聚楽第の金箔瓦?の破片を発見(京都市中京区) | ☆☆★☆★☆☆歴史タイムッス★☆☆★☆★★古今東西歴史関連記事リンク集

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 18日以前、江戸時代初期のゴミ捨て穴から桃山時代の陶器や木製品に混じって金箔瓦の破片が発見された。
 近辺に金箔瓦の建物があったとは考えにくいため、破却された聚楽第のものを誰かが拾ってきたのではないかという。[京都新聞]


● 聚楽第(じゅらくだい・じゅらくてい)・聚楽城 ●
 京都市上京区にあった城郭風大邸宅。1586~1587年に大内裏跡に豊臣秀吉が関白公邸として造営し、1588年に後陽成(ごようぜい)天皇が行幸、1591年に関白を継いだ豊臣秀次(ひでつぐ)が入るが、1595年に秀次の自害により破却、遺構は伏見城などに移された。なお大徳寺唐門や西本願寺飛雲閣は遺構と伝えられるが確証はない。(『日本史広辞典』山川出版社・『国史大辞典』吉川弘文館 参照)
秀吉の御所参内・聚楽第行幸図屏風/青幻舎

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