本田真凛選手

 

 

本田真凜が引退発表  最後の全日本で見せていた決断のサイン  戦い続けたヒロインの誇り

【全日本で見せていた決断のサイン】

  フィギュアスケートの本田真凜(22歳/JAL)が、今シーズン限りでの現役引退を発表している

 

『今日に関しては、ここをこうしていたら、というのはなくて。スッキリした気持ちです。ここまで頑張れたので、自分に対して言いたいことはないし、悔いは何ひとつありません』

 

  昨年12月の全日本選手権の演技後、本田はそう明かしていた

 

『6分間練習の時から、たくさんのバナーを掲げていただいて、「真凜ちゃん、頑張れ」と声をかけてもらって。数年前の自分は、こんなたくさんの応援があることに気づけていませんでした。(気づいたからこそ)最後まで勇気を持って戦えたんだと。トリプルサルコウを跳んでフィギュアスケーター、競技者として戦えたことを誇りに思っています』

 

  曇りのない笑顔は、おそらく今回の決断のサインだったーー

 

【ヒロインがぶつかった壁】

  本田は、フィギュアスケート界のヒロインだったと言えるだろう

 

本田真凛選手

  2016年世界ジュニア選手権で金メダルを獲得し、日本人選手史上7人目の快挙で注目を浴びた。可憐な容姿と関係者が『天才』と絶賛した表現力が、人気の両輪となった

 

  2016-2017シーズンには全日本で宮原知子らシニアに混ざって戦い、現世界女王の坂本花織も上回る4位に躍進。2017年世界ジュニアでは、のちに五輪で金メダリストになるアリーナ・ザギトワ(ロシア)としのぎを削り、銀メダルを受賞した

 

『浅田真央以降のスター誕生』。2018年2月には平昌五輪も控えて、その将来が嘱望されていた

 

  しかしシニアデビューの2017-2018シーズンは、思ったような躍進を遂げられなかった。グランプリ(GP)シリーズは2戦とも5位で、GPファイナル進出を逃した。1年目でGPに出場すること自体、異例の抜擢だったし、ルーキーとしては十分な成績だったが、『期待を裏切った』という声が広がる。全日本もジュニア時代より順位を落とした7位で、五輪出場権を逃した

 

  これで潮目が変わった。シニア2年目、2018-2019シーズンは大きく調子を崩した。全日本は15位に低迷。天才特有の壁に当たった

 

『昔は人が何回もやってできることを、自分のなかではけっこうすぐにできてしまって。でも、できるのがいいことではなかったです。すぐにできるから、コツコツとジャンプを習得した選手よりも、安定しないというのがありました』

 

  2019年のインタビューで、本田はそう打ち明けていた

 

『(パズルにたとえるとピースが)ちょっとずつ組み立ててあるのが、バラバラにいるって感じです。考えてスケートをすることが今までなかったので。小さい時の感覚でなんでもできたのに、それがなくなって。ふだんの生活から、何でも考えて行動するようになりました。一つひとつの行動に対し、考えるようになった。おかげで少しはピースがそろってきてるかな、と。粘り強く頑張っていきたいです』

 

【全日本9年連続エントリーは誇り】

  しかし、その後は苦難に遭いながらの戦いとなった

 

  2019-2020シーズンのGPシリーズ・スケートカナダの際、本田はタクシー乗車中に不慮の事故に遭っている。心身ともに厳しい状況で、出場も危ぶまれたが、渾身で最後まで演じきった

 

『練習もそうですが、「ふだんの生活から明るくなったね」って周りの人から言われて。吹っ切れたところはあると思います。怖さがなくなって、自分らしくいられています』

 

  全日本も、総合8位と挽回した

 

  ところが2020-2021シーズンは、またも逆境に見舞われる。前哨戦となるジャパンオープン直前、ジャンプの転倒で右肩を脱臼。一度は自分で肩を入れたが、翌日滑った時に再び肩が外れ、棄権せざるを得なかった。体調不良のなか、全日本の舞台をつかんだが、直前にめまいで倒れて演技は断念した

 

  2021-2022シーズン、本田は若手の台頭で強化選手から外されている。引退もささやかれたが、彼女はブロック大会から勝ち抜き、全日本に出場。総合21位はかつてのヒロインにとって輝かしい成績ではないが……

 

  2022-2023シーズンも、本田は再びブロック大会を勝ち進んで全日本に出場している。今度はショートプログラム(SP)26位、フリーに進めなかった競技の世界は残酷だ。そして2023-2024シーズン、本田は僅差で全日本まで勝ち進む。SP最下位でフリーの舞台には立てなかったが、大会前に右骨盤を痛めていた影響もあったはずだ

 

『今年は大学生としての全日本は最後で、特別な気持ちがありました』

 

  本田は最後の大会になった全日本後、そう心情を語っている

 

『ブロック大会から勝ちとった全日本で9年目になるんですけど、それは自分のなかで毎年頑張ってきたからこそ、大きな舞台にたどり着けたと誇らしく思うべきかなって。自分のことを知らない人に、たとえ何を言われようとも。応援してくださる方に勇気をもらったので、その感謝を伝えるという気持ちで頑張れました』

 

【スケートをしていたから自分がいる】

  本田は時代の寵児として注目を浴び、そのイメージに押し潰されそうになった。しかし、成績にかかわらず、リンクに立ち続けてきた。9年連続の全日本エントリーはひとつの勲章だ

 

  最後の演技後、彼女は口元を両手で覆い、嗚咽を隠した。鳴り響く拍手のなか、ひざまずいて右手でそっと氷をなでた。ひとりのフィギュアスケーターの肖像がそこにあった

 

『全日本が終わったあとも、氷には乗り続けたいです。いろいろ苦しいこともありましたが、スケートをしていたからこそ自分がいて。それは幸せなことです』

 

  本田は言う。1月11日、東京都内で引退会見が予定されている