『くちづけ』『極道の妻たち 情炎』『スーパーの女』『二十才の微熱』他、2021.11月 | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

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映画感想、読書感想を備忘録として書いてます。
三浦しをん氏のエッセイを愛読しています。
記憶に残る映画と1本でも多く出会えることを願っています。

 備忘録として書いている主観的感想・評価のため、客観性は無く皆様の評価と異なる際は御容赦下さい。     

  (☆5が満点 ★は0.5点)

 

 

『くちづけ』(監督・増村保造 原作・川口松太郎

 脚本・舟橋和郎 1957年) 

選挙違反で小菅拘置所に拘置されている男(小沢栄太郎)の大学生の息子・宮本欽一(川口浩)と汚職容疑で拘置されている男の娘・章子(野添ひとみ)が出会い、別れ、本当の愛に目覚めるまでの数日間の出来事をみずみずしく描いた増村保造のデビュー作。無駄を省略してテーマを凝縮させた舟橋和郎の脚本とメリハリの効いた増村保造の演出が素晴らしい。(☆☆☆☆☆)                                                                                             

 

 

『13号待避線より その護送車を狙え』(監督・鈴木清順 原作・島田一男 脚本・関沢新一 1960年) 

人けのない深夜の道路を走っていた囚人護送車が狙撃され、囚人二人が死亡し、乗っていた看守長・多門大二郎(水島道太郎)は停職6か月を言い渡された。責任を感じた多門は単独で真相解明に動き出す。60年代初めの鈴木清順が監督したプログラムピクチャーの作品でその後の清順映画の特色はまだ感じられないが、ヒロイン渡辺美佐子は数年後の傑作『野獣の青春』を予感させる。主人公が水島道太郎と地味で、共演の安部徹、小沢昭一、

白木マリ、内田良平、長弘が印象に残る。大ボスの正体は意外な人物だが、そのからくりがもう一つスッキリしなかった。(☆☆☆★)                                                                                            

 

 

『醜聞(スキャンダル)』(監督・黒澤明 脚本・菊島隆三 黒澤明 1950年) 

新進画家・青江一郎(三船敏郎)と人気声楽家・西條美也子(山口淑子)に降りかかるスキャンダル。東宝争議のため黒澤監督が松竹で監督した作品で、低俗ジャーナリズムに対する黒澤明の怒りがこもっている。青江一郎と西條美也子の週刊誌スクープ写真による無責任なスキャンダル記事が発端だが、主人公はむしろ二人の弁護を引き受ける三文弁護士(志村喬)と父と青江の関係を心配する結核で寝ているその娘(桂木洋子)。登場人物に説教じみた台詞を言わせなければ黒澤映画はもっといい作品になるように思えるが・・・(☆☆☆☆)                                                                               

 

 

『夢』(監督・脚本・黒澤明 1990年)

黒澤明自身が見た夢をもとにした8話から成るオムニバス形式の作品で、スティーブン・スピルバーグが製作に関わり、マーティン・スコセッシが出演しているあたりがいかにも「世界のクロサワ」映画らしい。1話15分前後の8話で構成されているが、

最初の3話まではおそろしく退屈だった。中盤過ぎから漸く面白くなり夢の流れにも関連性が出てきて作品全体として作者が訴えたいテーマも明らかにされてゆく。放射能汚染に対する警鐘は『生きものの記録』でも描かれており、この作品でもそれは一貫している。自然と人間の共生は人類の理想とは言え、人間の欲望はそれを可能にするほど簡単に制御できるものでない事は誰もが実感しているのではないだろうか。最後に登場する笠智衆の正論がなぜか虚しく響く。(☆☆☆★)                                                                                          

 

 

『極道の妻たち 情炎』(監督・橋本一 原作・家田荘子 脚本・高田宏治 2005年) 

シリーズ第15作。

高島礼子主演の『極道の妻たち』シリーズとしては5作目にあたり高島礼子版『極妻』最終作となった。

監督が前四作を担当した関本郁夫から橋本一に代わり、残念ながら気負いが目立った情感に乏しい最終作になってしまった。

「情感に乏しい」という表現は適切ではなく、むしろ「情感をどぎつく表現し過ぎた」と言ったほうが当たっているかも知れない。スプラッター映画のようなどぎつい演出。事前にこれが最終作というのを知らされていたのか、これまでのシリーズにはない任侠映画の最後の殴り込み,斬り合いのような高島礼子のハードなアクションシーンが見られたのはそれなりに良かったのか。

茶髪頭で命乞いをする成瀬正孝、仰向けで吹っ飛んで檜ぶろ? で絶命する松重豊、黒ずくめの杉本彩、一途な前田愛がよかった。(☆☆☆★)                                                        

 

 

『ミンボーの女』(監督・脚本・伊丹十三 1992年)

 映画公開2か月前に「暴力団対策法」が施行され、興行収入15億5千万の大ヒット。前作の『大病人』『静かな生活』が興行的に失敗したため、この作品は失敗が許されない状況だったようだ。内容的にも暴力団の悪どいやり口を徹底的に暴いているため公開後伊丹監督が自宅前で暴力団に襲われて重傷を負い、上映館も暴力団にスクリーンを切られるなどの事件があった。伊東四朗はコメディ以外でもやれる演技力の深さを見せてくれる。(☆☆☆☆)                                                  

