地震翌日のこと | 傾奇者子守唄~かぶきものこもりうた~

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2009年10月、2011年9月、2014年4月生まれ、6歳・4歳・1歳の3人娘の子育て日記。
2016年1月、第4子長男誕生。
子どものこと、薪ストーブのあるお家のこと、日々の出来事をつづります。
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地震発生翌日

ガスは使えるものの、停電、断水、固定・携帯ともに電話は不通。

新聞も配達されませんでした。

情報源は市内全域に流れる防災行政無線とラジオのみ。

停電が一週間くらい続くかもしれないと覚悟し、しばらく旦那の実家で過ごす準備のため、翌朝、着替えやオムツ等を取りにアパートに行きました。

コンビニやスーパー、ドラッグストア、ホームセンターの前には開店前から長蛇の列。

開店するかも不確かな状況です。

開店時間から1時間が経過してもまだ店は開かず、店の前にはそのまま長蛇の列が。

多くの人は、おそらく懐中電灯や電池、食料や飲料水を買い求めるために並んでいたことでしょう。

停電だと自販機も使えないんですよね。

普段は気付きもしませんでした。

市民の方々が、自販機を壊すわけでもなく、声を荒げるでもなく、いつまで停電、断水が続くかわからない状況の中で、整然と列を作って並んでいます。

一部のスーパーでは、電気の点かない店を開店させ、電卓を叩いて商品を販売してくれました。

もちろん、時間はかかりますが、文句を言う人など誰一人いません。

地震翌日には、那須ナンバーの消防車が数台応援にかけつけてくれました。


私が住む久慈市では、今回の災害による死者2人、行方不明者2人。

3月20日現在も、市内4箇所の避難所で、60人以上が避難生活をしています。

水道、電気も一部地域で復旧していません。

近所の方が、地震当日、被害が大きかった陸前高田市の海岸付近で仕事をしており、10日経って昨日やっと久慈市に帰って来ました。

津波に遭い、電柱にしがみついて一命をとりとめたとのこと。

隣接する村に住む私の従姉妹の家も流されました。

身近にそういう話を聞くと、テレビや新聞で見ることが、現実のものだったのだと思い知らされます。