先月五月中旬ごろ、ダディ竹千代さんが急に亡くなられてしまったようだ。
3月ごろBOOWY高橋まことさんとのセッションの機会に恵まれた際、
ダディさんの経営されているジェミニシアターにお伺いしたのだが、
カウンターでハイボールを購入する際にマネージャーさんと話し、
ダディさんもたまにお店に来るからまた会えるといいねなんて話をした時頃だった。
ダディさんとはそんなに深い面識があるわけでもないし、
もしかしたらご本人にも忘れられてしまっているかもしれないが、
私の人生にとっては結構大きな影響を与えてくださった方であった。
ダディさんが今二子玉川にあるジェミニシアターというライブハウスを経営される前は、
新橋でZZというライブハウスをやられていたのだ。
おそらく2016年~2017年くらいの事であったと思うのだが、
私のバンドkotowariのファンでありながら、
The Yellow monkeyでキーボードを弾かれていた三国さんの大ファンで、
その人づての何かでZZで三国さんのコンサートを見た際に、初めてお会いしたと思う。
バーカウンターかPAシステムの近くで、気さくにお話をしてくださり、
私の無恥が大変恥ずかしいのだが、ダディさんの業績等も何も知らず、
ライブハウスのおっちゃんみたいな感じで、
気づけば三国さんとセッションまでさせて頂ける僥倖に預かったのであった。
三国さんとのセッションは衝撃であった。
プロとアマチュアの違い、プロとは如何にしてプロなのであるか。
作曲のプロとは肩を並べて仕事をした事はあるものの、
日本のトップレベルで演奏された、雲の上の人とこうして演奏をするなんていうのは当然経験はなく、
リズムの取り方、音楽において大切な事を理屈ではなく体や感覚で理解したものであった。
その後、ライブの打ち上げでは麦焼酎を片手に、絶対に聞けないような話をしてくれた三国さん。
ダディさんとも時おりいろいろな事を話したものであった。
中学くらいから手を伸ばして未だに手が届かないあの天上界がどのようなところであるか、
どのようなマインドの方がいらっしゃるのか、そういう事がこの身と脳みそに染みこむのがわかった。
当時ただのろくでなしサラリーマンで、しがないバンドマンであったこの恥ずべき身において、
これ以上の僥倖はなかったのではないかと思う。
その他にも憧れのZIGGYの松尾宗仁さん、大山さん、高橋まことさん等と、
お話をしたり、演奏をさせて頂いたり、ましてや楽器を習うなどという事は
少年の頃には想像もできなかった次第である。
それらの事が今の自分に音楽的・技術的・人間的にどれほどのものかと振り返ると、
全てのきっかけを頂いたダディさんは自分にとっては恩人だったのだろうと思う。
ダディさんは私はよく知らなかったのだが、カルメンマキ&OZの作詞をされたり、
そして交友関係が広いダディさんは音楽業界のフィクサーとして、
様々なアーティストをつなぎ助けてきたと言われている。
いま私たちが聴いている音楽もダディさんがいなければアーティストやグループごと存在しないという事もあるかもしれない。
そのような事に比べれば私等何の足しにもならないのかもしれないが、
逆にこのような小僧すらも導いてしまうと言えば、ダディさんの凄さがわかるのかもしれない。
何より小僧にすら、大変腰低く一人の人間として扱ってくださる姿は、
まさに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言ったところで、自身もそうあるべきだと今は強く思う。
本当に心からのご冥福をお祈りします。
ps
こういうことって人生ではなかなか起こらないのです。
ダディさんが繋いでくれた縁です。