羽生結弦選手

 

 

羽生結弦は涙を浮かべていた…アイスショー八戸公演で見せた“魂とクオリティの90分間”に、記者は再び驚いた『28歳はプロだけの自分になる』

 万雷の拍手のもと、涙が浮かんだ

 

『例えば2021年の全日本選手権でも思ったんですけど、これだけの歓声だったり多くの視線を浴びながら滑ることって、あとどれくらいあるんだろうっていうふうに正直に思いながらあの頃は滑っていました』

 

 羽生結弦の言葉が杞憂であったのは、この日の光景が伝えていた

 

何度見ても変わることのない鮮烈な印象

 11月4日に横浜で開幕した『プロローグ』が、12月5日、青森県八戸市で千秋楽を迎えた

 

 横浜、八戸を通じて、全体の大枠を変えず、披露するプログラムは少しアレンジされたが、共通していたのは、横浜でも八戸でも圧巻というほかない時間だった。二度観てもかわることのない鮮烈な印象だった。構成や演出をはじめ、自ら考えたという約90分間は、クオリティの高さをあらためて示していた

 

 6分間練習から始まる幕開けから、横浜同様、高揚と高い緊張感に包まれた

 

羽生結弦選手

 スタートは『SEIMEI』。その後にはこれまでの数々のプログラムが続く。『CHANGE』は中村滉己氏の津軽三味線の生演奏とともに披露。さらに会場内のリクエストで『Otonal(オトナル)』、YouTubeのリクエストによる『シング・シング・シング』

 

『悲愴』、『ロミオ+ジュリエット』と2011-2012シーズンのショート、フリーのプログラムが続き、新プログラム『いつか終わる夢』でつなげると、締めくくりは『春よ、来い』。アンコールでは『パリの散歩道』と『ロシアより愛を込めて』。10のプログラムを演じた

 

肉体面以外の“体力”もすごかった

 あらためて目を引いたのは、まずは一人で長丁場を走り切る体力だ。4回転ジャンプやトリプルアクセル、さらには競技生活にあっては封印していたビールマンスピンなども交えた高いレベルでの演技を滑り切ったこともそうだが、ここで言う体力は、肉体的な部分にとどまらない

 

『常に休む暇もなくずっと滑り続けなきゃいけないですし。あとはプログラムによっていろんな気持ちの整え方だったり、届けたいメッセージだったり、いろんなことがあるので、そういう切り替えもいろいろ大変だったは(と)思います』

 

 1つ1つがそれぞれに、羽生にとって大切なプログラムであり、そこに込める心情も並々ならないものがあるのが伝わってきた。その中で完走する精神的な体力もまた、特筆すべき点だ。1つもミスのないジャンプの制度を誇ったことも含め、節制と鍛錬、練習の日々、重ねてきた経験が公演の中に立ち込めていた

 

羽生の特別な思い『震災と同い年のプログラム』

『悲愴』のあとにはある映像や写真が流された。2011年3月11日の東日本大震災に関連するものだ

 

『僕が3月に被災をして、アイスリンク仙台が使えなくなってしまった後に東神奈川のリンクでまず自分の恩師である都築(章一郎)先生という方にお世話になりました。その後に八戸の方でも「電気とか使えないけど滑っていいよ」と言っていただいて、滑らせていただきました。実際に節電の状態でしたし、電気もつけないで。日中だったので換気用にたぶん天井をちょっと開けることができるんですけど、その明かりだけでプログラムをつくったり、体力トレーニングをさせていただいたり。そういう意味でも八戸にはお世話になりました

 

 そういう地で、また作っていただけたプログラムを、この地でできたのはすごく自分にとっても感慨深いものがありました。実際に震災があって、すぐにつくったプログラムたちだったので。震災と同い年になるのかな。だからこそ、月日がどれだけ経ったのかということと、またあらためて自分自身もこのプログラムに触れることによって、皆さんに触れてもらうことによって、少しでも震災を思い出したり……。思い出して苦しんでいただくのはちょっと申し訳ないなと思いつつも、でも、それがあるからこそ今があるんだって思っていただけるように。そういう演技ができたらなと思って滑らせていただきました』

 

思い起こしたのは、11年前の羽生だった

 映像や写真は、11年前のアイスショーを思い起こさせた。2011年7月28日、八戸で行われた『THE ICE』だ

 

 数々のスケーターが出演する中に羽生もいた。『ロミオ+ジュリエット』を演じた羽生は『グランドフィナーレ』で、他のスケーターが退いたあとも拍手が続くリンクにただ一人戻り、ジャンプを決めて喝采を浴びた

 

『自分自身、被災した方々への思いがすごい強かった。その思いを演技に組み込んで伝えられました』

 

 終演後、羽生が語った言葉だ

 

 東日本大震災のチャリティー公演として行われたショーには青森、岩手、宮城各県から、仮設住宅などで生活を送る1400名の被災者が無料招待されていた

 

『初めて見ることが出来て感動しました』

 

『楽しかったです』

 

 おそらくは高校生だろう、『自分も部活、がんばろう』というつぶやきも聞こえた

 

『プロローグ』に込められた“羽生の魂”

 あれから11年あまり。羽生が大切に抱えてきた思いも映像や写真、メッセージと演技が伝えていた。そこには羽生の魂があった。魂がすべてのプログラムに、ショー全体に込められているからこその『プロローグ』であることを象徴していた。そして羽生が自らの思いを大切に抱えてきたことは、最後に演じた『ロシアより愛を込めて』において、9歳のときの映像に重なるようにスピンをし、同じポーズのフィニッシュで終えた光景にもあふれていた

 

 それらの姿勢から生まれた公演だったからこその拍手と称賛であった

 

公演のトーク中にこぼれた『印象的なある一言』

 公演が終わるとき、1つの案内が流れた。来年2月26日、東京ドームで公演『GIFT』を開催する知らせだった

 

『ちょっとプロに……僕の理想とするようなプロにちょっとなってきたかなって、足を一歩踏み出せたかなっていう気持ちでとりあえず27歳を終えることができると思います。28歳はほんとうにプロだけの自分になると思うので、大きな節目を超えた自分がアマチュア時代の自分とかを見たときに、「今の方がうまいな」と胸を張って言えるようにこれからもどんどん成長していきたいです』

 

 公演中のトークではこんなひとことがあった

 

『始まりの始まり』

 

 恩返しの旅は続く

 

 その始まりを高らかに告げたのが『プロローグ』だった