣、並んで立っているようなところに ...

 

妹と肩寄せ合い疎開 #あちこちのすずさん

岩手日報

終戦後の47年6月、父が死去したと電報が届いたが、戦後の混乱期、行くことはかなわなかった。 中村さんは岩手大を経て本県の中学校教員となり、 ...

 

戦争学び未来の平和を考えるツアー新潟市で開催

ohbsn.com

終戦から75年。新潟市内の戦争の歴史を振り返り未来の平和を考えてもらおうというツアーが開かれました。 10日、ツアーに参加したのは18歳 ...

 

自分の膝枕で息引き取った仲間、今も脳裏に 10代で旧満州開墾 「在満報国農場隊」元隊員

MSN エンターテイメント

関東軍の命令に従って避難を続け、終戦を知らされたのは同19日だった。 その後も帰国の見通しは立たなかった。9月には雪が降り始め、寒さをしの ...

 

北海道と北方領土が結ばれていた証しを文化財に 海底ケーブルの「陸揚庫」保存訴え

毎日新聞

終戦直後まで北海道根室市と北方領土とを結んでいた海底電信ケーブルの「陸揚(りくあげ)庫」を、国の登録有形文化財に指定しようという動きが ...

 

終戦75年】「俺が死んだら何人泣くべ」 特攻隊員が残した覚悟の遺書と、たったひと言の偽ら ...

Yahoo!ニュース

東京でも猛暑日を記録する日が続いています。まさに真夏といったこの時期、終戦記念日(8月15日)が近づいてくると、あの文言がよみがえってき ...

 

祖父が記した戦争後世に 日誌読み解き冊子化 医師の片山さん

47NEWS

終戦前後2カ月分 片山整形外科医院(北九州市八幡西区)の片山修史理事長(77)が、祖父で医師の愛而(あいじ)さん(享年95)が記した日誌から ...