不登校の時は親も子も、いつも

不登校だということに縛られてしまいます。
 
だってそれは
不登校だから・・・
 
 
でも
人が自分の人生を
自由に生きてはいけないなんてことは
ないのです。
 

もちろん、状況が変化することが
望ましいかもしれませんが
人を変えることはできないのですから
どうにも変化しないのなら
状況を変化させることは、一旦
置いておくしかないというところにきます。
 
 

そして
状況は不登校だとしても
お母さんが
自分の人生を生きていい
お母さんが
楽しんでもいい
と、自分を許すことです
 
 
こう聞くと
理解できるのだけれど
こんな時に自分が楽しんでいい
なんて自分を許せない
と思うかもしれません。


なかなか思えない・・・
でも、もうそれしかないじゃん
というところまでいくと
だんだん許せていきます。 
 


うちの場合は
娘の登校渋りが一年間あり
後半の半年は力ずくで押さえ込んで
連れていきました
今、思えば人間とは言えない
非情なことをしていました
体力勝負でもあり
気力も全て使い果たしました

本人の意思を無視して

力だけで言うことを聞かせ

コントロールするという

やってはいけない行為でした。

 

小学3年で少し痩せていた女の子

だからギリギリ力ずくでやってしまった

中学生男子なら、全く無理なことなのです。



 

そして不登校になった時

自分も疲れがどっと出ました

体力がない方なのに

体力で勝負してましてから

気力だけでなく体力的にも

しばらく動けなかったです。


 

そして子供に対して

ご飯をつくったりはするけれど

できるだけ子供を休ませてあげるしか

なかったのです。


それでもじっとしているのは

怖くて、フリースクール見学

適応指導教室を探すなどやりましたが

時期ではないことを実感。



そしてそれまで

子供しかみていなかったけれど

不登校になってから

自分に向き合うこと

自分を大事にすること

を知り、自分のことをやるしかない

というところへきました。




心配するとか、努力し続けるとか
なんとかしようとする

それをとことんやっても

どうにもならない時

どん底みたいな位置に行くと思うのです

もうそれ以上やることがないまでいった時

とうとう

あと、やってないことが

お母さんが自分の人生を楽しむ

だったら

もうそれやるしかない

やってみたい。


簡単には自分に許可が出せないけれど

ある地点までいったら

それしかない・・・


そして私は子供達よりも先に

息を吹き返しあせる

自分らしく生きる方向へと

進むことにしました。




こちらへ続きます。

不登校の状況が変わらなくても、心は自由になっていい②