お久しぶりです。
今年は色々とあり過ぎて、例年のように思い付くまま書けなくてこんな年の瀬になってしまいました。
大きな出来事は
姑が亡くなったこと。
子供が結婚したことの2つですね。
姑の件は、扱いにくくなり施設に入ってもらうかどうかを夫と話し合っていた頃に肺炎にかかり半月ほど闘病した後に病院で亡くなりました。
亡くなったことで嫌な思いをさせられました。
特に嫌だったのは親しくもない近所の人の心ない言葉でした。
どうして、苦労をして介護をしている様子を見せないと周りは面白くないんでしょうか?
私は同居していましたが毎朝化粧をして通勤していました。
溌剌として見えたかもしれません。
現代風で
姑のイビりに何も言い返せないような苦労嫁には全く見えなかったはずです。
そのせいか亡くなった後に道端で会う人会う人に
「早くに亡くなりましたよね」
と言われ(姑は85歳でした)いかにも私が何かを怠った為に亡くなったような言われ方を数名にされました。
ハラワタが煮えくり返りましたが感情を圧し殺して
意地悪なんだか干渉なんだか分からないことを言ってきた人には以下の言葉で応戦しました。
「お気に掛けて頂きありがとうございます、高齢になってもそうやって気に掛けてくださって…姑も(あの世で)喜んでいると思います、私はワガママな嫁でしたが姑は人間が出来た人だったので私のワガママを全て許してくれていました。見習うところが多い人でした(涙←本気の涙です)」
大抵これで退散しましたが、しつこく
「でも若かったですよね?」
という人には
「どうでしょうか…数年前に亡くなった姑の姉も同じ年で亡くなりましたので寿命だったのでしょうかね…(涙←本気の涙です)」
と言って返していたらそのうちに誰も何も言わなくなりました。
姑が亡くなっただけでも複雑な思いがあって
自責の念や悲しみ、ほっとしたような思いと喪失感…ぐしゃぐしゃな気持ちの中でも他人の言動は止められません。
上記の発言は素直な気持ちでした。
本音を言えば少し姑を立て過ぎて綺麗事になっているかもしれませんが、言葉を削ぎ落とした源の感情は嘘ではないので、そこには本音の重みがあり、それは他者に伝わったはずです。
だからそれ以上変な噂を流されない。
流されても消えていくのです。
弱り目に祟り目と言いますが…どんなに気を付けていても、やっかみであったり野次馬根性であったり、面白半分かもしれませんがそういった悪い感情を持っている人間というものはいるもので、ここぞとばかりに弱さを感じた時に攻撃してきます。
そんな時は同じレベルで悪い感情をぶつけずに、公明正大にいくのがベストです。
自分らしさを失わず対処できて良かったです。
尚
ありがとうという言葉はオールマイティです。
悪い感情をぶつけてくる人間に感謝で返すと
デスモンスターに掛ける祈りの魔法のようにこちらに全くダメージなく相手を退かせる力がありますので。
もちろん善意で近づいてきた人には嬉しくなる言葉でもありますからね。
そんなこんなの駆け引きの毎日で疲れ果てていてSNS発信は極限に抑えておりました。
それに娘が結婚したので嫁ぎ先にアカウントがバレて面倒なことになったら嫌なので控えていたのもあります。
無事全てが終わったので書けることでございます。
疲れた1年だった…
皆様佳いお年をお迎え下さいませ。
今年もお付き合いくださりありがとうございました。