本田真凜の無垢なスケート愛  引退を決めていた今シーズンも支え合った『同期との絆』

【『偉いことなんだよ』浅田真央からの言葉】

 ーー引退に際し、かけられた言葉で印象的なものは?

 

  会見終盤、記者から出た質問に、本田真凜(22歳/JAL)は迷うことなく答えている

 

『たくさんの方にありがたい言葉をいただいたんですが、一番は浅田真央さんで。憧れの女性、憧れのスケーターである真央さんとお話しする機会があって、「最後のシーズンになりそうです」とはお伝えしていたのですが。私がつらいな、と思っている時に何か察してくれて、心に響く言葉をかけてくださいました

 

  そして(全日本選手権の)最後の演技が終わった時にもメッセージをくださって、一言一句、間違えずに言えるぐらい覚えています。できたら秘密にしたいので一部ですが、「真凜は小さい時から最後まで逃げず、ここまで頑張って来られた。それは偉いことなんだよ! 新しいスタートも、胸を張って進んでいけばいいよ」って』

 

  少女時代に世間の注目を一身に浴び、それが重荷になっていく。心が締めつけられる辛さや恐怖を、浅田真央は誰よりも知っていたのだろう。重圧をはねのけ、堂々と生きていくことがどれだけ難しいか。高潔なまでの輝きを放ってフィギュアスケート界を切り拓いた浅田は、唯一無二の理解者だったかもしれない

 

【『爪痕を残したい』真凜少女の思い】

  1月11日、東京都内。本田の引退記者会見が行われている。昨年12月、全日本選手権がラストダンスになった

 

  広間には100人程度の報道陣が詰めかけ、熱気が漂っていた。女性の司会者が本田のプロフィールを読み上げると、前の扉が開く。上下真っ白なスーツの本田が会場へ入ってきたところ、一斉にカメラののフラッシュがたかれた

 

『どんな瞬間を振り返っても、すべての思い出にスケートがあります。長い競技生活、いい時もそうでない時も、たくさんの方に寄り添ってもらって幸せでした』

 

  本田は晴れやかな顔で言った。2歳からスケートを始めた彼女にとって、スケートは彼女の一部

 

『お兄ちゃん(本田太一)には負けたくない、追いつきたい』

 

  その一心で最初は滑っていたという。きょうだい4人(太一、望結、紗来)で切磋琢磨。京都の大会できょうだいそろって優勝したのは、最高の思い出だ

 

  体操、水泳、テニス、ピアノなど多くの習い事のひとつでしかなかったスケートだが、次第に特別になっていった。アイスリンクが夏の間にプールに変わったり、あるいはつぶれてしまったり、スケートだけは移動距離がどんどん長くなったという。それでも練習に通い、送り迎えしてくれる親のため、子どもながら『爪痕を残したい』と思ったという

 

【自身を支えた無垢なスケート愛】

  すぐに頭角を現した。11歳で5種類の3回転ジャンプを習得、音楽が鳴ったら即興で滑った。感覚で大概のことはできたし、天分に恵まれていた

 

本田真凛選手

  2016年の世界ジュニア選手権、本田は優勝を果たしている。2017年の世界ジュニアも五輪女王となるアリーナ・ザギトワとしのぎを削り、合計200点超えでパーソナルベストを記録。同年、ジュニアで出場した全日本選手権で表彰台に迫る4位。愛くるしい容姿もあって人気は急上昇し、大手スポンサーがつき、雑誌の表紙も堂々と飾った

 

  それは当事者でないと計り知れないプレッシャーだったはずだ

 

『期待を裏切った』。簡単に批判を浴びた。不調や不運にもさいなまれる。それでも競技をやめず、全日本9年連続エントリーという結果を残した。それ自体がメダルと言えないだろうか

 

『子どもの頃は習い事のひとつだし、いつやめてもいいかなって感覚だったんですけど。16歳になってつらいシーズンで、年末に自分から練習を休んだことがあったんです。でも、スケートがない生活が考えられなくて、結局、4日間しか休まずに練習を再開していました』

 

  本田は笑顔で言う。彼女を突き動かしたのは、天賦の才よりも無垢なスケート愛だった

 

【好きなまま、引退できる】

『兄の太一が引退の年、今の私と同じ年で、やりきった表情をしていたんです。だから、自分もここまでやりきりたいって思いました。そのために、全日本に出続けるって決めて』

 

  本田は言う。スケートを通じたさまざまな絆が、彼女のひそやかな決意になっていたのだ

 

『(同期のスケート仲間とは)みんな小学校から一緒の幼馴染という感覚で。今シーズンで最後だよ、っていうのは知ってくれていて。最後の試合は体の状態がよくなかったけど、そのなかで頑張れたと思うし、(みんなと)支え合ったからこそで。スケートが好きなまま、引退できるんだと思います』

 

  今シーズンの東日本選手権、ギリギリの5位で全日本出場が決まった時の逸話は象徴的だ。フリースケーティングで最終滑走だった青木祐奈(日本大)は、自身の演技の直前に控えていたにもかかわらず、同期である本田の更衣室に駆けていった

 

『(後続の結果で本田が全日本に)行けたよぉ!』青木は涙目で報告し、本田を祝福した。これからある自分の演技そっちのけで、同期の成功がうれしくてたまらなかったという

 

『真凜ちゃんとは小さい頃から高め合ってきて。真凜ちゃんがいたから、表現のところもフォーカスできました。彼女がいなかったら、今の私はいない、と思うほどで』

 

  青木は笑顔でそう語っていた

 

【プロスケーターとしての新たな道】

  今後も、本田はプロスケーターとして滑り続けるという

 

  新しいことへのチャレンジも用意があるようだが、具体的には明かさず、この日は競技者としての幕引きをかみしめているようだった。『表に出なくなっても、どこかでスケートを滑り続けているんじゃないかって』とつけ加えた

 

『スケートを始めた2歳の時には、引退発表している自分の姿は想像できなかったので。この景色を伝えられたら、すごくびっくりするんじゃないかと思います!』

 

  最後のフォトセッション、本田は少し照れながらも健やかで可憐な笑顔を振りまいていた