最近観た映画 2020 5月『恋人たちは濡れた』他 | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

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映画感想、読書感想を備忘録として書いてます。
三浦しをん氏のエッセイを愛読しています。
記憶に残る映画と1本でも多く出会えることを願っています。

 5月10日以降に観た映画の備忘録的感想と星取りです。

感想と評価は個人的なものなので、皆様の評価と異なる時はご容赦ください。あらすじは各種映画サイトから引用させて頂きました。(☆5が満点。☆☆☆★以上は一見、再見の価値あり) 

 

「バッファロー’66」

(ヴィンセント・ギャロ監督1998年) 

刑期を終えて釈放されたビリーは、母親との電話でいくつかの嘘をついてしまう。いもしない妻を連れて帰らなくてはならなくなったビリーは通りかかりのレイラを拉致し、妻のふりをするように強要する。しぶしぶ従うレイラであったが、彼の過去を知るにつれて次第に好意を持つようになるのだった。ビリーには5年前彼を陥れたスコットへの復讐が残っていた・・・。(FILMARKSより)冒頭から普通の映画でないのは、映画を観馴れた人なら直感的に感じるだろう。主人公ビリーの行動もビリーに拉致されるレイラも家族の対応も一般的な映画からはかけ離れている。ビリーもレイラも世間からははみ出したような人間。そんな二人がいつしか心を通わせて行くところが丁寧に描かれている。

ラストにひねりを効かせてインディー系の肌合いを感じさせる。(☆☆☆☆) 

 

「尼僧ヨアンナ」 

(イェジー・カワレロウィッチ監督1961年)

17世紀の中頃、ポーランド北部辺境の尼僧院。院長である美しい教母ヨアンナは悪魔にとりつかれ、修道尼たちと叫びながら姦淫に耽っているという。大司教に命じられてスリン神父が彼女の悪魔を祓うため僧院にやって来る・・・。(YOUTUBE COM)1950年代後半から60年代にかけてのポーランドリアリズム映画の魅力を感じるモノクロの映像。ヨアンナにとりついた悪魔が、やがてヨアンナの救済にやって来た神父にとりつき凄惨な結末に向かう。(☆☆☆☆★) 

 

「修道女」

(ジャック・リヴェット監督1966年)

零落の貴族の家に生まれたシュザンヌは持参金を惜しむ両親に不本意にも修道院にやられてしまう。次々に変わる院長次第でその都度、彼女の運命も大きく翻弄され、拷問監禁を体験したり逆に同性愛的な寵愛に悩んだり、ついにはある男の計らいで院脱出に成功したのだが・・・(映画COM) 

ジャック・リヴェットの長編2作目。本人の意思ではなく、家の事情から修道院に入れられた女性の悲劇。ゴダールの「気狂いピエロ」(1965年)に出演していたアンナ・カリーナが翌年この作品の悲劇のヒロインを演じていることに驚き。(☆☆☆☆) 

 

「偉大なるアンバーソン家の人々」

(オーソン・ウェルズ監督1942年)

19世紀末アメリカ西部の町。大富豪のアンバーソン一族の嫡子ジョージ(ティム・ホルト)は力を誇示する傲慢な青年だった。ある日、エンジニアのユージン・モーゲン(ジョセフ・コットン)が帰郷し、かつて、ジョージの母イザベル(ドロレス・コステロ)と愛しあった2人の愛は彼女の養子の夫ミニファー亡き今、再燃するのだった。ジョージはそれに強く反発する一方で、ユージンの娘ルーシー(アン・バクスター)に惹かれてゆく。

彼女はジョージに、これからの社会に生きるには職業を持つべきだと忠告するが、アンダーソン家の誇りに捉われている彼は労働に手を汚すことを拒む。時はすでに20世紀、この小さな町も工業都市に変貌しつつあり、ユージンは時代の要求に応える自動車産業とともにのしあがってゆく。そのユージンから母を引き離すためにジョージはルーシーへの愛を諦める。やがて母は心臓発作で死に、相次いで祖父も去り、彼も自動車事故で両足を骨折する。そしてユージンはジョージをルーシーの婿養子に迎え入れることにより、青春の夢を実らせるのだった(映画COMより)。

