兵庫県立美術館へ行ってきました。
安藤忠雄の建築でコンクリートの作りでした。
南に海、北に山、その間にコンクリートの作品。
不思議な感じがしました。
雨に濡れたコンクリートは好きなんですが・・・・。
コンクリートは再生不可能な素材で、現代ではどちらかというと好まれていないはず。
だけど、コンクリートは1色で様々な色を表現して、何とも芸術的です。
ものすごく美しく、造形美として、美術館としては、いいかもしれないけど、なんとなく「とても好き」にはなれなかったです。
「どせいがみえてますよー。米粒ほどのどせいがみえますよー」
視線を向けると、禿げたお爺ちゃんが、手をメガホンにして商売人のように声をかけていた。まるで叩き売りだ。
最初は望遠鏡だとわかるまで、どせいが「土星」だと変換されなかった。
そうだとわかると、僕も一歩近づいてみる。
イオンの看板があるものの、三木だ。
街灯も少なく、怪しいその人に簡単にはいそうですか、という感じにはなれなかった。
お金、とるんだろうと思っているとそれを見透かすように「ムリョーですよー」と威勢よく反応する。
騙されてみるか。
そう考えたのは、望遠鏡に阪神タイガースのタオルが巻いてあり、三脚にビニールテープが巻いてあったからかもしれない。
どうぞ覗いてください、どせいが見えてます。
月なんか見えたらすごいんですよ!
だけど、そんな月はなかなか見えません。
でもどせいでもドキッとしますから、どうぞ。
はぁ、と小さく反応し、覗いてみるが、案の定何も見えない。
「どせいはここから15億キロ離れたところにあります」
「よう知ってますね」
「いや、そのくらい知ってないといかん。あ、いやちょっと待ってくださいよ、ずれてますね」
ごそごそとタイガースの望遠鏡を調整する。
「これで見えますわ」
改めて、望遠鏡を覗いてみる。
と、よく写真で見るような輪っかのついた茶色い惑星が見える。
「おぉ!すげぇ」
思わず声が漏れる。
「いや、月ならもっとすごいんですけどねぇ。。。。」
言いながらもとても嬉しそうだ。
この時僕は思った。
この人はきっと少年のような人なのだ。
僕もかつてそうだったように、宇宙に憧れて、ずっと夜空を見ているのだ。
それを人にもただ見せたくて、ここでこうやっているのだ。
ロケットの打ち上げなんて涙してみているのかもしれない。
そう思うと、この人がなんだか星のように光っているかのように思えてきた。
いや。
いや待てよ。
騙されるところだった。
そうか、この人はそんな純粋なふりをしている宇宙人なのだ。
地球人の感想を聞き、反応を調べているのだ。
もしかしたら、望遠鏡にみえるそれで僕のエネルギーを吸い取ったのかもしれない。
そういえばなんだか体がだるい気がする。
言葉を何度も繰り返すのだって、きっと語学の練習をしているのだ。
タイガースは自分の星のマークにしているのかもしれない。
そういえば阪神の文字が消えかかっている。
そんな少年心の対決を延々と心の中でしながら、僕は北区に車を走らせて帰ったのだった。
涼しくも暑いある夏の夜の事。
かれこれ10年来の付き合いの友達が何人かいる。
その内の何人かは、ものすごく厚かましい。
平気で僕の飲み物をグビグビ飲んだり、僕の近くに来たかと思えば、
「エイジ、箸かして。」そう言って目の前の食べ物にも手をつける。
親しき仲にも礼儀あり。
この言葉を知らんのか、と思えるほど。
このブログを読んで、何人かは
「オレや、オレの事や。」
と感じてるだろう。
ざまぁみろ。
僕の性格を熟知している人ほど、敏感に感じてるだろう。
僕は、ちょっと足が当たった、体がぶつかったくらいで、
「ごめん。」
と言われるのが好きじゃない。
全く痛くもないし、悪気があるわけでもないのに、その言葉に返事をすることすら面倒になる。
「一回の『ごめん』より、『ありがとう』の方がいいよ。」
僕がよく口にする言葉。
「まってた?ごめ~ん。」より「まっててくれた?ありがとう。」の方が、僕はキモチイイ。
食べ歩きの時。
「ウマイ!!」
こう感じたとき、僕は周りの仲間と共有したくなる。たぶん、みんなそうじゃないかな。
減ってもいいや、ウマイだろぅ?オマエもこんなの好きなんだろぅ?ってね。
だけど、最後の一口は残してね。
礼儀なんて、ココゾって時でいいと思う。
イヤだったり、ムカついたら、そういえば良い。
「エイジなら思ったことをいってくれる。」
そう信用してくれてるんだとおもう。
relaxして言いたい事言える。ベタだけど難しいよね。これが。
