前回は斉藤ひとりさんについて書いた。

斉藤ひとりさんからは、物事の捉え方を明るくするのか暗くするのか

ネガティブをポジティブに変えるという影響を受けた。今回は苫米地英人さんについて書きたい。


苫米地英人さんからは「抽象度」という考え方で、ものすごく影響を受けた。


苫米地さんに出会ったのは、会社を辞めた2023年のことである。

前田日明さんのYouTubeに怪しいヨガの親父が出ていて、

その人が対談していた相手が苫米地さんだった。それで苫米地さんの本を読むようになった。
苫米地さんのイカレ方

今まで会ったことのないようなクレイジーな考え方をする人だなと思って興味を持って読み始めたのだが、

本当にすごいなと思ったのが抽象度の概念である。


視座と抽象度
経営者の世界では「視座」という言葉をよく使う。

どの位置から物を見るか、視座を高くすると低いところまでまとめて見える、というような使い方だ。

自分も経営者の人と話す時には視座という言葉を使う。

しかし実は腑に落ちきらないところがあった。先に苫米地さんに出会っているからである。
苫米地さんは視座を「抽象度」という言葉で説明している。
例えば「猫」。これは抽象度が高い概念である。

猫の中には、うちで飼っているタマちゃんもいるし、

タイにいるシャム猫もいる。「猫」はタマちゃんもシャム猫も同時に包括している。


しかし「猫」という高い位置からタマちゃんを見ると、タマちゃんのことは非常に浅くしか見えない。

タマちゃんの話をするなら、タマちゃんのところまで抽象度を落とさなければならない。

タマちゃんはうちの猫で、魚はカツオが好きで、チュールをあげるとカツオばかり食べてチュールを全然食べない

そういう具体的な説明ができるようになる。
逆にタマちゃんから抽象度をどんどん上げていくと、猫になり、その上が動物になり、さらに上が生き物になる。

生き物という抽象度まで上がると人間も包括できる。

人間を包括できるということは、

あなたも私もYOSHIKIも石原慎太郎も高市早苗さんもトランプ大統領も、全部包括できるわけである。
ただし、生き物という概念からトランプ大統領を見ると、あまりにも遠すぎてトランプ大統領の説明が難しい。

だから虫眼鏡で覗くように抽象度を下げていって、トランプ大統領は昔実業家でという話ができるようになる。
こうやって物の見方の視座をコントロールしていくということである。
抽象度の切り替えが仕事を変える
これが自分にとって非常に重要だった。


会社員をやっていると、ある程度の視座で固まった中でずっと生きてしまう。

気づけば自分が今コントロールできている頭の中、持っている知識

それが全てだと思ってしまう。全ての人がそう思っているのだと思ってしまう。


大間違いである。


自分よりも頭の良い人もいるし、そうでない人もいる。

自分と違う考え方をする人もいる。左に行く考えもあれば右に行く考えもある。

ポジティブな考えもあればネガティブな考えもある。AIを知っている人もいれば知らない人もいる。

音楽を知っている人もいれば知らない人もいる。

知っているといっても、その深さは人によって異なる。

人によって価値観も知識も考え方もまったく違うのである。


その物事の考え方、知見、今まで生きてきた価値観。

これを実はコントロールしてあげなければならない。

人と話すということは、この人がどういう人なのか

年齢もそうだし、生きてきた世代観や価値観にフォーカスするということである。
その観点を上下させたり左右させたりして、

相手というぶれないカメラに対して、きれいに映るようにレンズを調整してあげる。

それが抽象度という概念なのだと自分は理解している。


苫米地さんの理論には、ゴールの概念やバイオパワーの概念など、勉強しなければならないことがたくさんある。

しかし自分はこの抽象度という概念に最も影響を受けた。
特に仕事をしていると、抽象度の切り替えができないと仕事ができる相手が限られてしまう。これは非常に問題である。

独立すると本当にいろんな人がいる。自分のような音楽家業だと、みんなお客さんになる可能性がある。

お客さんにしなければならない可能性もある。
そうなると、その人の人間そのものにフォーカスする技術がすごく大事で、そこに抽象度という概念がとても役に立つのである。


苫米地さんはギターコレクターでもあるし、自分はすごく苫米地さんが好きだ。

ただ苫米地さんは視座が高すぎて理解できない人も多く、非難されることもある。

でもこの抽象度の切り替えについてだけは、本当に真理をついていると思う。