浅田真央『第二の人生の大きなチャレンジ』手書きの企画書、10分超のプレゼンも…夢だった″自分のスケートリンク”実現までの熱い思い

  浅田真央(32)が長年構想を練ってきた夢『自分のスケートリンク』を実現する。何より名前が良い。『MAO RINK』。海外では、五輪3連覇のソニア・ヘニーの名をとった『Patinoire Sonja Henie』(パリ)などがあるが、国内で名前が冠についたリンクが建設されるのは初めてだ。『私自身が選手の時に「こういうリンクがあったらいいな」と思っていた施設を企画しました。トレーニング場、バレエや芸術を学ぶ施設、栄養のとれるレストラン、すべてがそろう場所です』

 

  国際規格となる30m×60mのメインリンクと、サブリンクの2面で、約1000名の観客席や、浅田のメダルを展示するギャラリーのほか、外装には金銀銅の配色を用いる

 

『将来、金銀銅のメダルを取れるような選手が育つことを願っています。メインリンクは練習に集中できる黒を基調とし、サブリンクは採光窓から自然を感じることができます』

 

  自身も指導者として関わっていく。木下アカデミー(京都)やMFフィギュアスケートアカデミー(南船橋)のように、ヘッドコーチを中心にチームで選手を育成する教育システムを採用する予定。アカデミー体制では今季、島田麻央(14)や渡辺倫果(20)らのトリプルアクセルジャンパーが育っており、浅田の代名詞を伝承する場になることも期待される

 

浅田真央、10分以上の熱いプレゼン

  全国的にスケート場経営の難しさが指摘されるなか、これだけ豪華な施設が決まったのは極めて異例だ。開発するのは立飛ホールディングス(立川市)2021年3月、浅田が『リンクに対する思いを聞いてほしい』と、同社社長のもとに持参した企画書は、何かの裏紙にびっしりと手書きで自分の夢が書かれたもの。神は読まず、社長の目を見て10分以上の熱いプレゼンをした。同社は立川市の25分の1を保有して不動産開発を手掛けており、まちづくり全体での採算を考え、GOサインとなった

 

  発表会見で浅田は『立川人になる』と宣言。名古屋人から立川人へ、このリンクと共に残りの半生を送る強い決意をにじませた

 

『40歳、50歳、60歳になっても、何らかの形でここにいると思います。第二の人生の大きなチャレンジ。世界一のスケートリンクを目指してこれからも頑張ります』

 

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