オリジナル版は131分だったが、製作会社のRKOが監督の意向を無視して尺を短くしただけでなく再編集もし、ラストは助監督が新たに撮り直している。このためウェルズの構想とは逆にハッピーエンドになった。ウェルズの構想のメモは現存するが、カットされた映像は失われてしまったため復元は不可能になってしまった。(Wikipediaより)オリジナル版が131分で、尺を短くしただけでなく再編集してラストを助監督が新たに撮り直し、ウェルズの構想とは違うハッピーエンドになったのだとすれば、自分が観た88分版のこの作品をどう評価すればいいのだろう。(☆☆☆☆★) 

 

「なごり雪」

(大林宣彦監督2002年)

まもなく50歳を迎える梶村祐作(三浦友和)は、28年間連れ添った妻に逃げられ、自殺願望を持つようになっていた。そんな祐作のもとへ1本の電話がかかってきた。かつての友人水田健一郎(ベンガル)からだった。水田の妻・雪子が危篤状態だという。祐作は水田の帰郷の願いを聞き入れ古里の臼杵へ戻った。

祐作は雪子の瀕死の姿を見て、28年前の思い出が蘇ってきた。3人で過ごした青春の日々…雪子は祐作に恋していた。それに気付いていながらも応えられなかった祐作。雪子を恋していた水田。そして今、一つの結末を迎えようとしていた・・・。(ALLCINEMA) 津久見市(臼杵の隣駅)出身の伊勢正三の「なごり雪」をモチーフに、淡い青春の想い出を描く。臼杵の古い街並みが残る二王座でのうすき竹宵や臼杵磨崖仏での石仏火祭りなど臼杵各地で撮影が行われたほか、大分市や旧宇目町(現・佐伯市)でもロケが行われている。映画内の登場人物のセリフとして、楽曲「なごり雪」の歌詞をそのまま使うという、実験的な試みがなされている。映画会社大映が手掛けた最後の制作・配給となった(2002年10月に角川書店に新旧分離方式で事業譲渡し、角川大映映画(現・KADOKAWA)に継承)(Wikipediaより) 現在を三浦友和とベンガル、長澤まさみ(ベンガルの娘役)が演じ、28年前を細山田隆人、反田孝之、須藤温子(新人)宝生舞らが演じている。臼杵を出ることなく、これからも一生過ごすであろう水田と、高校を卒業したあと東京の大学で恋人ができ結婚したものの離婚し28年振りに故郷に帰ってきた祐作。

二人にとって妹のような存在だった雪子。人によっては違和感を持つ演出や内容かもしれないが、胸締め付けられる大林作品。(☆☆☆☆)  

 

「半世界」

(阪本順治監督2018年)

生まれ育った地元の山中の炭焼き窯で備長炭を作り、なんとなく父から受け継いだ仕事でやり過ごすだけの日々を送る炭焼き職人の紘(稲垣吾郎)。中学時代の同級生瑛介(長谷川博己)は仕事を辞め、離婚して地元に戻ってくる。突然の帰郷に瑛介は多くを語らない。何か訳ありの事情を抱えているようだ。紘には家庭もあり反抗期真っ最中の息子明もいるが、先行き不安定な仕事のことで頭がいっぱいで、家のことはすべて妻の初乃(池脇千鶴)に任せていた。紘はそんな家族に対する無関心な姿をもう一人の同級生光彦(渋川清彦)に指摘されてしまう。更に紘と光彦は次第に瑛介が地元から離れてから過ごした過酷な経験を知り、人生半ばを迎えた男3人にとって旧友とのこの再会が残りの人生をどう生きるか見つめ直すきっかけになる。(ウイキペディアより)

題名の「半世界」は写真家の小石浩の写真展の題名からつけられている(Wikipedia)。 地元で親から受け継いだ炭焼き一筋の男と防衛大学を出て自衛隊に入り海外に派遣され心に深い傷を負って帰って来た男、地元で父親と自営の中古車販売をやっている男。仲の良かった中学時代の同級生が自分たちの人生を中間総括してこれからの人生を考えるといったテーマか。男たちはみんなどこか心もとなく、紘の妻初乃はどこまでも地に足がついて揺るぎない。人はだれも「半世界」(世界の一部)しか知らないのではないだろうか。(☆☆☆★)  

