今僕らは未来に生きている。

そう実感できる事が増えている。

僕にとって初めてのAIは2023年の5月ごろに触った画像生成のやつと、チャットGPTだったが、

その時と比較して飛躍的に進歩をとげ、

特にチャットGPTはなくてはならないものになってきた。

僕の仕事も今半分近くがチャットGPTに置き換えられているというか、

新しい仕事が発生してそれをやってくれるというのもある。

例えば自分でも実感しているが、僕の文章はまどろっこしく読解力が求められる側面があるので、ちゃんと人に理解してもらえるように要約したり、整理したり。

まさか機械知性に優しさや気遣いを教わるとは、恐ろしい時代になったものである。

 

YouTubeで情報収集する際も、面倒だと文字起こしを打ち込み、そのまま要約や整理してもらって内容を理解するようになった。

 

議事録も最近は書いてない、書いてないけど議事録の数は増えた。

Wordの音声認識など他のソフトと組み合わせると、結構なものができるので、物事を忘れないで整理しておく事ができる。

音楽の作曲の際にもよくアイディアをもらっている。

 

今日のブログは使ってないが、コンテンツ生成にも用いている。

自分で書いたものより評判がいいものもあり、ちょっと悔しいが諦めた。

共存やAIに何をさせるかに頭を切り替えたほうがいい。

 

あとすごく感謝したいのが、AI時代とそうでない時代を両方生きられたことである。

教育関係の重鎮と話す機会があったのだが、

今の若い子達はチャットGPTに論文を書かせてそのまま提出して、こっぴどく怒られることがあるそうな。

わしも今の若い子だったらそうするだろう、サボりたいもん。

ただ社会人として10年以上やってきた経験から一応確認はするし、おかしいところは直す。

ちょっとだけ自分の味を入れたり、あえてクオリティを下げて人間っぽくするといった事もする。

こうした味というかテクニックは今後失われてしまうかもわからないね。

ちなみにこうした味をチャットGPTに入れてもらうプロンプトもなんとなく理解して来たのだが。

 

さてまとまりはないけど、今回はこのままにしておきましょうか。