家ではダチョウがそこそこ人気者だ。
ダチョウについて解説しているYouTubeを見て以来、一年に2回くらいダチョウへの憧憬を深めている。
ニワトリも3歩歩けば〜的なアホ表現に使われるが、ダチョウは桁違いの模様。暴走の理由を知ってから、好きな動物ベスト10入りした。
先日、同居人が「ダチョウを市で推す政治団体を作る!ダチョウの楽園計画だ!」と言い出した。奈良の鹿の如く、フリーのダチョウを公的に飼うのだと。
また「生まれ変わったらダチョウになりたい」という理想論についても会議したが、ダチョウ=頭の中幸せという方程式は成り立たないのではないか、悲しみや苦しみと同様、喜びや楽しみも感じることすらないのではないか、という決議となった。
そこでふと思い出したのが、かの有名な豊臣秀吉の辞世の句である。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
改めて検索して、難波が浪速の字であることで、ダチョウの走行速度を思わせることに気づき、秀吉は頭の良いダチョウか、いやそんなものはおらん、ダチョウについて辞世を遺したのではないかと。大発見。
ダチョウの一生はまさに露のような速度で(ダチョウ脳内において)過ぎるであろうし、夜の夢こそまことなんて考える間も無いだろう。
秀吉とダチョウはなんか見た目も良い繋がり感じるわよねー。秀吉がダチョウと出会って騎ダチョウ軍団でも作っていたら歴史はどんなことになっていたかしらねー。
と、考える人すらアホにしてしまうので、ダチョウはすげらしいアホだと思う。(すげらしい、は、すげえ!と素晴らしいを合体させた自分造語)
対して賢いと言われがちなカラス。
自分は一年前にカラスに軽く小突かれて以来、奴らに少々ビビっている。基本的に好きな鳥だが、昨年の経験を経て、今、そこらのカラスの挙動に敏感になってみると、いわゆる繁殖期の最近は鳴き方や出現に節操がない。
賢いには賢いが、一度冷静に考えてみて欲しい。
その賢さは、あくまでも「鳥にしては」で「幼稚園児くらい」の賢さであり、人間の目で世の中をフラットに見た場合、普通程度だ。
過剰に賢い扱いなんかしてやらん!せいぜい鳥!と、自分のカラストラウマを解消しようと頑張っている。
ところで最近、可愛らしい姿で羽休めしている野生のポッポを見て嬉しかった。
これはまさしくポケモン技のはねやすめ!
どうやったって回復しかしない。
そしてAIさんに「何が何でもダチョウを個人で飼育したい」と無茶な相談をし、エミューならまだなんとか、と提案されるも絶拒。
くだらない兼おおまじめな話に酒飲んでないのにいつまでも付き合ってくれるところは良いですね。