大学を卒業して、ものすごく違和感を感じた事がある。
安達さん、石田さんや、三宅さんに同期の本間さん。
みんな「~さん」付けで呼び合う。
「オマエ、なんてーの?」
「トヤマタツヤ」
「じゃぁ、タツヤな。」
「タツヤ、明日何してる?実は・・・」
なんて流れ、どこで失うんだろう。
英語どおり、First Nameがいいに決まってる。
親しき仲にも礼儀あり。
親しき仲ほど無礼講。
僕は、がんばって呼び捨てで呼ぶ。
違和感あるのなんて、3,4回だ。
その人と付き合って、何回その人の名前を呼ぶのか?その内の数回で決まる。
後で修正する方が、よっぽどタイヘンだ。
みんなは僕を「エイジ」「エイジ君」と呼んでくれる。
ありがとう。
厚かましいくらいでちょうどいいよ。
これからもどうぞよろしく。
夏が近づくこの季節。
僕はテンションが普段の倍以上に跳ね上がる。
3年ほど前は、仕事の休憩時間を使って、急いで食べ物を買って、バイクでメリケンパークへ行く。
ネクタイをはずして、シャツを脱いで、上半身裸で、ご飯を食らう。
パンツの裾もまくりあげ、時間ギリギリまで直射日光を浴びる。
だけどね、オフィスから外へでて、裸になって日光をいきなりガンガンに浴びて、すぐにスーツ着て仕事できないよ。
やり始めは、体がついてこられず、オフィスに戻る頃には、ヘロヘロんなってた。
体は溶けそうにだるくて、頭はナゼかガンガンするし。
だけど、わかっていてもほぼ毎日行ってた。
体は後からついてくる。あまり魂だけつっぱしっちゃうとアブナイけどね。ポックリ行き過ぎて戻れなくなっちゃう。
高校の頃よく、CDウォークマンとスピーカーを持って須磨へ行った。
何するでもなく、男連中と。
何故か大学の頃は余り行かなかった。
汚いイメージがついていたから。
去年は海の家でご飯を食べたり、よく須磨へ行った。
思ったよりも海がキレイに見えて、結構気に入った。
有り得ないような連中が海にはいる、それだけでも楽しい。
去年の話。
大雨の中、バイクで2人乗りして須磨に行った事もあった。
出る前は確かに少し怪しい雲行きだった。
「オマエ、天気気にしてたら、じかんもったいないわ。ムシムシ。行こうぜ須磨。」
「えぇ、バイクでぇ?降ったら終わりやん。」
「無視、無視。」
「しらんで。」
案の定、中間地点で大雨。
ビッショビショがたまらなくおかしくて二人して大笑い。
え?アックンは笑ってなかった?
無視、無視。(しつこいね)
だけど、到着した途端、ウソみたいにガンガン晴れて、大笑い。
夏は頭がクルクルパーになる。
つかの間ビーチに居座って、アックンが不意に話かけてきた。
「エイジ、焼きそば食おうか。」
「これも飲んでみ。」
眩しい太陽に目を閉じて少し無理してガンガン飲む。
いつまでたっても変わらない風景。
変らない味。
ビールではなく、ジンジャエールやコーラ。
同じ人に同じ場所。
高校の頃から同じ飲み物。
コーラが、僕の喉で、目の前で、ハジケた。
まもなく!
夏が来る来る。
夏が来る。
久しぶりに、たっぷり一人時間のある一日でした。
朝、ゆっくり家で片付け等をして、お昼過ぎに街へ。
いつも流れにのって歩いている慣れた街のはずなのに、周りがとても早く感じた。
HMVでマイペースを取り戻して、再出発。
切りっ放しのショートジーンズを探しにリーバイスへ。
旧居留地は電線が地中に埋められているおかげで、街がすっきりしてる。
あんな大きいリーバイスストアで他にはお客さんはいなくて、平日のチカラを改めて感じた。
お腹が減ったらご飯を食べて、気の向くまま歩いた一日でした。
一人でいると店員さんの声や口調にも敏感になり、一言一句じっくり聞いてる自分に気付いた。
今日一日で、色んな人に連絡したり、友達の職場を覗いたり、「近いのにホントに会ってないなぁ。」なんて改めて感じた。
帰り際、「BIG ISSUE」が目にとまった。
¥200円払い、久しぶりに買った。
BIG ISSUEはホームレスの自立支援の一環です。
販売者は一冊110円の収入を得ます。
1時間に6冊も売れるだろうか。
以前BIG ISSUEについて色んな人と話した事がある。
「でも、ホームレスっておかしくない?だって、日本は最低限の生活は保障されているわけだろ?」
「それは、同時にホームレスを作る事にもなるんじゃない?」
とかね。
僕はキレイ事ばかりじゃないけど、そうは思わない。
もちろん、ホームレスは肯定しない。
だけど、「生活保護を受ける事」「受ける資格」は?
