つくづく思うのだが、やっぱり「言葉遣い」って人生の勝率を地味に、でも確実に左右する。

特に、相手に文章を送る時の「書き方」「言い回し」。

これ、軽く見られがちだけど、実際はめちゃくちゃ大切だなと最近さらに強く感じるようになった。

というのも、現実で会うとすごく温かい人っているじゃないですか。
笑顔も優しいし、空気も柔らかいし、話してると安心するようなタイプ。

なのに、テキストになると急に冷たく見える。

短い。
句読点が少ない。
言い切り。
絵文字もない。
敬語も最低限。

別に悪意があるわけじゃないって分かってるのに、こっちの心は勝手に反応する。

「もしかして僕のこと嫌いなのかな?」
「何か不信感を与えてしまったかな?」
「変なこと言ったかな?」

…って、不安が勝手に膨らむ。

逆にこっち側も、ちょっと短絡的な言い方をしてしまうと、相手に失礼になってないか心配になる。
送信ボタン押したあとに、見返して、また見返して、結局ちょっと直して、みたいな。

テキストって便利なんだけど、温度が抜け落ちやすい。
声のトーンも、間も、表情も消えるから、言葉だけが「武器」みたいに見える瞬間があるんですよね。

思い返すと、サラリーマン時代の自分は、言葉でうまく「逃げる」言い回しをよく使っていた。

・決定をしない
・決定をさせない
・責任の所在をぼかす
・とりあえず角を立てない

こういう、曖昧な文章を作るのが妙に得意だった。

「検討します」
「確認します」
「調整します」
「前向きに進めます」

今思えば、便利だけど中身がない。
でも組織の中では、それで“波風立てずに生きる”ことができてしまう。

ただ、独立してから、意識がガラッと変わった。

逃げた言葉は、巡り巡って自分の首を締める。
曖昧な文章は、相手の時間を奪う。
そして何より、信頼を削っていく。

だから最近は、「誰かが言っていたから」じゃなくて、

「私はこう考えています。理由はこれだからです」

って、自分の意見としてちゃんと伝えることを強く意識している。

それが正しいかどうかは、正直わからない時もある。
未来にならないと答えが出ないことも多い。
でも、それでも。

可能な限り、解決策や次の一手まで含めて、文章の中に“自分の意志”を入れる。
「私はこうします」「こうしたいです」「こういう方向が良いと思います」って。

ここを避けると、結局相手に判断を丸投げすることになるし、
その瞬間に関係性がちょっと雑になる気がするんですよね。

そして、何より自分が徹底してこだわっていることが一つある。

それは、

「どんな時でも、相手がその文章を受け取った時に、絶対に自己肯定感が下がらないようにする」

ということ。

これだけは本当に、譲らないと決めている。

例えば、同じ内容でも、

「それは違います」
より
「ここはこういう意図でした。なので、こうすると良さそうです」

「無理です」
より
「現状だと難しいので、代案としてはこういう形ならいけます」

みたいに、受け取る側が“否定された感覚”にならないようにする。

別に、へりくだりたいわけでも、いい人に見られたいわけでもない。
ただ、文章って相手の心に直接触れるから、雑に扱うと普通に傷つくんですよ。

人間は、案外もろい。
そして、案外気にしている。

こっちが何気なく打った一文で、相手の1日が重くなることもある。
逆に、ちょっと丁寧な一言で、相手が救われることもある。

だから、「伝える」って、技術の前に姿勢なんだと思う。

結局のところ、人間対人間のやり取りなんですよね。

テクニックや言い回しはもちろん大事。
でも根本には「相手に対する思いやり」が不可欠。

そして、その思いやりが文章に滲むと、たぶん関係性は強くなる。

冷たく見える文章の裏に、温かい人柄があるなら、
その温かさを、ほんの少しだけでも“文字”に乗せられたら最強だと思う。

自分もまだまだだし、油断すると雑になる。
でも、だからこそ。

今日も言葉を整える。
相手の自己肯定感を守る。
その積み重ねが、信頼になっていくと信じている。