2023/03/11。
あの日から12年。
昨日は「スッキリ」で12年前に出会った方々の現在と、これからの想い、そして街の様子をお伝えさせていただきました。
こちら、陸前高田で牡蠣の養殖を営む佐々木さん。
12年前に避難所で出会いました。
被災地でその状況を伝えるだけでなく、番組として何が出来るのか。
テレビが出来ることはなんなのか。
大変な状況の中で、どうしたら皆さんの役に立てるのか。
そう考えた時…。
電話も使えず安否確認も出来ない。自分がどこでどうしているのかを伝えることもできない。
そう言った方々が想いを伝えられる場に、発信できる場にすればいいんじゃないか。
というのが、番組の答えでした。
そこから2週間ほど。
被災地の皆さんに、今伝えたいこと…何が必要で、自分がどこにいてどういう状況なのか、などをカメラを通じて伝えていただきました。
佐々木さんは当時、小さなお子さん2人のオムツやミルク、そして着替えなどの必要性を訴え。
広島にいる親戚の方に自分や家族の状況を伝えてくださいました。
それから12年の間に5回、お話を伺わせて頂くことができました。
(2014年。右下に写っているのが1枚目の写真右側に写っているお子さんです。)
お会いする度に、少しずつ笑顔が増えていき。
これからの目標やプランを力強く語ってくださいました。
そして、その掲げた目標を着実に達成し前へと歩み続けていた佐々木さん。
「この12年、1年1年を必死で生きてきた。これからは自分の生業である漁業で陸前高田を盛り上げていきたい。そして子供達が一度街を離れたとしてもまたこの故郷に戻ってきたいと思ってもらえるよう、陸前高田の魅力を伝えていきたい。」とおっしゃっていました。
震災で市内の半数にあたる4000世帯が被災した陸前高田。
市街地を約10mかさ上げするために、山を切り崩し。
その土を運ぶために、山から街へと巨大なベルトコンベヤが作られました。
盛り土工事が全て完了したのは2021年の3月。
2017年には街の中心部に商業施設がかんせいしたものの。
かさ上げの完了を待ちきれず高台に家を建てたり、市街へ引っ越した方も多くいらっしゃり。
まだ市街地には空き地が残ったままとなっています。
陸前高田に住む人や、観光に来る人などを増やすため。
企業を誘致したり、イベントを開催したり。
漁師になる方を育成するためのスクールができたり…。
(陸前高田市HPより)
岩手県HPより
あとは、今月、音楽祭が開催される予定だったり。
http://www.kyodo-tohoku.com/artist_page.php?a_id=1014
4月には花火大会も行われる予定だそうです。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000035.000079321.html
番組の取材だけではなく、プライベートでも毎年のように足を運んでいた東北。そして、陸前高田。
「スッキリ」でお伝えする事は今回で終了となりますが、これからも出来る限り足を運んだり、考えていきたいと思います。
今回取材に応えてくださった佐々木さん、そしてご家族や関係者の皆様、有難うございました。
そして、12年間、大変な状況の中でご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。