 

 

『二十才の微熱』(監督・脚本 橋口亮輔 1993年)

 ゲイ向け風俗店でアルバイトする大学生・島森(袴田吉彦)と同僚で島森を慕う高校生・信(遠藤雅)、島森が入っているサークルの先輩・頼子(片岡礼子)、信の高校の同級生・あつみ(山田純世)それぞれが自分の思いに正直に向き合おうとする姿を橋口亮輔らしいナイーブな感性で描く。店の客で島森が相手にした男が頼子の父(石田太郎)で、それを知らずに自宅の食事に招いた頼子、母(入江若葉)、父、島森の食事シーンが傑作。

後年の『ハッシュ!』につながる作品のように思える。

橋口亮輔の主要な作品をこれでようやく全て観ることが出来た。(☆☆☆☆★)                                                                 

 

 

『(本)噂のストリッパー』(監督・脚本・森田芳光 1982年) 

森田芳光の長編劇映画としては三作目になり、にっかつロマンポルノ監督初作品。森田芳光の脚本・監督で期待したが、ヒロインのストリップ嬢・グロリア(岡本かおり)がソフトタッチの実演から本番まな板ショーをやることを決意するまでをスケッチ風に描いた薄味の作品に終わってしまった。この時点でメジャーで実績のない森田芳光に神代辰巳『一条さゆり 濡れた欲情』のような濃厚なストリッパーのドラマを期待し過ぎたのは酷だったか。ストリップ劇場に馴染みのない人には雰囲気だけでも感じ取ってもらえるのでは。(☆☆☆★)                                    

 

 

『スーパーの女』(監督・脚本・伊丹十三 1996年) 

近所に出来た安売りスーパーに対抗する老舗スーパーの攻防。

変色した肉を赤い蛍光灯でごまかす、売れ残りの食品を新しい日付にしてパックする(リパック)、輸入肉を混ぜて和牛として売る、前日の売れ残りの総菜を翌日の弁当に入れるなど、スーパーの暗闇を描いているが、原作は実在のスーパーマーケット「サミット」の社長(映画製作当時)が書いた小説で、オール日本スーパーマーケット協会が全面協力したというのは驚き。

悪玉の安売りスーパーVS善玉の老舗スーパーという勧善懲悪の構造でコメディ調の作品として作られているため人物にリアリティはないがその分気楽に楽しめる。終盤の盗んだ肉が積まれヒロイン・宮本信子が閉じ込められた冷凍車と佐藤蛾次郎が運転するデコトラのカーチェイスは本格的アクション映画顔負けの迫力。(☆☆☆☆)                                                                

 

 

『百円の恋』(監督・武正晴 脚本・足立紳 2014年) 

短大を出た後、家でぶらぶらしていた一子(いちこ)(安藤サクラ)は、妹の二三子(ふみこ)(早織)が小学生の息子を連れて出戻った事から険悪な状態になり大喧嘩。家を出てアパートを借り「百円生活」というコンビニで深夜のアルバイトを始めるが・・・。巷の評判はとてもよく、「絶対見ておくべき映画」と絶賛している方もいるが、それほどの作品ではないというのが数年前に観た時も、今回観た時にも感じた偽らざる感想。

主演の安藤サクラや新井浩文をはじめ、一子の母(稲川実代子)、出戻りで性格の悪い妹(早織)、鬱病のコンビニ店長・岡野(宇野祥平)、気持ち悪さ全開の四十四歳バツイチのベテラン店員野間・(坂田聡)、店の金を盗んで首になり今は廃棄の「焼きうどん弁当」を毎夜あさりに来る元店員・池内敏子(根岸季衣)など俳優陣は申し分なく面白いエピソードも盛り沢山だが、肝心の一子と狩野(新井浩文)が描けていないと思った。

好きだった狩野に振られ、狩野を見返すため?一念発起してトレーニングに励み試合をする所までこぎつける。試合に負けた一子が待っていた狩野に「勝ちたかった、勝ちたかった」と泣きながら言うが、一子が目指していたのは他人に勝つ事で快感を得るための勝ち、狩野や家族を見返すための勝利だったのか?。

ぶよぶよだった体がトレーニングでみるみるスリムに変身していく安藤サクラは感動的だが、それならば、あのような惨めなラストにするのはどんな意図なのだろう。所詮「百円の恋」なんてこんなものという作者の突き放した諦め、自虐なのか、或いはこれに繋がる続編を作ることも考えていたのだろうか。強盗に入った後の敏子や金を持ち逃げした野間へのフォローもなく、一子とのつながりが切れ、ただ面白いエピソードで終わってしまったのが惜しい。数か月後にバッタリ野間と再会した一子が強姦した野間を掴まえ、鍛えたパンチでKOするというような遊び心のある落ちが欲しかった。(☆☆☆☆)