Facebookのお友達に向けて、自己紹介を兼ねたブログをいろいろ書いている。

ロックのこと、酒やグルメのこと、読書のこと。

長年付き合ってきた人たちにとっては「そんなの知ってるよ」という話ばかりだが、

最近お友達になった方々にとっては、僕がどういう人間なのかまだ何も知らない状態だろう。

だからこそ改めて、僕にとって欠かせない存在である千葉ロッテマリーンズのことを振り返ってみたいと思う。


スポーツが苦手な少年と、父親のパワプロ


僕は子供の頃から本当にスポーツが苦手だった。

今でもそうである。

運動神経が悪いというのはどういうことかというと、

カラオケに行けば理屈抜きでどうしても音が合わないという人がいるだろう。

僕の運動に関する感覚は、まさにあれと同じである。

自分からスポーツをやるということはなく、強制的に柔道をやらされていたくらいで、

それも大して上手くはならなかった。


そんな僕の父親というと、僕が覚えているのは接待でどこかに飲みに行っているか、

休日にスポーツニュースを見ているか、そんなイメージばかりである。

子供の頃は父親が見ている野球やサッカーを一緒に眺めていて、

親父が買ってきたのかはわからないが、ウイニングイレブンなんかのサッカーゲームもやっていた。

ワールドカップのときには日本だクロアチアだアルゼンチンだブラジルだと、見よう見まねで騒いでいた。


ところがある日、父親がNintendo 64のパワプロを買ってきたのである。


それで一緒に遊ぶようになった。

野球を一人で見ているのはなんとなく気まずいという思いもあったのかもしれないが、

僕自身はバットにボールが当たったら右に走るのか左に走るのかもわからないような状態だった。

パワプロを通じて、打ったら一塁に向かって右から走っていくんだとか、

ファールとかストライクとかボールの意味とか、野球のポジションとか、そういうことを一つずつ覚えていった。


なぜロッテだったのか
生まれは小平だから、本来は西武ライオンズのエリアにいた。

でも僕には昔から、誰かが用意してくれたような環境とは違うところに行きたがるようなところがある。

ロッテを好きになったきっかけは、多分あんまり強くないということと、

当時のマスコットが結構可愛かったということ。そんな素朴な理由から始まった。


パワプロをやるだけではなく、親と一緒に野球のニュースも見るようになった。

そのときに出会ったのが黒木知宏投手である。

今はロッテのピッチングコーチをしているが、

当時の黒木の投げる姿を見て、どんどんロッテが好きになっていった。


ちなみにプロ野球を初めて生で見に行ったのは、

物心がついてからの記憶では、亡くなった爺ちゃんにせがんで当日券で入った西武とオリックスの試合である。

これが僕にとってイチローを生で見た体験だった。本当に爺ちゃんには感謝しかない。


バンコク時代とマリンスタジアム
当時タイのバンコクに住んでいたから、

日本に一時帰国するたびにロッテのマリンスタジアムに連れて行ってもらっていた。

親戚のおばちゃんに連れられて行ったマリンスタジアムは、当時ガラガラだった。

今のサブロー監督とかが練習していて、ボーリック選手のような外国人選手もいた。

ボーリック選手に手を振ったら、サブローもボーリックも手を振り返してくれた。

そんな些細なことが、子供の心にはものすごく残るものである。


マリンで中村紀洋が大きなホームランを打ったのを見たこともあった。

パワプロで調べていった選手たちが、実際に目の前で動いている。

それがたまらなく楽しくて、どんどん野球が好きになっていった。


OBへの興味と図書館通い


パワプロにはOB選手というのがいて、とっくに引退した選手たちがゲームの中に登場する。

長嶋茂雄さん、王さん、星野さん、落合さん。ロッテだったら村田兆治さん。

こんなすごい人たちが昔いたんだと知ると、興味が止まらなくなった。

学校の図書館でOBが書いた本を借りてきては何度も読み、

返してはまたしばらくして借りて読むということを繰り返していた。


プロ野球の現在進行形も好きだが、その歴史の部分にもとても惹かれるようになった。

現役選手を追いかけるだけではなく、プロ野球という文化そのものの奥深さに触れていった時期だったと思う。


転校生との出会いと、ロッテファン確定の瞬間


中学に入ったとき、幕張から転校生がやってきた。

そいつとめちゃくちゃ仲良くなった。運動神経のいいやつで、野球少年で、

幕張から来ているから子供の頃からロッテの試合を見まくっていた。

選手のサインなんかもあっちの子供は当たり前に持っていて、

サイン帳みたいなものをくれたのである。

これで一気にロッテファンになることが決定づけられた。


僕がすごく思い入れのある人物に、山本功児監督がいる。

だいぶ前に亡くなられてしまったが、

あの時代にいた黒木さん、サブロー、「サンデー晋吾」こと小野晋吾投手、清水直行さん、初芝さん、堀さん、小坂さん。ああいう選手たちには、今でも敬意と郷愁を感じるところがある。


ロックに夢中だった2005年
実はその頃にロックに出会ってしまい、ロッテが一番輝いた2005年のボビーマジックの時期は、ロックに夢中だった。

高校1年のとき、学校の行事で伊豆大島に行って、旅館のテレビでマリーンズが阪神をボコボコにしているのを見ていた。

いわゆる「33-4」である。

どこかロッテらしくないなと思いながら眺めていたら、

周りのみんなに「バンちゃんの好きな珍しいロッテがこんなに勝ってすごいね」と言われた。

あの瞬間のことは今でもよく覚えている。


高校から大学、野球場での青春
高校から大学へと進むにつれて、一人でもロッテの試合を見に行くようになった。

小学校からの親友も大学くらいからロッテファンになり、一緒に観に行ったりもした。

大学になると背伸びをして里崎のユニフォームを買い、

渡辺俊介投手のユニフォームを買い、野球場でアルコールを飲むという楽しさも覚えた。


弟が中日ファンだったから、神宮に行ったり横浜スタジアムに行ったりもした。

もっと小さい頃には、神宮で星野仙一監督がすごい形相で歩いているのを見たこともある。

リアルタイムで野村克也さんが楽天の監督になったりして、

ノムさんのような野球のレジェンドの本を読み漁ったりもした。

野球というものが、どんどん自分の心の中に入り込んでいった時期である。


ノムさんに関して一つ言うと、大学の就職課の職員さんが親父の友達だったということがわかり、

その人にいろいろとよくしてもらっていた時期があった。

あるときホテルニューオータニの喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、ノムさんとサッチーがいたのである。

ノムさんが大好きだったから話しかけたかったのだが、結局話しかけられなかった。今でも後悔している。


本当のロッテファンになるのは、まだ先の話
ここまで振り返ってみて、ロッテのファン歴としてはまだ浅い時期の話である。

小学校5年生か6年生くらいからロッテのファンではあったが、

僕が本当に心の底からロッテファンになるのは、実は社会人になってからの話なのだ。
この辺りを書くと長くなるから、続きは次回に。