茶道雑誌昭和48年10月号
磯野風船子氏が利休の茶会について茶会記を基に述べておられる。利休の茶会全体を俯瞰するのに適していると思われるので記載しておきます。
以下、磯野氏曰く
「先づ南方録から
南方録に記載する茶会56会中、一会が茶入の記載がなく、四会が二個の茶入を使用しているので、南方録では全部で59個の茶入を使用している。
その内、茶器が16個で、これを除くと茶入は43個である。
日本製の茶入は瀬戸茶入“天下一”が三個、黒楽と思われる茶入が六個であるから、日本製の茶入は九個しか無い。
33個唐物茶入である。
点前の60%は少なくとも唐物点か盆点の点前をしなければならない。
盆点が21会、唐物点が12会である。
天目茶碗を天目台に載せる点前は流石に少なくなったが、台点目を使用した茶会が五会あり、その内四会は盆点と一緒である。
この事は利休百会記でも言える。
次に利休百会記では
99個の茶入と茶器が使用されている。
茶入は唐物が主で61個。日本製茶入は瀬戸茶入“天下一”だけで6個である。
茶器が32個、したがって
唐物点が47会、盆点が14会である。
中略
利休が一番愛玩したと言われている尻はりの茶入は唐物で、南方録では12会、利休百会記では33会、そのた九会記では五会の計40会使用している。
(参考写真)永青文庫蔵 尻張茶入
それに比べると和物茶入は、瀬戸、黒楽、備前合わせても16会である。
⭕️利休が如何に侘びた点前をしようとしても利休の気に入った和物の茶入が手に入らなければどうしようもない
⭕️茶の湯の侘び化のためには、それに相応しい道具がなければ侘び化の着想が浮かばないということを御記憶願いたい。
」
掛け物
「掛け物は31幅記載されているが墨蹟が大部分である(ただし一行書では無いです(ブログ主)」
香炉
「利休は香を聞くことが好きだったらしく雪が降ると香の点前をしている。香炉は全て唐物で和物はない」
茶壷
「茶壷を口切の時だけ用いるのではなく随時に使用している」
「茶壷は全部呂宋、即ち南方中国で作られた穀物壺だと考えられる。信楽や瀬戸備前の茶壷は、百会記に備前の茶壷が出ているだけで、他の会記には見当たらない。」
花入
「古銅の花入は全部唐物である。籠の花入を炉の茶会に用いる方が多かった。
竹の花入が一回も出てこないのは不思議である。
中略
利休の花入の扱いについて面白い点は、水だけ入れて花をいけない場合や、点前のすんだ後で出して見せる事が多い。」
水指
「水指は47個記載されている。
手桶24会
釣瓶4会
信楽6会
土物3会
」
「霰11会
姥口6会
平釜8会
雲竜6会 以下略」
釣り釜にも大釜を使っている。雲竜を相応しいと言い出すのは晩年。
利休は釣釜が好きだった事がわかる。」