 

「新・極道の妻たち 覚悟しいや」

(山下耕作監督高田宏治脚本1993年)シリーズ第6作。 

夫(梅宮辰夫)に代わって殺しの罪を犯した野木安積(岩下志麻)は服役後に出所するが、夫と大阪・淡野組(だんのぐみ)とのいざこざに失望して香港に飛んだ。そしてそこで出会った殺し屋・北杜(北大路欣也)と激しい恋に落ちるが、北杜は安積の夫を殺してしまった。安積はその裏で手を引いていたのが弟(草刈正雄)の妻・千尋(かたせ梨乃)だと知るのだが・・・。(ALLCINEMA) 岩下志麻が亭主の組長・梅宮辰夫に愛想を尽かし、香港で殺し屋の北大路欣也と恋に落ちるという、いままでの「極妻」シリーズには無かった成り行きで志麻姐のベッドシーンあり。野木組の本拠は名古屋にあり、梅宮辰夫は南利明のような名古屋弁を話す。名古屋弁を話すやくざというのは大阪弁や広島弁と違いどうも迫力に欠けるという事を思い知らされた。おそらく東北弁のやくざ(伴淳三郎や由利徹を想像)北関東弁(栃木や茨城なまり。ガッツ石松氏、木内監督)のやくざもあまり迫力がないのでは。(☆☆☆★)  

 

「新・極道の妻たち 惚れたら地獄」

(降旗康男監督松田寛夫脚本1994年)

シリーズ第7作。大阪・ミナミの御蔵組(みくらぐみ)は昔気質の極道として一目置かれていた。組長の村木(高島忠夫)は入院生活を続けていたが、妻の芙由(岩下志麻)が幹部の新谷(山下真司)とともに組をまとめ一家の結束は固い。そんなある日、ミナミ再開発に絡んだ巨額の利権をめぐって対立する侠和会が妨害工作をしかけ、村木がヒットマンに殺された上に芙由も重傷を負う。現状では侠和会相手に勝ち目はなく、復讐は利権を手にしてからだと芙由は組員たちに忍耐を求めるが・・・。(WOWOW) 対立する侠和会の会長(中条きよし)の女房あいはら友子が凄い鬼女ぶり。旦那の組幹部・山下真司と姐さん、侠和会との間で苦渋の決断を追まられる斉藤慶子が痛ましい。(☆☆☆★)  

 

「安藤組外伝 人斬り舎弟」

(中島貞夫監督 松田寛夫脚本1974年) 

昭和24年、安藤昇はH大を中退して不良仲間と渋谷を中心に顔を売り出していた。その頃の渋谷には飛びぬけて強力なヤクザ組織はなく、体一つ度胸にまかせてのし上がることを夢見ていた安藤は虎視眈々と縄張りを狙っていたのだった。その夏、安藤は舎弟の国分(室田日出男)徳重(今井健二)を連れハチ公前を歩いていると一人の男がぶつかってきた。その男こそ後の安藤組大幹部・日向謙(菅原文太)であった・・・。(C東映)

 映画の冒頭、学ラン姿で泥まみれで殴り合う菅原文太と梅宮辰夫も凄いが、その後も凄まじい暴力シーンが目白押し。当時は深作監督の「仁義なき戦い」が京都撮影所で作られていた頃で、監督の中島貞夫にも対抗意識が相当あったのではないだろうか。 文太さんの情婦に片桐夕子が起用されているのも見所。(☆☆☆★)   

 

「極道の妻たち リベンジ」

(関本郁夫監督中島貞夫脚本2000年) 

関西侠心会会長・東野(長門裕之)は、会長の座を娘婿の内藤組組長・内藤政治(火野正平)に譲ることを決意した。愛人にうつつを抜かしていた政治も女と別れて”会長として相応しい男になる”と決意するが、長くは続かず妻の敦子(池上季実子)に三くだり半を突き付けられてしまう。そんな政治に代わって内藤組を切り盛りしているのは若頭の昇(田中健)と妻の沙知子(高島礼子)だ。二人は政治を会長の座にすわらせ、敦子とのよりを戻させようと奔走する。そんな矢先、沙知子はかつての恋人で10年の刑を終えて出所してきた神原(豊原功補)と運命的な再会をする。(TBSチャンネル) 高島礼子の姐さんとして登場する池上季実子がしばらく見ない間に凄い貫禄が(演技的に)付いていて驚いた。「HOUSE ハウス」「冬の華」の池上季実子は今いづこ。最後にとどめをさされる対立する組の会長が石立鉄男というのも「極妻」ならでは。(☆☆☆★)   

