24日、安土町長が天正遣欧使節が謁見したローマ法王グレゴリオ13世の子孫・ボンコンパーニ氏宅を訪問、同氏から伊東マンショの和装画を見せられたという。[中日新聞]
● 伊東マンショ(いとうまんしょ)・伊東祐益(すけます)●
(1570?-1612) 安土桃山~江戸時代の宗教家。天正遣欧使節の正使。伊東祐青と町上(大友宗麟の孫。伊東義祐の娘)の子? 天正十年(1582)イエズス会宣教師・バリニャーノの勧めにより、千々石(ちぢわ)ミゲル・原(はら)マルチノ・中浦(なかうら)ジュリアンとともにヨーロッパに派遣され、ポルトガル・スペインなどを経てローマで法王・グレゴリオ13世や次の法王・シスト5世に謁見、天正十八年(1590)に帰国し、翌年、聚楽第(じゅらくだい・じゅらくてい)で豊臣秀吉に謁見、イエズス会に入り、慶長十三年(1608)司祭就任、九州各地で布教するが、長崎で病死した。(『日本史広辞典』山川出版社・『国史大辞典』吉川弘文館・『戦国人名事典』新人物往来社 参照)
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