私は
氣
という言葉を立浪監督がいじられている時に初めて知ったのだがこの言葉を使う人達が周りに増え始めているのが不思議だ
例えば気分という言葉であるとわざわざ氣分と書く
こういうのを見ると陰謀論的なところやスピリチュアル的な部分を強く感じ
そういった概念に大らかな私でも若干の抵抗がある
なので、氣族の知り合いになぜこの文字を使うのか聞いてみたところ
氣という文字は活力やエネルギーを司り、使うことで元氣をもらえたり、内面から放たれるエネルギーということで意識をしていると言っていた。
あとはそもそも私がなぜこのブログを書いているかというと
この本を読んだことがきっかけであり
徹底的に氣という漢字を使っていたので妙に心に残ったのである。
実は氣の概念を大事にしている合気道と野球は非常に関係が深く
王貞治さんの一本足打法をはじめ、昭和のバッターたちは合気道から学び、自分の打撃理論をパワーアップさせていたのだ。
特に広岡達朗さんはその傾向が強く、特に中村天風さんや氣、そして昔の野球にこだわりが強すぎて、時に老害と言われることもあるほどだ。
しかし、93歳まで元気に生きる秘密や、弱小チームを二チームも日本一にしてのけた監督としての哲学や信念。
その辺りは学ぶべきポイントだと思って今回の読書に至った。
「人間は心(氣)の持ち方によって、体の働きや力の出方が変わってくる。健康にも影響するし、運命までも変えてしまうんだ。だからどんなときも、心を積極的に使い続けなければならない。これは宇宙真理だ。人間として厳守すべき自然法則なんだよ」
私には心=氣であるということは理解できないが
確かに考え方一つで人生は変わるということは納得するし
多くの選手を鍛え直し、実際に育ててきた広岡さんがいうからこそ説得力もあると思う。
氣とはおそらく心の持ちよう、気にエネルギーのようなものを意図的につける、意識するものだと理解した。
心の持ちようを意図的に操作して願望を達成したり、困難を乗り越えることは私も意識はしている。
例えば無理だなと思う事をできると自己洗脳したり、戦わなくてはいけない時に甘えや不要な優しさを消したり、そんな風に心のありようを意識的に操作する技術や、その時に意識するエネルギーを氣というのではないかと思う。
難しいね。
