建物跡は27.5×6.6m、政庁ではないが重要施設に違いなく、同遺跡が新田柵であった可能性が高まったと思われる。[サンスポ]
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● 新田柵(にったのさく・にいたのさく) ●
陸奥国に置かれた古代の城柵。多賀柵など五柵の一。造営年代は8世紀初め? 天平九年(737)に持節大使・藤原麻呂(ふじわらのまろ)が、部下の大伴美濃麻呂(おおとみのみのまろ)に守らせたのが初見。大嶺八幡遺跡ほか宮城県大崎市東部一帯が有力視されている。(『国史大辞典』吉川弘文館・『日本史広辞典』山川出版社 参照)
東北の古代遺跡―城柵・官衙と寺院/高志書院
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