その人の背景はわからないよ、誰も。
だいたい、結構面白いよ。
次回7月1日号は、なんと!ジョニーデップ!!
絶対いに買わなきゃね。
ホームレスこそ、街を見て、風をチョクに感じてるんだろうね。
僕もあそこまで自由に生きられたらと思うこともあるよ。
安易にそんなこと言っちゃいけないよね。
まだまだかな、散歩マスター。
僕は子供っぽいってよく言われる。
街中ではしゃいだり、ふざけたりするから、らしい。
それについては、うれしくも、嫌な気もしない。
大人の定義って何かよくわからない。
僕は、常識はわきまえているつもりだけど、稀に非常識かもしれない。
その常識のラインもよくわかんない。
カフェにいく。
セルフのカフェで、席を立つとき、サッとテーブルを拭くように心がけている。
それは大人って事でもないんだけど、自分も人も気持ちよくなって楽しめたらと思う。
どうだろ、これは大人なんだろか。
知人とバースデーケーキを買いにデパ地下の閉店間際のケーキショップ。
「HAPPY BIRTHDAYとかかれたプレートと、無地に自由に文字をお載せするプレートとご用意できます。」
閉店間際、というより、時間的には閉店してた。
「じゃぁ、文字を載せてください。」
きっと僕もそうしただろう、妥協するトコじゃないし。
だけど、僕なら
「終わる間際で、申し訳ないんだけど、最後の一仕事に文字を載せてもらってもいいですか。」
そう心でつぶやいていた。
長いセリフだよね、だけどいいたい事、思った事、全部言わないと気持ち悪い。
COOLさが僕には足りないんだよ、きっと。
グチグチ子供みたい。
帰りがけ、どうしても言いたくなって、
「どうもありがとうございました。遅い時間にごめんなさいね。」
と、そこにいるスタッフの顔を見て言葉にした。
一緒にいたら、少し恥かしいかもね。
僕は声が大きいから。
恥かしい事、目立つ事をすると子供っぽいっていわれる。
「エイジ、もうすぐ28歳なんだから、やめとけ。」ってね。
カッコつけのクセにカッコつけるのが下手な僕は“言わなくてもいい事”“やらなくてもいい事”でたまに恥をかいたり相手を傷つけてしまう。
僕はいわいる「変わった人」じゃない。
一般ピープル。
だけど、常に心のどこかで『こぼれた子供』感みたいなものがある。
時が経てば経つほど、その差は広がる。
僕が常に感じている人に対する劣等感だ。
だけど、僕はそいつをがっちり受け止めて、仲良く共存している。
大人か、子供か聞かれたら、良い意味でも、悪い意味でも、僕は子供。
自制をし、Coolなポーカーフェイスで僕は大人になるのかもしれない。
だけど、いつまでも直球を失いたくないよね。
誰もがきっとね。
バリ島ではルピアの切り上げでその差は縮まりつつあるけど、対日本と物価は7、8倍くらいは違う。
ある日、ジェンガラケラミックという陶器をタクシーで買いに出かけたときの事。
タクシーを降りるとき、「待たなくていいよ、ホテルの人呼んで迎えに来てもらうから。」
そういって、精算していた。
僕らはタクシーの運転手さんとGood byeをして店の中へ。
そうしないと、タクシーの人は店の外で待っていてくれる。もちろん帰りも運んだほうが儲かることもあってだ。
涼しい店内で品定めをしているうちに気が変わり、僕らは予定を変更して、改めてタクシーを拾ってビーチ屋台に行くことにした。
店をでて、タクシーを呼ぶ。
そこに現れたのは、なんとさっきと同じ人。
予定を変更した旨を伝えて、ジンバランのイカンバカール(シーフード屋台)へ連れて行ってもらった。
メーターもたてて、金額は上がっていく。
バリのタクシーはGPSが付いていて、不正がしにくいようになっている。
10分ほどたって、到着。
お金を払い、降りようとした僕らにその人はなんと、
「フリー! ノープロブレム!」
めちゃハジケル笑顔でそう言った。
「えぇぇぇ、いや払うよ。」
「フリー!フリー!」
確かに、僕にしてみれば小さい額だった。
だけど、その人にすれば大きい額だった。
2,3度払おうと話しかけたが、最後まで、笑顔は崩れなかった。
僕は激しく感動した。
その額は、その人のどのくらいの大きさだろう。
お金を持ってないとしても、執着せず人に遣える人は偉大だ。
僕はその人から、バリの日差しよりも熱い「やさしさ」を受け取った。
