ビジネスは戦いなのか、共存なのか

今日はちょっと考えてみたいテーマがある。ビジネスというのは戦いなのか、それとも共存なのか、ということだ。
一つの椅子を狙って、他の人よりも先にその椅子に座る。そういう考えになりそうになる時が、僕にも正直ある。だがいろんな人たちに会っていると、はっきり二つのタイプがいることに気づく。「ビジネスは戦いだ」という考えを明確に持っている人と、共存の人である。
後者の人と会うと、僕はいつも不思議に思う。この人は僕のことを助けたり、人を紹介したりして、何のメリットがあるんだろう。ご馳走までしてくれて、僕は別に何も返せないのに、なんでそんなことをしてくれるんだろう、と。

他人という鏡で自分を確認する人たち

意外なことに、前者の「戦いだ」という人たちには、それなりに社会的な地位がある方も多い。そういう人たちを見ていると、とにかく自分をすごく大事にしているんだなと感じる。自分の生きている時間、自分の人生の考え方、哲学みたいなものが全て大切で、他のものをあまり受け入れない。自分が受けてきた傷、自分が成功してきた道のり、そういったものを全てひっくるめて、他人という鏡に映した自分は大丈夫なんだという確認を、なんとなくしているように僕には見えたりする。

そういう人と話す時、僕はあまりいい気分がしないというか、力を奪われるような感じを覚える。
だが、ここで正直に告白すると、実はこれ、多分自分にもそういうところがあるのだ。人は鏡である。自分で自分のことは見えないのだが、「ああ、この人と話してあげてるんだ」というような思い上がりを、どこかでしている自分が多分いる。それがわかってしまった。

上下の概念は必要、しかし思い上がってはいけない。だが、誰かといた時にその人より上だとか下だとかを考えること自体は、悪いことではないと僕は思っている。

上とか下、左とか右という概念は、実は相手の考え方に抽象度を合わせていくという意味では、とても必要なことなのだ。自分という人がいて、他人という人がいて、コミュニケーションを取っていく上で、その人の持っている価値観、知見、頭の回転のスピード。こういうところにフォーカスしていくことが大事で、そこに上下左右という概念を持っていくことは、抽象度の切り替えにおいてはとても大切なことだと個人的には思っている。

問題は、そこで同時に発生する「この人より僕が偉い」「この人は僕より偉い」という気持ちの部分である。これは良くないのだが、ありがちな話なのだ。

本当は、ホームレスのおじいちゃんも、僕も、私も、あなたも、ビル・ゲイツさんも、イーロン・マスクさんも、孫正義さんも、一緒なんですよ。人間の価値として上も下もない。ここを365日24時間思い続けるということが、とても難しい。

お金も地位も名誉も「劇薬」である

なぜ難しいのか。お金も地位も名誉も、劇薬だからである。
お金も地位も名誉もエネルギーであって、それをどう使うかはその人次第だ。例えばお金持ちというのは、他の人に比べてそのエネルギーをいっぱい持っていて、それを何かしらに変換していく。だが実はそのエネルギーは、劇薬にもなりやすい。その人の心や幸せを壊したり、その人自身を傷つけたりする。

どういうことか。例えばその人が誰かを傷つけるとする。人を傷つけるということは、「人を傷つけている自分がいる」ということを、無意識が認識するということだ。相手という鏡を通して、「自分はそういうことをする人間なのだ」という無意識が、その人自身を傷つけるのである。地位やお金や名誉というものは、そういう劇薬に変わる可能性がある。

器の大きさが毒を中和する

ではこれを防ぐにはどうしたらいいのか。これは仮説であって、僕自身もいいことがあれば思い上がることもあるという未熟な人間なのだが、やはりこれは人間的な心の大きさ、器とも言えるものなんだと思う。

器が大きいということは、水の入っている水槽が大きいということだ。水槽が大きければ、毒のようなものが少し入ってきても、毒素が中和されて、あんまり影響されない。だから人としてどうあるかということ、そして相手に対するリスペクトが、とても大事なのである。

一人一人にリスペクトを

僕は最近、このことをすごく学んでいる。自分にとって好きな人からも、そうではない人からも、両方からよく勉強させてもらっている。
とにかく会う人、会う人、一人一人をなるべくリスペクトする。効率的に人と人をつなげていくとか、コスパとかタイパみたいなものが流行っている時代だけれど、こと人間に関しては、みんなが血の通った生き物である。僕の態度一つ、行動一つが、その人の人生を狂わせてしまったり、その人の一日を無駄にしてしまうぐらい嫌なことになったりすることも、なくはないだろう。

だからやっぱり、気持ちよく、リスペクトを持って生きるべきなんだろうし、行動するべきなんだろうと思う。

本当に、学ぶばかりの今日であります。