こんばんは。
会見、後半です。
團十郎という名跡を継ぐという事について話して下さった海老蔵さん。
十一代目市川海老蔵を襲名した時と、今回の襲名に関しての違いを問われると…。
「一言で言えば心細いですよね。」
と。
「横には父が十二代市川團十郎として座ってくれていましたし。妻とはまだ結婚してなかったですけれど…。
自分としても父親がいないというのは非常に心細いですし、襲名というのは非常に大きな事ですから、役者当人が頑張ったところでどうにもならないことが沢山あるな、と痛感しております。
本来支えてくれるはずだった妻がいない、父もいない、その中で子供を襲名させ、また、自分自身も大きな名跡を相続するという事は色んな事を感じますね。」
「海老蔵襲名の時の会見も、ここ(同じホテル)だったんじゃないですかね?あの時の浮かれている感じ?は全くなくて、もうちょっと落ち着いたのかなと。
時と経験が人を変えていくんだな、と今感じています。
自分が頼りにされて、でも頼りにする人間がいないという状況の中で、この3ヶ月間、そして大阪京都博多名古屋、地方各地まわっていく長丁場…これをどういう風にやっていくかという事。
演じるだけではなく様々な歌舞伎の世界の風習がある、そういった事を…至らぬ事だらけだと思うんですけど、自分のできることを背伸びせずにやっていく事が精一杯かな、と。
海老蔵襲名の時とは全然心境が違うかなと思っています。」
そう話した海老蔵さん。
すると…。
「父は確か襲名の会見の時に“この度、倅七代目市川新之助が十一代目市川團十郎を襲名致します。あ、じゃぁ僕はどうなっちゃうんだろう?”(笑)みたいなことをあっていたような大変ユニークな方でしたから☺︎」
とお父様の真似をしながら、思い出を話してくれました。
「勸玄はそういう父に負けず劣らずユニークな所もございますので、心の方は子供達に救われているかなと思います☺︎」
と笑顔で話す海老蔵さん。
そんな海老蔵さんが話す姿を頷きながら見つめている勸玄くんもまた可愛らしかったです

そして、襲名発表の時にも説明があった『十三代目市川團十郎白猿』というお名前について。
「市川團十郎という大きな名跡の中で、先人達にはまだ及ばぬところもあるという認識の中で、こういう名前をつけさせていただきました。
市川を名乗った場合は市川團十郎白猿、と白猿がつきますけど、團十郎、の場合は團十郎だけでいいのかなと思っております。」
とのこと。
「市川團十郎家も13人目になったわけでございまして。
物事というのは12時間、12支、12星座など、12になったら1に戻ったりしますよね?そういう意味で13人目というのはまた最初に戻る、原点回帰という意味も含まれているのではないかな、という私の想いもございまして。
市川團十郎というのは名優も多ございますが、中々非業な最後を遂げる人間も多ございます。
そういう中で、輪廻から少しでも脱却したいという気持ちも含めた上で、新しく一歩を踏み出すんだという気持ちもございます。」
と市川團十郎白猿というお名前についての想いを語ってくれました。
と、ここで会見が終わり、写真撮影となったのですが…。
背景が金屏風から写真に変わり、お二人か再度登壇した時に、まず自分の写真が気になった様子の勸玄くん。
舞台の上に立った時の雰囲気とはまた違う柔らかい、可愛らしい雰囲気に、集まった報道陣もニコニコその様子を見つめていました

そして、「では、お二人、撮影をしますので写真の前にお立ち下さい。」とアナウンスが入ると…。
真ん中ではなく、自分の写真の前にピシッと直立した勸玄くん。
そして、海老蔵さんに真ん中へ促されるという…。
もうね、終始可愛すぎました

そして、撮影の後始まった囲み取材の様子はまた後ほど。
時間がかかり、一気に載せられず申し訳ありません…。
ではでは。