皆さんもご存知の通り、このブログは毎日更新している。僕自身が他の人より忙しいのか、それとも暇なのかは、正直なところよくわからない。そういったことは人それぞれが判断することであって、誰がどれだけ辛いか、誰がどれだけ幸せかを他人の基準で測り始めた瞬間に、無駄な争いやストレスが生まれてしまう。だからこそ、自分自身のペースで物事を進めることが大切だと思っている。

 

僕は毎日ブログを書いているけれど、正直なところ、毎日ネタを絞り出して自分の手で書くというのは、去年まではちゃんとできていた。しかし、今年に入ってからは少しずつChatGPTに頼るようになってきた。グルメの記事など、他のところで書いているものをChatGPTにリライトしてもらうことも増えている。

 

実は、夜中にふと湧き上がる熱い気持ちを寝転がりながら手書きで書くブログもあって、そういうものとChatGPTにリライトしてもらったものでは、文章の癖が少し違うこともあるのかなと思う。でも、最近のChatGPTは僕の文章のスタイルや癖を学び、それを既存のものに当てはめたり、少し乱雑な文の羅列を僕風にまとめたりすることができる。おかげで、ブログを書くのが去年の10分の1、いや5分の1くらいの負担になっている気がする。こういった技術は積極的に使っていこうと思っている。

 

ちなみに、今書いているこのブログも実験的にChatGPTに向かって話した内容をまとめてもらっている。自分の考えを羅列して、それをまとめてもらったものを皆さんに公開できるなら、ある意味で自分の本来の姿を伝えることができる。こういうブログの形もありだと思っている。

 

とはいえ、ChatGPTにはどうしても避けられない問題もある。例えば、乱暴な表現や人の悪口っぽい内容はカットされることが多いし、アダルトな話や人の生き死にに関する話題もストレートに出てくることは少ない。そういった表現が過度に削られてしまう場合、本音を綴るブログはやはり手で書く必要があるのかもしれない。

 

最近考えていることをブログのネタとして書くと、今、僕は独立して一人社長としてやっているが、この一人社長というのは浮き沈みが激しい。

何が起こっても自己責任だし、会社と違って関わる人たちのスキルや責任感も上下しやすい。周りの人間のメンタルの問題も起こる。

そういった悩ましい問題があるけれど、問題だと言いながらも、

明るく楽しく、最低限のことはこなしている自負がある。

 

僕は大企業を出て、ある意味では不安定な道を選んで生きているけれど、

その選択を友達や元同僚がしたとしたら、精神的にどうなのかと考えることがある。

多くの人は耐えられないだろうし、逆に僕が以前の会社で課長や部長、役員のような責任を負わされることを耐えられないのかもしれない。

人はそれぞれ耐えられるものや負担なくできるもの、ストレスを感じるものが異なり、それを総合して才能やセンスという言葉にまとめられるのだろう。

 

僕の人生を通して学んだことや得たものは貴重なもので、それを社会に還元しないといけないという社会的責任があると感じている。

こういう考えをふと思い浮かべながら書いたが、これがブログとしてまとまるだろうか。