僕の名前を呼ぶきみを頼りに生きてた。 | ぞうに憧れたやどかりの話。

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切り取って、切り取って、いつか唯一無二のパズルが完成することを願って。
10代で始めたブログ。気がついたら20代半ば。


3月3日は引越しの日。


前日の夜、仕事から帰ってきたじゅんくんは私の肩で泣いてた。


じゅんくんが泣いてるのを見たのは3度目。


わたしが何かに悩んで、起き上がれなくなってる時に「何も出来なくてごめん…」って泣いていたときが1度目。


一緒に住めなくなったって言われたときが2度目。


そして、3度目。


荷物が減り、広く見えるようになった部屋にじゅんくんのすすり泣く声が響いて、なんだろうこのシチュエーション。ここだけ切り取ったらドラマのワンシーンみたいだ。って思ったら、可笑しくなった。ドラマティックに見合う人間じゃないし、ってくすくすして思わず歌い出しちゃった。こうやって時々ふざけちゃう。それで事が好転するときも悪化するときもある。


「全然寂しそうじゃないじゃん!俺との温度差!」ってちょっと不満そうに、でも笑ってくれた。


それからのことはもう覚えてないから今までと変わらない他愛ない会話を交わしたのだと思う。


最後のお見送りもいつも通り。


「いってらっしゃい!」だけ。


いつも通りの型から飛び出したのはじゅんくん。


ドアが閉まりながら「大好きだよ!」って言ってくれたから


あわてて「ありがとう!」って返した。


大好きだよに対してのありがとうなのか、


今までありがとうなのか、


きっとどっちも。


じゅんくんと過ごした時間は宝物です。


特に一緒に暮らした2年弱の時間はこれからも生きていく自分の基盤になってくれるものだと思います。


生活を養うだけでなく、心も養ってくれたじゅんくんに感謝しかないのです。


別れることになって、じゅんくんのお母さんから「ごめんなさい」とLINEを貰い、


「感謝の気持ちで一杯です」と返した。


実家に帰ってきてから考えない日はない。


寂しくて泣くし、


家族や友だちが隣にいてくれる時に


じゅんくんだったらって思ってしまうことに


自己嫌悪して泣くし、


今この時、じゅんくんはわたしのこともう考えてないんだろうなって泣くし、


明日、1ヵ月後、半年後、


わたしもじゅんくんもお互いがいなくても大丈夫になってるのだろうなって泣く。


この3月、面接や契約に行ったりはしたけど、お仕事はしてなかったので、感傷的になるには十分すぎるほど時間があって、本当呆れるくらい泣いた。


全然強くなってないじゃんって悔しくてまた泣いたり。


すごく苦しかったし、今もまだ乗り越えられてないけど、会わなきゃよかったとか、自分の中から消したいとは思わない。


どんな想いの中にも核心部分にあるのは、ありがとうとじゅんくんには笑っていてほしいって気持ちだから。


本当はわたしに向けての笑顔が良かったけど、仕方ないや。


心が頭に追いつくのを待ちます。


待つと言っても、ぼーっと過ごすわけにはいかないからわたしはわたしの道を。


きっと今より守りたくなるような女性からは遠ざかっているのだろうなぁ〜。


ま、仕方ないや。


曖昧だけど結局仕方ないに落ち着く。


世の中、納得できることばかりではないです。


***

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東京で食べた最後のごはん。


じゅんくんは枝豆が好きなのでカレーにもたまに入れてました。わたしも料理がかわいくなる気がして好きです。


俗に言う最後の晩餐ってやつだな…って思いながら噛み締めました。これもまた思い出です。