私の手放せない1冊は森茉莉「贅沢貧乏」です。
草思社「チープシック」資生堂「花椿」と共におしゃれや人生の聖書です。
周りにどう言われようと
自分の心に嘘をつかないことを教えてくれました。
但し森茉莉とは境遇が違いすぎて
私の前半生では率直はわがまま扱いされて
自分の首を締めたけどねぇ、遠い目。
子供の頃、たまたまどなかからの頂き物で
当時片岡物産で取り扱っていた
ヴァンホーテンのココアを母親が小鍋に火をかけて作ってくれて
飲んだらその美味しさが革命的過ぎて
なんじゃこりゃー!
今までおいちぃ、と思っていた○永や明○の砂糖入りのインスタントココアは
もはや飲めなくなりました。
ただアタクシ子供だったから率直に
美味しい、これからはずっとこのココアがいい
と言ったら地雷踏んじゃった。
母激怒。
そんなわがままをいうのはいけませんっ。
我が家は質素倹約至上主義で、
生活水準は最低にして贅沢に慣れるのは罪悪、
家の中は軍隊みたいでしたから。
まだ沢山残っていたはずのヴァンホーテンのココアを、その後母は二度と作ることはありませんでした。
娘の躾の為に、でしょう。
家のご飯が美味しくなくて
たまの外食の時にはご飯が美味しくて
がっついていたら
何で私の作ったご飯は余り食べないのに、と母に嫌味を言われたことがあります。
子供の頃凄く偏食少食だったんですが
大人になって直ったのは
素麺ってカビ臭くないし
あんこって美味しいし
とわかったから。
多分、賞味期限切れでカビ生えた素麺とか
さらしあんだったんだろうなあ。
確かに我が家は豊かではなかったけど
何かと食べ物に文句を言うのはワガママ、と言われ、私はその他のこともあり家でも学校でも本音を仕舞い込んで生きてきました。
今思うと貧しい中精一杯頑張っていたんだろうなお母さん。
育ててくれてありがとうございます。
でも、ごめんなさい。
私は貴族の心を持って生まれて来ちゃったの。。
今思い返すと、何故か幼い頃から
何となくこれいい、の感覚はずれてなかったような気がします。
でも生まれてきたのはど平民の家庭だったから苦笑。
身近な人間にこう感じるこう思う、を率直に話せば変人扱いされるので、心に蓋をして大人になりまして
成人してから都会に出て下僕生活し始めて
たまたま出会えた寛大な気持ちのアッパーな階層の方々のコメントにより
私の感覚はさほど間違ってはいなかったことがわかりました。
たまには褒めてくださる方もいたりして、嬉しかったわ。
そんな中、お給料貯めてたまに読みたい本も買えるようになり
出会ったのが森茉莉「贅沢貧乏」でした。
繰り返し読み、一部は今でも覚えてます。
森茉莉さんは明治の著名人のご令嬢で
貧乏になったのは晩年なので私とは違うのですか
自分の感覚中華思想で紡いだ時代を超えた贅沢概念エッセイは
今の若者にも啓示を与えるのではないかと思ってます。
森茉莉さんは
晩年アパートで孤独死したのを発見されたそうです。
でもそのニュースを聞いた時は
私は孤独とか思わなくて
貫いたなぁ、と。
多分、側にいたら頑固な変人我儘婆さんと思うのでしょうが、
ご自分の書いたものの思想と生き方が一貫していて、不謹慎ながら潔い最後だったと。
私もトカイナカの片隅で
いつも心に森茉莉を、で余生を過ごしたいものです、、
そして、こうも言い換えられる。
ボロを着てても心は貴族。