バリ島では良いことしかなかった。
ジンバランの夕日はうわさ以上にキレイだった。
象は仲間がこの世を去ったとき、その者を偲び、さらには涙することもあるそうだ。
広島の経営破たんしたドックパークで、約480ものワンちゃんが、ろくに食事も与えられず苦しんでいる。
栄養失調から失明、餓死、など等。
憤りを感じながら記事を読んでいた。
その状況は、ボランティア団体により動物は救われつつある。
救ったのはまたもやアークエンジェルズ。
大阪の団体だ。
何もできない人もいれば、何もしない人もいる。
何も知らない人もいれば、何も感じない人もいる。
知らなければ、怒りも悲しみも覚えることはなかっただろう。
だけど、それは目を瞑っているも同然。
目を開けていないと、感動も悲しみも少なくなってしまうだろう。
「閉じると見えているものが開くと見えなくなる」ものもあるけど。
だけど僕だってみんなと同じ、大して何もできていない。
せめて、アンテナを張り、1人でも何かを感じて、すこしでも何かうまい考えが広まればいいなと思う。
僕がよく口にする言葉。
無知は罪じゃないけど、無関心は罪だ。
多くのものに関心を持ちたい。
僕には知らないことが多すぎるから。
僕は、大学卒業の頃、文字通り大人の印として、ものすごく複雑な印鑑をもらった。
印鑑証明用。それは以前、いやおそらく今も高級印鑑として名をはせている象牙だった。
僕はとても複雑な気持ちだった。
大きな契約をするとき、象牙の印鑑をつき、僕は満足できるだろうか。
象牙がどういうものなのか知っていたから、僕は喜べなかった。
くれた人の気持ちは大切で、ありがたかったけれど。
僕は象牙印を一度も使ったことがないし、これからも使わないだろう。
決して粗末にしたりはしないけど、誰の目にも届かないところで大切に保管するよ。
アークエンジェルズの記事の載っていた同日、夕方こんなニュースが流れていた。
―大阪で100頭相当の象牙密輸入
涙が出そうになった。
写真には、密猟で殺された無残な2頭の象の姿。
撃たれ死んだ仲間を目の当たりにした象は迷う。
行くべきか、去るべきか。
どう決断をして、何を感じたのかわからない。
だけど、事実―2頭は隣り合い、顔を向け血の海の根源となり倒れていた。
『もう頂いたものだから、大切に使おう。』
それも一つの選択かもしれない。
だけど、それは需要を生む一部になるかもしれない。
僕が象牙の印を押した隣の人はこう考えるかもしれない。
『やっぱ実印は象牙だ、重みが違う。』
僕はホントはカッコ付けかもしれないけど、パチもんの石でいいや。
そこまでして本物はいらないし、そんなのカッコよくともなんともない。
自分の意思で、自分の価値観で自分で考えてものを選ぶよ。
その為にはもっともっとイロンなこと知らないと。
0.001%かもしれない。
僕は極小でもいいから可能性を下げたいんだ。
知らずに使うかもしれない。
だけど、本当に知らない?
象牙が今は禁止されているって。
じゃぁ、なぜ禁止されているか考えないのだろうか。
それは、無知だろうか、無関心だろうか。
2日目の朝、灼熱は続いていた。
カップルは、迎えに来た漁船に乗って帰っていった。
「乗せてもらおうや。」
冗談っぽく誰かが言ったけど、結構ホンキに聞こえたよ。
2日目になると、無人島は遊び場ではなく、試練の島でしかなかった。
貧弱な食料はロクなものは残っていなくて、飲み物も中川のドライアイスの中を除いては、太陽熱で温められたものだけになっていた。
「釣りしてくるわ。」
そういったサブが数分後、釣れた魚を持ってきて
「どこがヤバイんやろう。」
といって小さなフグを僕に差し出す。
「いや、無理だって。間違ったら死ぬぞ。」
「イケると思うんやけどなぁ。」
―コイツ長生きしねーな。そう思った。
諦めたサブは海で拾った大漁の貝を鍋に入れて湯がいて食べてた。
ちなみに今でもサブは生きてるけどね。
サブゥー元気か?
3日目の朝、心配をヨソに舟は迎えに来てくれて僕らは生還した。
コレを期に僕はコーラをおいしいと感じず、余り飲まなくなった。
この頃から、流されず、美味しいものや欲しい物は、自分の価値観を尊重して、自分で選択するようになった。
足を怪我したり、自分たちの無力さを知ったり、楽しい事ばかりではなかったけど、多くの事を学んだ3日間でした。




