二・二六事件の将校らの遺書発見(石川県金沢市) | ★☆☆★☆★☆歴史タイムッス☆☆☆☆★★☆古今東西歴史関連記事リンク集

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 金沢市で陸軍刑務所職員の子孫宅から二・二六事件で処刑された青年将校らの遺書などが発見された。
 発見されたのは安藤輝三大尉・栗原安秀中尉らの書簡・短歌・絵画など30枚で、防衛研究所に寄贈されるという。


 中橋基明中尉の辞世

  今更に何をか云はん五月雨に只濁りなき世をぞ祈れる

 高橋太郎少尉の辞世

  うつし世に二十四歳の春過ぎぬ笑って散らん若ざくら花     [北國新聞]




● 二・二六(に・にろく)事件 ●
 昭和十一年(1936)2/26に起きた陸軍皇道(こうどう)派の青年将校らによる反乱事件。安藤輝三(あんどうてるぞう)・香田清貞(こうだきよさだ)・野中四郎(のなかしろう)ら陸軍将校に率いられた歩兵千数百名が首相官邸・警視庁・政府高官私邸等を襲撃、高橋是清(たかはしこれきよ。蔵相)・斎藤実(さいとうまこと。内大臣)・渡辺錠太郎(わたなべじょうたろう。教育総監)らを殺害し、鈴木貫太郎(すずきかんたろう。侍従長)らを負傷させ、永田町など日本の政治・軍事中枢部を占拠するが、昭和天皇の命令や石原莞爾(いしはらかんじ)ら陸軍首脳の説得によって三日後に鎮圧された。野中は自殺し、安藤ら十七名が死刑になったほか、彼らに影響を与えた思想家の北一輝(きたいっき)や西田祝(にしだみつぎ)も処刑された。事件後、皇道派は衰退した。(「歴史チップス基礎用語集」より)

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