6月に続き7月に鑑賞した作品も少なかった。
8月6日から「夏の甲子園」も始まるので読書も映画鑑賞も少なくなりそうな予感。作詞家(作家)の阿久悠氏はこの時期
「夏の甲子園」のテレビ中継を一日中見ていたとか。
市船や聖望学園は全国でどれだけ通用するのだろうか。
大会前のPCR検査で10校にコロナ陽性者が出たらしい。
出場辞退を余儀なくされる学校が出ないことを願うばかり。
今村聖奈はローカルで勝ち星をどれくらい伸ばすのか。
パリーグはどのチームが混戦を抜け出すのか。
コロナは終息に向かうのか。
気になる日々の諸々。
『荒野の決闘』(監督・ジョン・フォード 原作・スチュアート・N・レイク 脚本・ウィンストン・ミラー サミュエル・G・エンゲル 1946年)
ヘンリー・フォンダのワイアット・アープ、ビクター・マチュアのドク・ホリディ、ドクを愛する酒場女チワワにリンダ・ダーネル。ワイアット兄弟の牛をかすめ盗る牛泥棒一家の親父に『リオ・ブラボー』の気のいい爺さんウォルター・ブレナンが扮して凄みのある演技。映画の品格、ユーモア、詩情、クレメンタインに魅せられるワイアット、ドクをめぐるチワワとクレメンタインの女の意地、恋愛劇としても味わいをみせるフォードの風格。
キャシイー・ダウンズの美しさ。フォード西部劇の最高峰。☆☆☆☆☆(☆5が満点)
『爛(ただれ)』(監督・増村保造 原作・徳田秋声 脚本・新藤兼人 1962年)
若尾文子は爛れ、水谷良重は爛れ、藤原礼子は爛れ、丹阿弥谷津子は爛れ、田宮二郎も爛れ・・・
若尾文子の増子(原作ではお増)は『爛』の2年後に書かれた『あらくれ』で高峰秀子が演じたお島に繋がる徳田秋声の庶民的女性像の系譜にあるとか(某読書ブログ)。大正時代初期の話を現代の物語として再生させた新藤兼人の脚本の素晴らしさ。
夫と関係をもった姪の水谷良重を叩きのめす若尾文子は、『あらくれ』の高峰秀子といい勝負。☆☆☆☆☆
『女体』(監督・増村保造 脚本・池田一朗 増村保造 1969年)
男なしでは生きられない女、サチ(浅丘ルリ子)。
サチに翻弄される真面目でかたぶつの中年男(岡田英次)。
ビッチで奔放な<女体>に惑う男たち。
戦中派増村保造の女性讃歌?
この浅丘ルリ子の爛れっぷりは凄まじいのひとこと。☆☆☆☆☆
『徳川女刑罰史』(監督・石井輝男 脚本・荒井美三雄 石井輝男 1968年)
「ピンク映画よりも愚劣である」「ここまで低級になっていいのか」「エロ・グロと人格侮辱の映像」「その、ほとんどまったく無感動にエロ・グロと人格侮辱のイメージを羅列してゆける神経に、ほとんど嘔吐感がこみあげてくる。」と、映画評論家の佐藤忠男はこの作品を批判し、それに対して石井輝男監督は「最初から、こういうものはけしからんという前提から、ご自分のものさしでおっしゃっているわけで、ある一つの固定観念で、すべての作品をおしはかる。ズバッと言わせてもらうと、観念バカじゃないかという感じがするんです。」と反論している。
映画ファンがどちらの意見を支持したかはファンのみならず、映画評論家、脚本家、映画監督、ミュージシャン、漫画家ほか多くの熱烈な石井輝男支持者がいることで証明されているのでは。☆☆☆☆☆
『怪盗ルビイ』(監督・脚本 和田誠 原作・ヘンリー・スレッサー 1988年)
和田誠監督は当初、大竹しのぶと野々村真で構想していたとか。
1960年代に作られたオードリー主演のお洒落なロマンチック・コメディの味わい。キョンキョン×真田広之という組み合わせの妙。和田誠のセンスがキラリ光る一篇。☆☆☆☆☆
『スウィングガールズ』(監督・脚本 矢口史靖 2004年)
楽器はほとんど素人の出演者たちが数カ月の猛特訓で吹き替えなしで演奏したことが何より感動的。内容はほとんど漫画の世界。「ジャズやるべ♪」上野樹里の山形弁(置賜弁?)がエグイ。☆☆☆☆☆
『サイドカーに犬』(監督・根岸吉太郎 原作・長嶋有 脚本・田中晶子・真辺克彦 2007年)
6月に観た映画で、感想を書く予定で書きそびれてしまった。
竹内結子の出演作をすべて観ているわけではないが、この作品が彼女のベスト作品の一本であることは間違いない。
どこからともなく現われ、どこへとも知れず消えたヨーコさん。