s63/11 禅道と茶道 今本半陶子 | wabicyaのブログ

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極侘数寄を目指しています。

侘数寄は心強く大胆にあらねば、道具万ず不如意なる程に、世に有る人と交われば、心劣りせられて肩身つまりて、自ずから茶湯にうとむもの也といいて、ただ胸の覚悟第一ならん(長闇堂記)

寂庵禅師曰く

器の善悪を選ばず、点ずる折の容態を論ぜず、ただ、茶器を扱う三昧に入りて、本性を観ずる修行也



「侘びとは、、、不自由を不自由と思いととのわざるもととのわざると訴えなば、それ侘びに非ずしてまことの貧人と言うべし」



⭕️近現代の大寄せ茶会で釜をかける、道具自慢の数寄者らに問いたいですね。


⭕️何度も書きますが利休が「十年を過ぎず茶の本道すたるべし」南方録

利休の心は、既に江戸初期の文化爛熟期から乱れたまま今日に至っていると思われます。





茶事は座談会では無い。

難しいですね、道具の話をすれば良いのか?それはそれで道具茶になりかねない。


要は話題を選ぶ事と、話しが途切れても不安がらないのが一番。


点前を観て、客振りを観て心を通わせる、それが茶の湯ではなかろうかと。


大寄せ茶会で、兎角人気のある饒舌な茶人など不要かも知れません。