『ニュー・シネマ・パラダイス』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督 1988年) | レイモン大和屋の <シネ!ブラボー>

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『ニューシネマ・パラダイス』(監督・脚本 ジュゼッペ・トルナトーレ 撮影・ブラスコ・ジュラート 音楽・エンニオ・モリコーネ 伊・仏合作 1988年 日本公開1989年)

 

出演・サルバトーレ・カシオ、フィリップ・ノワレ、ジャック・ぺラン、ブリジット・フォッセー(173分版のみ) 他。

 

「ニュー・シネマ・パラダイス」は当初イタリアで公開されたオリジナル版では155分だったが、興行成績が不振だったため監督自身の手で編集が手直しされ、123分版のものが作られ(124分とされることも)、これが「劇場公開版」として日本を始めインターナショナル版として認識されている。その後2002年に173分のディレクターズカット版が劇場公開され、DVD、ブルーレイも同様に173分の完全版が発売された。現在123分の「劇場公開版(短縮版)VHSビデオ、DVDと173分の完全版DVD,ブルーレイが流通しているという状況である。(直近の「午前十時の映画祭」では124分版で上映されたらしい)。

 

何故こんなことにこだわるのかと言えば、短縮版と完全版では観る人によって評価に大きな違いが出てきそうだから。テーマについても短縮版=主人公トトと映写技師アルフレードの交流を軸にして映画館「パラダイス」座の存在も大きなウエートを占めているが、完全版では主人公の「人生」に焦点がおかれ、青年期のエレナとの恋愛、帰郷後の物語が約50分余り追加されていることになる。

 

この作品は20年以上前に勤め先近くの月島図書館とVHSで自宅鑑賞、完全版は2年半ほど前に1度、今回で2度目のDVD鑑賞。短縮版は20年以上前の鑑賞なので記憶自体が曖昧なのと完全版での見落としなどを再確認するための今回の再見。短縮版を既に観ている人で完全版を観てガッカリ、観なければ良かったという人がいる一方、完全版でこそラストシーンの本当の意味が分かるというブロガーさんもいる。前回完全版を初めて観て、やや冗長過ぎる印象があったが、今回再見してみるとそれは余り感じなかった。短縮版支持者の方から見ると完全版は「蛇足」であり、語らずもがな、言わぬが花ということだろう。短縮版と完全版ではテーマが違ってくるというブロガーさんもいらっしゃるが、私見では短縮版も完全版も根本的な所で「テーマは同じ」というのが今回再見しての正直な感想。

 

「人生はお前が見た映画とはちがう。人生はもっと困難なものだ」(アルフレード) 「彼女に会ったか?」「行方不明だ」「そういう運命だったのだ。人にはそれぞれ従うべき星がある」(アルフレード) 30年振りに再会したサルヴァトーレ(ジャック・ぺラン)とエレナ(ブリジット・フォッセー)。「多くの女性に会ったがいつも君を求めていた。仕事では大成功したがいつも何かが欠けていた」「初めは彼(注・アルフレード=『パラダイス座』の映写技師)を憎んだわ。でも時が経って彼の忠告が分かったの。あなたの沈黙の意味も。彼はあなたを理解していた唯一の人よ。私と結婚したら映画作りはできなかった」 何もかも上手くはいかないのが人生。サルヴァトーレ(トト)は仕事では大成功したが、自分の人生には何かが欠落していた。ラストシーン。万感の思いでスクリーンを見つめるサルヴァトーレ。その目にあふれる涙。短縮版も完全版も差異なく、名作と言っていいのではないでしょうか。☆☆☆☆☆(☆5が満点)