先日、毎週1000円購入しているミニロト(200円×5点)でミニ的中(15400円)したので、寒さ対策で考えていた、シュラフ(寝袋)を購入。地元のメガ・ドン・キホーテ(八千代16号店)のキャンプ用品売り場には適正温度5度と2度の2種類しかなく、適正温度2度の封筒型(税込み3839円)を購入した。部屋の中で使うものなのでこの温度でも十分と推測。
(シュラフ+毛布2枚+掛け布団)
早速使ってみると部屋の温度は11度だったが、シュラフ内の体感温度は17度くらいで、この冬はこれで何とか乗り切れそう。寒冷地の災害対策(低体温症への対策)としてもシュラフ(最大で-35度対応の商品もあり)は役立つと思う。
図書館で借りた本の返却日が明日なので忘れないうちに拾い読みして備忘録として簡単な感想を書いておきます。
読んだ本をノートに書き留めておけば<備忘録>としての役目は足りそうですが、感想を書くための拾い読みは記憶の再生(あるいは定着)に少なからず役立っていると感じています。
ブログとして読んで頂くことが前提ですが、基本は自分のための備忘録なのでかなりいい加減な内容になっていますので、ご了承下さい。
『芥川龍之介』 ちくま日本文学全集
【収録作品】
トロッコ・蜜柑・お時儀・鼻・芋粥・地獄変・藪の中・杜子春
奉教人の死・開化の殺人・魔術・ひょっとこ・玄鶴山房・枯野抄
河童・或阿呆の一生・発句・詩・山吹・相聞一~三・手袋・
「となりのいもじ」より酒をたまはる・船乗りのざれ歌・夏・
戯れに(1)(2)
感想)芥川龍之介の作品は370編以上あるそうなので、今回読んだのはほんの一部。『トロッコ』『鼻』『芋粥』『地獄変』『杜子春』が特に印象に残った。『芋粥』は、芋粥を飽きるほど喰らってみたいと夢見る男が、それが到頭実現してしまうと落胆のあまり、「芋粥を飽きるほど食べたい」と思っていた昔が心底懐かしくなるという、人間の「欲」に対する考察。『鼻』は長い鼻であることを気に病んでいた男が、茹でたり叩いたりして鼻を短くすることに成功するが、今度は短くなった鼻を人が笑っているのではと気に病んで、元のような長い鼻に戻すとそれまでの気苦労が消え晴れ晴れとした気持ちになるという話。『杜子春』も人間の欲望に関する教訓的な内容だったと思う。
「人生という競技場に踏みとどまりたいと思ふものは、創痍を恐れずに闘わなければならぬ」「周囲は醜い 自己も醜い そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい」と述べていた芥川龍之介には「人生」は耐え難く、醜く苦しく、「人生という競技場に踏みとどまる」ことを自ら断念してしまったのだろうか。
『澁澤龍彦』 ちくま日本文学全集
【収録作品】
感想)澁澤龍彦はマルキド・サドなどのフランス文学の翻訳家というイメージが強かったが、本書には澁澤の小説作品である『高丘親王航海記より』『儒艮』『蘭房』『狐媚記』『護法』『鏡と影について』などの日本の奈良・平安、江戸時代を舞台にした小説も収録されていてすこぶる面白かった。澁澤の博覧強記を物語る引用過多の評論(エッセイ)も衒学的な鬱陶しさはあるものの傾聴すべき発見も数々あった。
『闇の奥』 ジョゼフ・コンラッド 黒原敏行訳
光文社新古典文庫
感想)フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』はこの『闇の奥』を原作モチーフにして作られている。訳者の黒原氏は解説でこう書いている。
「コンラッドの『闇の奥』は、ただならぬ魔力で人を惹き寄せる小説だが、原文も翻訳も読みにくい、というのが世の共通理解だと思う。原文が読みにくいのなら、翻訳が読みにくくても仕方がない。いや、むしろ読みにくくなければならない。そんなふうにもいえそうだ。しかし本当にこれはそんなに難解な小説なのだろうか。これはごく少数の人間にだけわかってもらえばいい前衛的な実験小説として書かれたわけではないだろう。
密林の奥で進行する伝奇的な冒険小説であり、ぞくぞくしながらページを繰る手ももどかしく読んでもらおうとした物語のはずだ。途中で行き悩んで放り出してしまう難読書になるのはおかしいのではないか。しかもそう長くはない中編小説である。原文の朗読CDは収録時間が四時間。翻訳はたいてい原文より少し長くなるが、黙読のほうが断然速いわけだから、三時間くらいで一気読みできてしかるべきだ。」
本文の小説が183ページ(文庫版サイズ)なので、3時間で読むには1時間で60ページのペースになるが、行ったり来たりで1時間で30~40ページくらいしか読めなかった。
普段『闇の奥』のような冒険小説?を読むことはほとんどないので詳しくは分からないが、マーク・トウェインの冒険小説のような作品とは一線を画しているように感じられた。一気読みではなく行きつ戻りつしながら味わうようにして読むのが『闇の奥』には相応しい。内容について論じるには最低もう一度読んでからでないと難しい。何故かと言えば内容をほとんど忘れてしまったので・・・(涙) 後半、「やれやれ!」という訳語が何回か出てきたが、あれは村上春樹を意識したのだろうか。(解説でも村上春樹の作品について言及していた)
『田舎医者/ 断食芸人/ 流刑地で』 フランツ・カフカ
丘沢静也訳 光文社新古典文庫
【収録作品】
インディアンになりたい・突然の散歩・ボイラーマン・流刑地で
田舎医者・夢・断食芸人・歌姫ヨーゼフィーネ、またはハツカネズミ族
感想)『断食芸人』は檻の中に入った人間が見世物として断食を売り物にするというもので、この数十年で世間の断食芸人に対する関心がすっかり薄れたことを嘆いている。断食芸人は断食することしか自分には出来ることがないと思い40日間の断食に耐えるが(40日が断食の限界といわれている)最後に待っていたのは・・・ 『歌姫ヨーゼフィーネ、またはハツカネズミ族』
ハツカネズミ族の世界も人間界と同じように世知がらく、高邁で美しい世界? 生前はほとんど無名のサラリーマン作家だったというカフカ。仮に無名のままでカフカの作品が出版されなかったことを想像すると何とも複雑。