井手寺(京都府井手町) | ★☆☆★☆★☆歴史タイムッス☆☆☆☆★★☆古今東西歴史関連記事リンク集

★☆☆★☆★☆歴史タイムッス☆☆☆☆★★☆古今東西歴史関連記事リンク集

日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。

 13日、橘諸兄が創建した井手寺跡で、金堂の一部と思われる柱跡が見つかった。 これにより金堂の位置が確定、伽藍配置が「法隆寺式」であることがほぼ断定された。[共同通信・京都新聞]

橘諸兄(たちばなのもろえ)[1][2][3][4]


● 橘 諸兄(たちばなのもろえ)●
(684-757) 奈良時代の公卿。左大臣。橘氏の祖。美努王(みぬおう)と県犬養橘三千代(あがたのいぬかいのたちばなのみちよ)の子。光明皇后の異父兄として藤原四兄弟没後に政権を握り、左大臣に昇進、大仏造立・国分寺建立など聖武天皇の鎮護国家政策に協力し、740年恭仁京(くにきょう)遷都を主導したと思われる。(「歴史チップス 基礎人物集」より)

井手町の古代・中世・近世 (1982年) (井手町史シリーズ〈第4集〉)/)井手町史編集委員会

¥価格不明
Amazon.co.jp