勝端城(徳島県藍住町) | ☆☆★☆★☆☆歴史タイムッス★☆☆★☆★★古今東西歴史関連記事リンク集

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 6日、勝端城館跡(国史跡)から「永禄(えいろく。1558-1570)」年号の卒塔婆が発見された。
 卒塔婆は木製で56×5.5cm、供養者は「文泉」。三好長治(みよしながはる)が実権を握っていた「永禄十年五月廿四日」の銘があり、三好一族か家臣のものと思われる。[徳島新聞・毎日新聞]


● 三好長治(みよしながはる)●
(1553-1577) 戦国時代の武将。阿波勝端城主。義賢(よしかた)の子。永禄五年(1562)阿波守護・細川真之の家宰になり、篠原長房(しのはらながふさ)の補佐で分国法・新加制式(しんかせいしき)を制定、足利義栄(あしかがよしひで)を十四代将軍にし、長房を粛清するが、天正三年(1575)長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)に勝端城を落とされ、天正五年(1577)元親に降った真之に阿波荒田野(徳島県阿南市)で敗死した。(『日本史広辞典』山川出版社・『戦国人名事典』新人物往来社 参照)
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