 

「日本橋」

(市川崑監督和田夏十脚本1956年) 

日本橋元大工町の辺りの清葉(山本富士子)とお孝(淡島千景)という二人の芸者が意地と純情で競い合っていた。二人におぼれ、捨てられた男は数知れず。そのなかに赤熊(柳永二郎)という大男は全てを失いながらなお、お孝を求めてさまよい歩いていた。ある日、行方知らずの姉を捜し求める医学生・葛木(品川隆二)は姉と生き写しの清葉を知り死ぬほどの慕わしさを打ち明けるが・・・。(KADOKAWA) 

山本富士子、淡島千景、若尾文子三大女優の共演でその華やかさに目がくらむばかり。市川崑が描く泉鏡花の世界。(☆☆☆☆)   

 

「恋人たちは濡れた」

(神代辰巳監督1973年) 

克(大江徹)は五年ぶりに故郷へ戻ってくる。海辺の映画館でフィルム運びの仕事に就くが、そこの女主人(絵沢萠子)との情事にふける日々。街の人間たちは、五年前に街を出た「克」ではないのか?と疑問を抱くのだが、克は否定し続ける。同級生の光夫(堀弘一)と洋子(中川梨絵)のセックスを見てしまった克に、光夫は幸子(薊千露)を紹介する。光夫たちは克の母親と対面させようとするのだが、克は母ではないと突き返す。光夫、洋子と奇妙な三角関係に陥っていく克の過去にあった事件とは・・・。(ALLCINEMA) 克の素性は最後まで明かされないが、どうやらヤバイ仕事に関わって故郷に逃げて来たようだ。ギターを持って、人のいない映画館の舞台に立ち「お客様は神様です」と三波春夫のセリフをかます。映画館の館主は愛人を作って寄り付かず、欲求不満のその女房に迫られてセックスをする。70年代の初め頃には克のような流れ者的生活を送る若者は珍しくなかったような気がするし、克も東金(千葉県)、船橋、水戸辺りのパチンコ屋を転々としていたと自分で言っている。舞台になっているのが房総(勝浦近辺か)の寂れた海辺町。素性も知れない地元のプータローらしき若者たちにはある種の閉塞感が漂う。克も、光夫も洋子も漂っている。ヤクザの仁義を切る洋子。砂浜で、意味もない三人の馬跳びがいつ終わるともなく続く。何者でもなく何者にもなれず何者にもなりたくない克や光夫や洋子、ある種のモラトリアムの自由な生は他者によってある日突然断ち切られる。(☆☆☆☆)   

 

「天使のはらわた 赤い淫画」

(池田敏春監督石井隆脚本1981年) 

デパートに勤める名美(泉じゅん)は、同僚の瞳からアルバイトを紹介されて軽い気持ちで引き受けた。仕事はビニール本のモデルだった。名美はカメラマンに強引にくどかれ、半ば強制的に裸にされてしまう。「赤い淫画」と題されたそのビニ本は爆発的なヒットとなっていた。アパートに変な電話がかかったり、不審な男につけられるようになった。見知らぬ男たちにつけ回される恐怖が消えなくなる。上司の阿川と情事を続ける名美は奥さんにバレて別れさせられ、ついにビニ本が会社で話題になって辞めさせられてしまった。村木健三(阿部雅彦)は「赤い淫画」に魅せられた男の一人だった。ビニ本のモデルに思慕は募るばかりの毎日だった。ある日、名美は健三から声を掛けられる。健三は名美に魅せられ彼女を追っていたのだ。必死に想いを打ち明ける健三。男なんて皆同じだと思いながら翌日のデートを約束した。堕ちていく予感を抱きながら・・・。(TOWER RECORDS) 

ウィキペディアによれば、正月作品のため人が死ぬのはにっかつ側がNGとし、脚本の石井隆は会社の方針に折れ、準備稿でのラストを書き直すことになったそうだ。「天使のはらわた」シリーズは演じる俳優は違っても主人公の名前は毎回名美と村木。主人公たちの職業もさまざま。今回はデパートガールと職探しをしている無職の男。どちらも泥沼に堕ちていく強度が弱かった印象。にっかつ側から制約があったようだがラストもやや消化不良。

泉じゅんの炬燵オナニーは120点満点。(☆☆☆★)   

 

「ブルーレイン大阪」

(小沼勝監督高田純脚本1983年)

 待子(志水季里子)は大阪北新地のクラブの小ママである。

オッチャンというパトロンのいる実姉の伸江(絵沢萠子)が店の大ママなのだが、最近は体の調子が悪く、店は待子が切り盛りしている状態なのだ。そんなことから待子は妻と死に別れた商社マンの頼野にプロポーズされており、水商売から足を洗いたいと思っていても中々店をやめることができない。ある日、待子が売掛金の回収に出版社に出向くと、そこでかつては付き合っていたカメラマンの悠司(広瀬昌助)に出会う。悠司は3年前に待子を捨てた男で背中には彼女に切りつけられた傷がある。彼はサーカス写真を撮っており、五月(久我冴子)というサーカスの女を連れていた。その日から悠司は店に通いつめる。もう一度待子と付き合おうという気持ちがあり待子も動揺していた・・・。(MOVIE WALKER) 八代亜紀の同名曲がモチーフになりラストでもこの曲が使われている。にっかつによれば演歌(艶歌)ポルノの第一弾。ロマンポルノ初主演の志水季里子と新人の久我冴子がすばらしい。そして「八月の濡れた砂」の広瀬昌助。志水季里子と3年振りに再会したシーンで「変わったなお前」というセリフがあるが、これは「八月の濡れた砂」の冒頭シーンで久し振りに会った村野武範に広瀬昌助が言うセリフと全く同じ。脚本を書いた高田純は意識していたのではないだろうか。別れた女と男が再会してよりを戻すという映画は数多あれど、ロマンポルノの枠のなかでこれだけの作品が作れれば立派なもの。常に観客目線で映画を作る小沼勝が嬉しい。(☆☆☆☆★)   

 

「みじかくも美しく燃え」

(ボー・ウィデルベルイ監督1967年) 

19世紀のスウェーデンで実際に起こった事件を映画化。陸軍中尉で既婚者の伯爵と美しい綱渡り芸人エルビラ。恋に落ちた2人は周囲の抑制を振り切って駆け落ちをする。逃亡生活の末、運も金も尽きてしまった彼らはある決断をする・・・。衝撃のラストシーンと全編に流れるモーツァルトのピアノ協奏曲第21番が話題を呼び、当時日本でもヒットを飛ばした悲恋物語。ヒロインを熱演したピア・デゲルマルクがカンヌ国際映画祭最優秀主演女優賞獲得。(映画COM) 日本語タイトルは作詞家の岩谷時子が付けたそうだ(原題「エルヴィラ・マディガン)この映像美と音楽の相乗効果、切れのいい編集は名作の域。(☆☆☆☆)  

 

「かくも長き不在」

(アンリ・コルピ監督1961年) 

パリ郊外にカフェを営むテレーズ(アリダ・ヴァリ)はある日、店の前を通る浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)に目を止める。その男は16年前にゲシュタポに強制連行され行方不明になっていた彼女の夫アルベールにそっくりであった。テレーズはその男とコンタクトをとるが、その男は記憶喪失だった。(Wikipedia)記憶に残るのはやはりラストシーン。トラックに轢かれて死んだと思ったが、無事だった。「寒くなったら戻ってくるかもしれない。冬を待つんだわ」(テレーズ)(☆☆☆☆☆)     

 

「恋人たちは濡れた」「天使のはらわた 赤い淫画」「ブルーレイン大阪」「みじかくも美しく燃え」「かくも長き不在」の5本はGYAO!の無料動画で鑑賞。映画は映画館で観るのが本来の形だと思うが、諸種の事情で映画館で観るのが困難な人もいる。まして田舎のレンタル店には置いていない希少価値の作品を無料で鑑賞出来るのは嬉しい限り。GYAO!の無料動画を教えて頂いた千夏さん、東映バカさんありがとうございました。